一席話

1話 一席話(1)

6,034字 約12分 2011年9月5日 公開

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 上總國(かづさのくに)上野郡(かうづけぐん)田地(でんぢ)二十石(にじつこく)ばかりを(たがや)す、源五右衞(げんごゑ)()百姓(ひやくしやう)次男(じなん)で、小助(こすけ)()ふのがあつた。(あに)元太郎(もとたらう)至極(しごく)實體(じつてい)で、農業(のうげふ)出精(しゆつせい)し、兩親(りやうしん)孝行(かうかう)(つく)し、(まづ)しい(なか)にもよく齊眉(かしづ)き、(ひと)づきあひは義理堅(ぎりがた)くて、(むら)(ほめ)ものなのであるが、()次男(じなん)小助(こすけ)(うま)れついたのらくらもの。晝間(ひるま)納屋(なや)(なか)鎭守(ちんじゆ)(もり)日蔭(ひかげ)ばかりをうろつく(やつ)夜遊(よあそ)びは(まを)すまでもなし。(いろ)(しろ)いのを大事(だいじ)がつて、田圃(たんぼ)(とほ)るにも編笠(あみがさ)でしよなりと()る。炎天(えんてん)()草取(くさとり)などは(おも)ひも()らない。

 兩親(りやうしん)(あに)意見(いけん)などは、(あし)()(かぜ)ほども()()みないで、朋輩(ほうばい)同士(どうし)には、何事(なにごと)にも、()きに()の、(おれ)(おれ)ががついて《まは》つて、あゝ、()()ならばな、と口癖(くちぐせ)のやうに()ふ。(もつと)先祖(せんぞ)武家出(ぶけで)であらうが、如何(いか)にも(くだん)の、()()ならばが、(とも)だちの(みゝ)(さは)つて聞苦(きゝぐる)しい。自然(しぜん)につきあつて(あそ)ぶものも(すく)なくなる。對手(あひて)もなければ小遣(こづかひ)もなく、まさか小盜賊(こどろばう)をするほどに、當人(たうにん)氣位(きぐらゐ)(たか)いから()()てられず。(うち)にのら/\として()れば、兩親(りやうしん)(もと)より、如何(いか)(ひと)()いわ、と()つて(あに)じや(ひと)手前(てまへ)据膳(すゑぜん)突出(つきだ)して、小楊枝(こやうじ)奧齒(おくば)加穀飯(かてめし)をせゝつては()られぬ(ところ)から、(いろ)ツぽく(むね)(おさ)へて、こゝがなどと(いた)がつて、溜息(ためいき)つく/″\と(ふさ)いだ顏色(がんしよく)

 これが、丸持(まるもち)祕藏子(ひぞつこ)だと、匙庵老(さじあんらう)(みやく)()つて、氣鬱(きうつ)(しやう)でごわす、()とお氣晴(きばらし)を、と()て、()ぐに野幇間(のだいこ)變化(ばけ)(やつ)父親(ちゝおや)合點(がてん)母親(はゝおや)承知(しようち)で、向島(むかうじま)花見(はなみ)(かへ)りが夜櫻見物(よざくらけんぶつ)()つて、おいらんが、初會惚(しよくわいぼ)れ、と()寸法(すんぱふ)()るのであるが、耕地(かうち)二十石(にじつこく)百姓(ひやくしやう)次男(じなん)では()うは()かない。

 新田(しんでん)太郎兵衞(たろべゑ)がうまい(こと)()つた。小助(こすけ)(ふさ)ぐなら蚯蚓(みゝず)(せん)じて()ませろと。(なに)が、(くすり)だと(すゝ)めるものも、やれ赤蛙(あかがへる)()(こと)の、蚯蚓(みゝず)()(こと)の、生姜(しやうが)()れずの煎法(せんぱふ)で。小判(こばん)(どころ)か、一分(いちぶ)(ひと)()してくれる相談(さうだん)がない(ところ)から、むツとふくれた頬邊(ほゝべた)が、くしや/\と(つぶ)れると、納戸(なんど)(はひ)つてドタリと()る。所謂(いはゆる)フテ()()ふのである。

 が、(おや)慈悲(じひ)廣大(くわうだい)で、ソレ(まくら)()いて()たと()ると、()()りや(おき)る、と()てては()かぬ。

 (そば)()いて()看病(かんびやう)するにも、(あそ)()はない百姓(ひやくしやう)(いそが)しさ。一人(ひとり)(はふ)()して()いた(ところ)で、留守(るす)(やま)から(さる)()て、沸湯(にえゆ)行水(ぎやうずゐ)使(つか)はせる憂慮(きづかひ)(けつ)してないのに、(たれ)かついて()らねばと()(なさけ)から、家中(うちぢう)野良(のら)()(ところ)を、(よめ)一人(ひとり)あとへ(のこ)して、越中(ゑつちう)藥賣(くすりうり)(ふくろ)()れて()いて()く、(くすり)ながら、()(やさ)しい()から()ませるやうに(はか)らつたのである。

 (よめ)はお(つや)()つて、同國(どうこく)(いち)(みや)百姓(ひやくしやう)喜兵衞(きへゑ)(むすめ)で、(あに)元太郎(もとたらう)(これ)女房(にようばう)(たば)(がみ)で、かぶつては()るけれども、色白(いろじろ)眉容(きりやう)(うつく)しいだけに身體(からだ)(よわ)い。ともに身體(からだ)(やす)まして()(らく)をさせようと()ふ、(それ)にも(しうと)たちの(なさけ)はあつた。しかし(はく)のついた次男(じなん)どのには、(とん)蝶々(てふ/\)菜種(なたね)(はな)見通(みとほ)しの春心(はるごころ)納戸(なんど)(つめ)()がずに()ようか。

 (もつと)(それ)までにも、小當(こあた)りに(あた)ることは、板屋(いたや)(はし)團栗(どんぐり)(こと)ならずで、蜘蛛(くも)()(ごと)袖褄(そでつま)()いて()たのを、(やなぎ)(かぜ)()けつ(なが)しつ、擦拔(すりぬ)ける()()せて()(ところ)義理(ぎり)ある(おとうと)内氣(うちき)(をんな)。あけては(をつと)にも()げられねば、病氣(びやうき)介抱(かいはう)(ことわ)ると()ふわけに()かないので、あい/\と、(うち)(のこ)(こと)()つたのは、(まないた)のない人身御供(ひとみごくう)(おな)(こと)で。

 (たゝみ)のへりも(へび)か、とばかり、我家(わがや)(うち)もおど/\しながら二日(ふつか)無事(ぶじ)()ぎた、と()ふ。三日目(みつかめ)午過(ひるす)ぎ、やれ(かゆ)()ろの、おかう/\を(こまか)くはやせの、と()病人(びやうにん)が、何故(なぜ)一倍(いちばい)氣分(きぶん)(わる)いと、午飯(おひる)()べないから、()打棄(うつちや)つては()かれない。

 (くすり)(せん)じて、(ぼん)()げたが、()(しろ)い。お(つや)が、納戸(なんど)()つて()く、と蒲團(ふとん)()()ながら()()した。

(ねえ)さん、(なん)所爲(せゐ)(わたし)(わづら)つて()ると(おも)つて(くだ)さる、生命(いのち)(つゞ)かぬ、(あま)りと()へば(なさけ)ない。人殺(ひとごろ)し。」

 と(うな)つて、矢庭(やには)抱込(だきこ)むのを、引離(ひきはな)す。むつくり起直(おきなほ)る。

「あれえ。」

 と()げる、(すそ)(つか)んで、ぐいと()かれて、()(かば)()でばつたり(たふ)れる。

「さあ、斷念(あきら)めろ、(こゑ)()てるな、(ひと)()()りや(まこと)()うでも、(むし)のついた(はな)(えだ)だ。」

 と()(ところ)へ、千種(ちぐさ)はぎ/\の股引(もゝひき)で、ひよいと(かへ)つて()たのは(あに)じや(ひと)元太郎(もとたらう)で。これを()ると是非(ぜひ)()はず、(だま)つてフイと消失(きえう)せるが(ごと)()(しま)つた。

 お(つや)(しに)ものぐるひな、小助(こすけ)突飛(つきと)ばしたなり、(ちや)()()げた。が、(かべ)(すみ)へばつたり(たふ)れたまゝ突臥(つツぷ)して、(なに)()つてもたゞさめ/″\と()くのである。

 家中(うちぢう)なめた(をとこ)でも、(むら)がある。世間(せけん)がある。(あに)じやに見着(みつ)かつた(うへ)からは安穩(あんのん)(むら)には()られぬ、と(おも)ふと、(てら)和尚(をしやう)まで一所(いつしよ)()つて、(いま)にも兩親(りやうしん)をはじめとして、ドヤ/\押寄(おしよ)せて()さうに(おも)はれ、さすがに小助(こすけ)(あわたゞ)しく、二三枚(にさんまい)()ものを始末(しまつ)して、風呂敷包(ふろしきづつ)みを(こしら)へると、()ぐに我家(わがや)駈出(かけだ)さうとして、(ゆき)がけの駄賃(だちん)に、(なん)と、姿(すがた)(こゝろ)消々(きえ/″\)()つて()いて()るお(つや)(おび)()一度(いちど)ぐい、と()いた。

「ひい。」

 と()脊筋(せすぢ)のあたりを、土足(どそく)にかけて、ドンと()むと、ハツと(もだ)えて()げた(かほ)へ、

「ペツ、澁太(しぶと)阿魔(あま)だ。」

 としたゝかに(たん)をはいて、せゝら(わら)つて、

身體(からだ)はきれいでも(つら)(よご)れた、(ざま)()ろ。おかげで草鞋(わらぢ)穿()かせやがる。」

 と、跣足(はだし)でふいと()たのである。

 たとひ膚身(はだみ)(けが)さずとも、(をつと)()()れた、と()ひ、(はづか)しいのと、口惜(くやし)いのと、(あさ)ましいので、かツと一途(いちづ)取逆上(とりのぼ)せて、お(つや)()()兩親(りやうしん)たち、(をつと)のまだ(かへ)らぬ(うち)に、扱帶(しごき)にさがつて、(そで)はしぼんだ。あはれ、(あに)元太郎(もとたらう)は、何事(なにごと)()(ふり)()ます()で、何時(いつも)より(かへ)つて(おそ)くまで野良(のら)()(かへ)らないで()たと()ふのに。

 却説(さて)小助(こすけ)は、(いへ)()()(あし)で、(おな)(むら)山手(やまて)()つた。こゝに九兵衞(くへゑ)()ふものの(むすめ)にお(あき)()ふ、()(とし)十七になる野上一郡(のがみいちぐん)評判(ひやうばん)容色(きりやう)()し。

 (をとこ)女蕩(をんなた)らしの浮氣(うはき)もの、近頃(ちかごろ)(あによめ)年増振(としまぶり)()()けて、多日(しばらく)遠々(とほ/″\)しくなつて()たが、()一二年(いちにねん)(ふか)馴染(なじ)んで()たのであつた。

 ()()から、路銀(ろぎん)算段(さんだん)をする料簡(れうけん)。で、呼出(よびだ)しを()ける()の、勝手(かつて)()つた裏口(うらぐち)へ《まは》つて、垣根(かきね)から(のぞ)くと、長閑(のどか)()障子(しやうじ)()けて、背戸(せど)にひら/\と蝶々(てふ/\)()ぶのを()ながら、(かべ)(くろ)陰氣(いんき)納戸(なんど)に、恍惚(うつとり)ともの(おも)はしげな(かほ)をして()をなよ/\と(わす)れたやうに、(しづか)に、絲車(いとぐるま)を《まは》して()ました。眞白(まつしろ)(うで)について、綿(わた)がスーツと()びると、可愛(かはい)(てのひら)でハツと()げたやうに絲卷(いとまき)にする/\と(しろ)(まつ)はる、娘心(むすめごころ)(えにし)(いろ)を、()(てふ)()()めたさう。(せき)をすると、(じつ)()るのを、もぢや/\と(ゆび)(うご)かして(まね)くと、飛立(とびた)つやうに(ひざ)()てたが、綿(わた)(そつ)(した)()いて、立構(たちがま)へで四邊(あたり)()たのは、母親(はゝおや)(うち)だと()える。

 首尾(しゆび)は、しかし(わる)くはなかつたか、()ぐにいそ/\と()()るのを、垣根(かきね)にじり/\と()ちつけると、(かほ)()て、(だま)つて、(うら)めしい()をしたのは、日頃(このごろ)遠々(とほ/″\)しさを、()はぬが()ふに(いや)(まさ)ると()娘氣(むすめぎ)(やさ)しい(ところ)

「おい、早速(さつそく)だがね、()(とほ)りだ。」

 と、眞中(まんなか)(ゆは)へた(つゝみ)()せる、と(たび)()つて()顏色(かほいろ)(かは)()(よわ)いのを、(やつこ)附目(つけめ)で、

(なに)もいざこざはない、(はなし)(かへ)つて()てゆつくりするが、(これ)から()ぐに筑波山(つくばさん)參詣(さんけい)だ。友達(ともだち)附合(つきあひ)でな、退引(のつぴき)ならないで出掛(でか)けるんだが、お(あき)さん、お(まへ)呼出(よびだ)したのは(ほか)(こと)ぢやない、路用(ろよう)(ところ)だ。何分(なにぶん)(をとこ)づくであつて()れば、差當(さしあた)懷中(ふところ)都合(つがふ)(わる)いから、()()ばしてくれろとも()へなからうではないか。()うかと()つて、(べつ)都合(つがふ)はつかないんだから、()(とほ)支度(したく)だけ(いそ)いでして、お(まへ)(あて)にからつぽの財布(さいふ)()()た。()うにか、お(まへ)是非(ぜひ)算段(さんだん)をしてくんねえ。でねえと、身動(みうご)きはつかないんだよ。」

 お(あき)(なに)()一時(いつとき)の、女氣(をんなぎ)()(なみだ)ぐんで、

「だつて、(わたし)には。」

 と(みな)まで()はせず、(にが)(かほ)して、

承知(しようち)だよ、承知(しようち)だよ。お鳥目(てうもく)がねえとか、小遣(こづかひ)()たねえとか()ふんだらう。(はたらき)のねえ(やつ)(きま)つて()ら、と()()つては()まないのさ。其處(そこ)はお(あき)さんだ。何時(いつ)もたしなみの()いお(まへ)だから、心得(こゝろえ)ておいでなさらあ、ね、其處(そこ)はお(あき)さんだ。」

「あんな(こと)()つて、お(まへ)さん(また)おだましだよ。筑波(つくば)へお(まゐ)りぢやありますまい。博奕(ばくち)元手(もとで)か、()うでなければ、瓜井戸(うりゐど)(だれ)さんか、意氣(いき)女郎衆(ぢよらうしう)(かほ)()においでなんだよ。」

(だま)つて()きねえ、厭味(いやみ)()加減(かげん)()つて()け。此方(こつち)其處(そこ)どころぢやねえ、(をとこ)()つか()たないかと()羽目(はめ)なんだぜ。友達(ともだち)(かほ)(つぶ)れては、()()(むら)には()られねえから、當分(たうぶん)(これ)がお(わか)れに()らうも()れねえ。隨分(ずゐぶん)達者(たつしや)()てくんねえよ。」

 と緊乎(しつかり)()()る、と(きふ)樣子(やうす)(かは)つて、()をしばたゝいたのが、田舍(ゐなか)(むすめ)には、十分(じふぶん)(うれひ)()いたから、惚拔(ほれぬ)いて()(をとこ)(こと)、お(あき)出來(でき)(うち)にも考慮(しあん)して、

小助(こすけ)さん、()みませんが、(それ)だけれど(わたし)鳥目(てうもく)()ちません。(なに)(しな)もので()()はせておくんなさいまし。(それ)だと()うにかしますから。」

「……()いとも、(しろ)もの結構(けつこう)だ。お(まへ)眞個(ほんと)にお(かげ)さまで(をとこ)()つぜ。」

 と、そやし()てた。(たる)たけ(ひと)()()たないやうに、と(をとこ)()(かげ)に、しばしとて、お(あき)(また)前後(あとさき)()ながら(うち)(はひ)つたから、しめたと、北叟笑(ほくそゑみ)をして()つと、しばらく(ひま)()れて、やがて駈出(かけだ)して()て、()(わた)したのが手織木綿(ておりもめん)綿入(わたいれ)一枚(いちまい)。よく/\であつたと()えて、(はづか)しさうに差俯向(さしうつむ)く。

 ()横顏(よこがほ)憎々(にく/\)しい()覗込(のぞきこ)んで、

(なん)だ、これは、(しな)ものと()つたのは、お(まへ)()(こと)か。お(まへ)()(こと)か。(しな)ものと()つたのは、()()はせると()ふのは(これ)かな、えゝお(あき)さん。」

 (むすめ)はおど/\して、

(かあ)さんが(うち)だから、()其外(そのほか)には()やうがないもの、(わたし)。」

(これ)ぢや()うにも仕樣(しやう)がねえ。とても出來(でき)ねえものなら仕方(しかた)はねえが、()(ちつ)と、これんばかしでも都合(つがふ)をしねえ、急場(きふば)だから、(おれ)生死(いきしに)(さかひ)()ふのだ。」

 ()()(うへ)は、とお(あき)(をとこ)のせり()めた劍幕(けんまく)と、(はたら)きのない(をんな)だと愛想(あいそ)()かされようと(おも)憂慮(きづかひ)から、前後(ぜんご)辨別(わきまへ)もなく、()()棒縞(ぼうじま)(あはせ)()いで()すつもりで、()(かげ)ではあつたが、(かき)(そと)で、(おび)下〆(したじめ)もする/\と(ほど)いたのである。

 先刻(さつき)から、出入(ではひ)りのお(あき)素振(そぶり)に、()()けた、爐邊(ろべり)()ものをして()母親(はゝおや)が、戸外(おもて)手間(てま)()れるのに、フト心着(こゝろづ)いて、

(あき)は、あの()や。」

 と(こゑ)()けて()ぶと、(おも)ふと、()うすた/\と草履(ざうり)()た。

「あれ、(それ)は、」

 と()ふ、(おび)まで引手奪(ひつたく)つて、(あはせ)一所(いつしよ)に、ぐる/\と引丸(ひんまろ)げる。

(あき)やあ。」

「あゝい。」

 と震聲(ふるへごゑ)で、(あわ)てて、むつちりした(ちゝ)(した)へ、扱帶(しごき)()つて()きつけながら、身體(からだ)ごとくる/\と顛倒(てんだう)して《まは》る(ところ)へ、づかと()母親(はゝおや)(おどろ)いて、白晝(まつぴるま)茜木綿(あかねもめん)、それも(ひざ)から(うへ)ばかり。

()狐憑(きつねつき)が。」

 と(かつ)()ると、躍上(をどりあが)つて、黒髮(くろかみ)引掴(ひツつか)むと、(ゆき)なす(はだ)(どろ)(うへ)引倒(ひきたふ)して、ずる/\と(うち)引込(ひきこ)む。

「きい。」

 と()くのが、身體(からだ)縁側(えんがは)(はし)()つて、()のまゝ納戸(なんど)絲車(いとぐるま)(うへ)へ、眞綿(まわた)(ひしや)いだやうに捻倒(ねぢたふ)されたのを、松原(まつばら)から伸上(のびあが)つて、菜畠越(なばたけごし)に、(とほ)くで()て、(した)()いて、(かすみ)がくれの鼻唄(はなうた)で、(こゝろざ)(みやこ)振出(ふりだ)しの、瓜井戸(うりゐど)宿(しゆく)(いそ)いだ。

 が、()(あひだ)に、(おな)瓜井戸(うりゐど)(はら)()ふのがある。(これ)なん(たて)四里八町(よりはつちやう)(よこ)三里(さんり)(あま)る。

 (むら)から松並木(まつなみき)(ひと)()した、()(はら)取着(とツつ)きに、(かた)ばかりの建場(たてば)がある。こゝに()をくふ平吉(へいきち)()博奕仲間(ぶちなかま)(たの)んで、()(あはせ)綿入(わたいれ)一枚(いちまい)づゝ、(おび)()へて質入(しちい)れにして、小助(こすけ)()(にぎ)つた金子(かね)が……一歩(いちぶ)としてある。(もつと)使(つかひ)をした、ならずの(へい)下駄(げた)どころか、足駄(あしだ)穿()いたに(ちが)ひない。

 ()一歩(いちぶ)に、()のかはを()かれたために、最惜(いとし)や、お(あき)繼母(まゝはゝ)には手酷(てひど)折檻(せつかん)()ける、垣根(かきね)(そと)()(した)で、晝中(ひるなか)(おび)()いたわ、と村中(むらぢう)是沙汰(これざた)は、(わか)(をんな)堪忍(たへしの)ばれる(はぢ)ではない。お(あき)()とも()かず(ひる)とも()らず朧夜(おぼろよ)迷出(まよひい)でて、あはれ十九を一期(いちご)として、同國(どうこく)浦崎(うらざき)()(ところ)入江(いりえ)(やみ)()(しづ)めて、(あし)刈根(かりね)のうたかたに、()黒髮(くろかみ)()らしたのである。

 (とき)に、一歩(いちぶ)路用(ろよう)(とゝの)へて、平吉(へいきち)がおはむきに、()(なゝ)ツさがりだ、掘立小屋(ほつたてごや)でも一晩(ひとばん)(とま)んねな兄哥(あにい)、と()つてくれたのを、いや、瓜井戸(うりゐど)娼妓(おいらん)()つて()らと、(れい)(おれ)が、でから見得(みえ)()つた。内心(ないしん)には、(あによめ)(つや)(こと)(また)(あき)(こと)、さすがに()(こと)をしたと(おも)はないから、村近(むらぢか)だけに(あし)のうらが(くすぐつた)い。ために夕飯(ゆふはん)(さう/\)燒鮒(やきぶな)(したゝ)めて、それから野原(のはら)(かゝ)つたのが、(かれ)これ(よる)十時過(じふじすぎ)になつた。

 若草(わかくさ)ながら曠野(ひろの)一面(いちめん)渺々(べう/\)として(はて)しなく、(かすみ)()けてしろ/″\と、亥中(ゐなか)(つき)は、さし(のぼ)つたが、葉末(はずゑ)()かるゝ(われ)ばかり、(きつね)提灯(ちやうちん)()えないで、時々(とき/″\)むら(くも)のはら/\と(かゝ)るやうに、處々(ところ/″\)(くさ)(うへ)()めるのは、野飼(のがひ)(こま)(かげ)がさすのである。

 小助(こすけ)前途(ゆくて)見渡(みわた)して、(これ)から突張(つツぱ)つて()()して、瓜井戸(うりゐど)宿(しゆく)(はひ)つたが、十二時(こゝのつ)()したと()つては、旅籠屋(はたごや)(おこ)しても()めてはくれない。たしない路銀(ろぎん)女郎屋(ぢよらうや)()ふわけには()かず、まゝよ、とこんな(こと)は、さて()れたもので、根笹(ねざさ)()けて、(くさ)(まくら)にころりと()たが、如何(いか)にも()(つき)

 (はる)()ながら()えるまで、(かげ)(くさ)()くのである。()(あかり)()()すので、(かさ)()つて引被(ひきかぶ)つて、(あし)踏伸(ふみの)ばして、(ねむ)りかける、とニヤゴと()いた、()きそれが、耳許(みゝもと)で、小笹(こざさ)()

「や、念入(ねんい)りな(ところ)まで()つて()()てやあがつた。野猫(のねこ)()(こと)のない原場(はらつぱ)だが。」

 ニヤゴと(また)()く。(みゝ)についてうるさいから、シツ/\などと()つて、()ながら兩手(りやうて)でばた/\と()つたが、矢張(やつぱり)(きこ)える。ニヤゴ、ニヤゴと續樣(つゞけざま)

「いけ可煩(うるせ)畜生(ちくしやう)ぢやねえか、畜生(ちくしやう)!」

 と怒鳴(どな)つて、(かさ)(はら)つて、むつくりと半身(はんしん)起上(おきあが)つて、()かして()ると、(なに)()らぬ。()(くせ)四邊(あたり)にかくれるほどな、()()びた(くさ)(かげ)もない。(つき)皎々(かう/\)として眞晝(まひる)かと(うたが)ふばかり、(はら)一面(いちめん)蒼海(さうかい)()ぎたる景色(けしき)

 ト(いかり)一具(ひとつ)(すわ)つたやうに、(あひだ)十間(じつけん)ばかり(へだ)てて、薄黒(うすぐろ)(かげ)(おと)して、(くさ)(なか)でくる/\と《まは》る(くるま)がある。はて、何時(いつ)()に、あんな(ところ)水車(みづぐるま)()けたらう、と(じつ)()かすと、()うやら(いと)()(くるま)らしい。

 白鷺(しらさぎ)がすうつと(くび)()ばしたやうに、(くるま)のまはるに(したが)うて眞白(まつしろ)(いと)(つも)るのが、まざ/\と()える。

 何處(どこ)かで、ヒイと()(さけ)ぶうら(わか)(をんな)(こゑ)

 お(あき)納戸(なんど)()姿(すがた)を、猛然(まうぜん)思出(おもひだ)すと、矢張(やつぱ)鳴留(なきや)まぬ(ねこ)()(こゑ)が、(かね)ての馴染(なじみ)でよく()つた。お(あき)撫擦(なでさす)つて、可愛(かはい)がつた、(くろ)、と()(ねこ)(こゑ)寸分(すんぶん)(たが)はぬ。

(ゆめ)だ。」

 と(おも)ひながら、瓜井戸(うりゐど)()眞中(まんなか)に、一人(ひとり)(あたま)から悚然(ぞつ)とすると、する/\と(かすみ)()びるやうに、(かたち)()えないが、自分(じぶん)()まはりに(からま)つて()(ねこ)()(はう)へ、(まね)いて手繰(たぐ)られるやうに絲卷(いとまき)から(いと)()いたが、(はゞ)も、(たけ)も、(さつ)一條(ひとすぢ)伸擴(のびひろ)がつて、(かた)一捲(ひとまき)(どう)(から)んで、

「わツ。」

 と掻拂(かつぱら)()を、ぐる/\()きに、二捲(ふたまき)()いてぎり/\と咽喉(のど)()める、()(しめ)らるゝ(くる)しさに、うむ、と(うめ)いて、(あし)(そら)ざまに仰反(のけぞ)る、と、膏汗(あぶらあせ)身體(みうち)(しぼ)つて、(さつ)()(かぜ)()()めた。

 (くさ)(まくら)()のまゝで、(はや)しら/\と()(しら)む。(こま)(たてがみ)がさら/\と、(あさ)かつらに(ゆら)いで()える。

 (おそろ)しいよりも、(ゆめ)()れて(うれ)しさが(さき)()つた。暫時(しばらく)茫然(ばうぜん)として()た。が、膚脱(はだぬ)ぎに()つて冷汗(ひやあせ)をしつとり()いた。()手拭(てぬぐひ)(むか)顱卷(はちまき)、うんと()めて()確乎(しつかり)持直(もちなほ)して、すた/\と歩行出(あるきだ)した。

 ――こんなのが、()(ごろ)、のさ/\と(みやこ)入込(いりこ)む。

明治四十五年一月

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