29話 霊魂不滅論 第二九回 霊魂不滅説の良心に満足を与うること
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世間には善人もあり悪人もありて、これを制するに国家の法律あれども、その法律に漏るる罪人も必ず多いに相違ない。かつ法律は悪人を罰する方に力あるも、善人を賞する方には不足である。また、志士、仁人にして誤りて処刑の身となり、永く獄裏に呻吟し、蓋世の大望を抱きながら、これを伸ぶることあたわず、むなしく涙をのんで昊天に訴うるものも、古来決して少なくはありますまい。その中には、死後永く冤罪をこうむり、地下にありて瞑することのできないものもありましょう。自ら悪を犯して刑を受くるは自業自得なれども、自ら国家のために義を唱え、社会のために仁を行いながら、しかもその身は世にいれられずして獄窓に日を送るがごときは、なんと申してよろしかろうか。かかる人には、人間一代だけで決して満足を与うることはできませぬ。もっとも、この点につきては古来、子孫百世の賞罰あることを唱え、志士、仁人の誤りて世にいれられざるも、後世その人に代わりて冤をそそぐものもあり、あるいは碑を建て史を編み、もってその名をして不朽に伝えしむるものもありて、「天網恢々疎にして漏らさず」とは申すけれども、拙者のみるところにては、なお後人の知らずして、天網に漏るるものも多からんと考えます。唯物論者および霊魂滅亡を唱うる人たちは、いかようにこの点を解しましょうか。優勝劣敗、弱肉強食説では、かえって人をして自暴自棄せしむるよりほかはありますまい。ゆえに道徳上、人に満足を与うるには、霊魂不滅説によりて、善悪の応報は死後必ず来るものと確信せしむるが肝要である。諺にも、「善悪もし報いなくんば、乾坤必ず私あらん」ともありて、われわれは天地の正理の存する限りは、善悪必ずその報いあるべしと信じて、その賞罰を死後永遠に期するものであります。しかして、天地の正理は宇宙の正理であり、宇宙の正理は善悪応報の規則でありて、その規則は全く霊魂不滅にもとづくものなれば、われわれの安心は、霊魂不滅論によらざれば達すべからざること明らかであります。
宇宙の広大無辺なるは、到底われわれ知力の及ぶところにあらざれども、われわれの理想は宇宙の規律の一定して動かざることと、因果の規則は宇宙の規律なることを知り、善悪応報もまたその正理なることを知り、一身の死後はもちろん、社会滅亡し、天地破壊する後までも、この理は厳然として行わるるものと固く信じて、獄窓の中にあるも非命の死にかかるも、いやしくもその心は社会国家に対して寸善尺徳を施したる記憶なれば、泰然として自ら安んずることができます。これ全く、われわれの本来固有する先天的良心の光明が、内に発するゆえであります。実にこの光明と宇宙の正理が、われわれの向かうところの前路を照らして、死後永く昭々霊々の世界あることを告げてくれます。しかるに今日、学術の実験は到底ここに達せざれば、われわれはただこの良心の指導に従って進むよりほかはありませぬ。われわれもし、夜静かに人定まるときにありて、一室に端座して人生を観察しきたらば、必ず五十年の寿命の一瞬一息なるを知り、人事の期し難く、社会のたのむに足らざるを知り、これと同時に、世間は暗黒にして、われわれの良心に満足を与うるあたわざるを知るに至るに相違ない。また、われわれが死期に際し、自ら臨終のきたるを知り、兄弟、妻子に永別を告ぐるに当たりては、いかなる豪邁の士も人生のはかなきを感じ、世事の非なるを知り、必ず迷い出すに相違ない。このときにありて、この心を慰むるものは、ただ霊魂不滅の一理のみであります。この理はよくわが良心の光を助けて、死後永く前路の向かうところを示し、尽未来際を照らして、われわれに無上の安心、満足を与うるに至ることを忘れてはなりませぬ。けだし、宗教の一世を感化して風教を裨補する点は、全くこの一事であります。