通俗講義 霊魂不滅論

30話 霊魂不滅論 第三〇回 帰結

1,527字 約3分 2017年6月6日 公開

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 かくして拙者は、古来、世人の最も惑いかつ聞かんことを欲する、霊魂問題につきて数回を重ねて述べたりしが、今、その要領を一括すれば、霊魂滅亡を唱うる論者に俗人と学者との二種ありて、俗人の方は別に深き考えはなく、ただ己の憶断をもって論ずるまでなれば、これを俗論派と名づけて駁撃(ばくげき)を加え、学者の方はもっぱら西洋の唯物論によるものなれば、これを唯物派と称してその不合理なるを弁明し、つぎに、さらに実際上より霊魂不滅論の必要なるゆえんを開陳いたしました。よって理論上および実際上、双方より一とおり説明したるつもりであります。ただ遺憾なることは、理論上の説明は宇宙全体の問題にわたり、時間、空間のなんたる、世界万有のなんたる、いちいち証明を要する次第にして、到底これを細論する余地なければ、『破唯物論』およびその他の著書に譲ることにいたしました。また、霊魂不滅論に関して、仏教の善悪因果説、生死輪廻(りんね)説、地獄極楽説をも略弁するの必要を感じ、一言を加うるに至りました。

 拙者の講演の順序は大略そのとおりでありますが、これよりその論を実施する方法を述ぶるに、人は霊魂の不滅なるを知りたる以上は、時々刻々これを心頭に銘じ、業務の余暇はもちろん、業務中といえどもこれを心中に味わい、いったん人事の意のごとくならざることあらば、これによりてその心を安んじ、また不幸、災難のその身に集まることあらば、これによりてその意を強くするようにいたし、他日、国家の大事あるに当たりては、これによりて決死の精神を起こし、一朝冤罪(えんざい)をこうむる場合には、これによりて良心の光明を点じ、いよいよ臨終に迫らば、これによりて安心瞑目(めいもく)するように心掛くるがよろしい。かくして、平常、社会に立ちて人事を観ずるにもこれを思い、天地を望みて風月を観ずるにもこれを念じ、造次顛沛(ぞうじてんぱい)もこの一事をして心頭を離れざらしむるに至らば、人生五十年間は幸福、愉快ばかりで日を送ることができます。苦を転じて楽となし、(わざわい)を転じて福とする道も、けだし、このほかにはありますまい。果たしてしからば、この道理を知るものは真の知者にして、これを知らざるものは真の愚人と申して差し支えありませぬ。すでにかく安心したる上は、人間一生は肺臓と心臓の動く限り、身を労し心を(えき)して、百難千苦を排して進み、決してグズグズして光陰を徒費することはできぬ。どこまでも社会のために事業とともに倒るる決心を持ち、日本国民としては、世界無類の国体を、天壌無窮に伝うることを祈念せなければなりませぬ。ひとたび霊魂不滅を信ずる以上は、その決心を抱くはもちろんのことにして、もしその決心なきにおいては、断じて霊魂不滅を信ぜざるものとみてよろしい。拙者などは、微力ながら生涯事業とともに倒るる決心なれば、自ら安閑徒然としておることができぬばかりでなく、人の碁を打ち将棋を指すのを見てすらも、不愉快でたまりませぬ。そうして拙者一己(いっこ)の安心は、霊魂不滅を信ずるはもちろん、山川風月を観ずるごとに、世界の幽玄高妙なるを感じ、自ら理想の楽を味わい、仏教のいわゆる此土寂光(しどじゃっこう)の妙趣は、けだし、ここにあらんかと想像しております。もし、拙者が山川に対して口吟したる自得の悟道を述ぶれば、左のとおりであります。

 笑いて山色を観ずれば、山もまた笑い、泣いて水声を聴けば、水もまた泣く。もししからば、泣いて聴かんより、むしろ笑いて観ぜよ。

 かく申すと禅宗めきておりますけれども、人生五十年の旅路の鬱散(うっさん)には、かかる人生観、世界観の必要を感じ、相対的世界にありてすらも、かくのごとき愉快ある以上は、絶対的世界すなわち真正の理想世界の愉快はいかばかりならんかと、推して想像することができます。あなかしこ。

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