迷信解

10話 迷信解 第一〇段 鬼門、方位のこと

2,886字 約6分 2010年8月13日 公開

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 民間にて最も人の信ずるは鬼門、方位の迷信である。その迷信は、建築、移転等に鬼門を犯し方位に逆らうときは、必ず天災、病死等の災害ありと信じておることじゃ。まず、鬼門の説明より始むるに、そのことはシナの古書に出でたる俗説にして、(ごう)も信ずるに足らぬ妄談である。多分その起こりは『海外経(かいがいきょう)』であろうと思うが、その書中に「東海の中に山あり。その上に大なる桃樹(とうじゅ)ありて、その枝が横にはびこり、三千里の間にわたるという。その東北に門あり。これを鬼門と名づく。万鬼の集まる所なり」と見えておる。これが鬼門の起源であるとのことじゃ。実に笑うべきの至りである。かかる妄説がシナより日本に伝わり、上下一般にその方位を忌み、かつ恐るるようになり、建築、移転のみならず、その方角に向かって便所を設け塵塚(ちりづか)を置くことまで固く禁ぜられておる。陰陽家の弁解するところにては、この方角は陰悪の気の集まる所なれば、極めて凶方なりといい、あるいはその方角は、万物極まりてまた生ずる方にして天地の苦しむ所なれば、これを避くるなりとの説明もあれども、多少の知識あるものは、いかに信じたくも信ずることはできない。

 まず、これを地球上に考うるに、東北隅の方位の不吉なる道理は決してないはずである。たとえ地球の上に東西南北の別あるも、これもとよりたとえに過ぎぬ。もし出でて地球外に至らば、宇宙そのものの上には東西もなければ南北もない。また地球上に住するも、その位置の異なるに従って方位も異なるわけじゃ。赤道直下にあるときと北極付近にあるときとは、鬼門の方位が大層違ってくる。もし正しく北極の中点に立つときは、いずれを指して東北隅と定むるや。決して定むることはできぬ。ことに地球は昼夜回転して休まざるものなれば、東西南北の方位も、これとともに時々刻々その方向を転ずる道理である。されば、方位を定めたくも定むることができぬに相違ない。しかるに、これに対して方位の吉凶を談ずるがごときは、迷信中のはなはだしきものといわねばならぬ。仏語に「迷うがゆえに三界(さんがい)常あり、悟るがゆえに十方空なり。本来東西なし。いずれの所にか南北あらん」とあるは、鬼門の迷信を諭すに最も適切の偈文(げもん)であると思う。

 方位を考えて吉凶を判ずる法を方鑑と名づけ、これに関する書物もたくさんあるが、その判断は多くは五行を方位の上に配合し、相生(そうしょう)相剋(そうこく)を考えて吉凶を定むるのじゃ。これらの書中に説くところによるに、「およそ事に好悪あり、方に吉凶あり。そのいやしくも吉方に合するときは、富貴を招き、官禄を進め、田財をまし、貴子を生ずる等、無量の吉徳をあらわす。また凶方に合するときは、必ず困窮を招き、家運傾き、親族離れ、病災を発し、死亡に及ぶ、云云(うんぬん)」と説いてある。実に笑うべきの至りと申してよろしい。

 従来の暦書には方位の吉凶を掲げ、人多くこれに照らして判断することなるが、その第一は歳徳(としとく)と申すものじゃ。これは年中の有徳の方角にして、万福のきたり集まる吉方であると申しておる。その方角が年によりて違う。これ、その年の十干によりて定むる故である。また八将神(はっしょうじん)と申すものがある。すなわち、太歳(たいさい)神、大将軍(だいしょうぐん)大陰(だいおん)神、歳刑(さいぎょう)神、歳破(さいは)神、歳殺(さいせつ)神、黄幡(おうばん)神、および豹尾(ひょうび)神の八神である。その縁起を見るに、歳徳神は南海の沙竭羅竜王(さからりゅうおう)の御娘にして天下第一の美人なるゆえに、牛頭天王(ごずてんのう)これをうけて(きさき)としたてまつり、八人の王子を産みたまえり。その王子が八将神であるというがごときは、だれありて信ずるものはなかろう。この八神のうち、世間にて最も喋々(ちょうちょう)するのは大将軍の方位である。大将軍は十二支を四方に配して、年々その方角を定むるものにて、これを俗に三年ふさがりと申しておる。八将神のほかに人の最も恐るるものは金神(こんじん)である。金神の由来につきては、一層ばからしき神話が伝えられておる。すなわち、「これより南三万里に国あり。夜叉(やしゃ)国という。その主を巨旦(こたん)という。悪鬼神なり。これを金神(こんじん)という。常に人を悩まして日本のあだとなる。このゆえに、牛頭天皇南海よりかえりたまうとき、八将神を遣わして討ち平げたまう。この巨旦は金性なるにより金神と名づく。金性のたましい七つあり。この七つのたましい七所にいて害をなす。ゆえに金神七殺という。殺はころすとよむ。よってこの方をおかせば、必ず七人取り殺すゆえ七殺ともいう。家に七人なければ隣をかぞえて殺すという」と説いてある。その方角は甲己(きのえつちのと)の年は午未申(うまひつじさる)の方にありて、乙庚(きのとかのえ)の年は辰戌(たついぬ)の方にありという。ただし、大将軍にも金神にも一定の遊行日(ゆうぎょうび)ありて、その日に限りて方角をおかすも害なしというは、最も笑うべき次第である。これを要するに、これらの神話は妄談を極めたるものなれば、もとより取るに足らぬ。そのうえに、方位の上に十干、十二支の五行を配合して吉凶を説くものなれば、その不道理なること、前に述べたる五行の説明によりて明らかである。かかる方違(かたたが)い、方塞(かたふた)がりを忌み嫌うことは、元来シナより伝わりたるに相違なきも、わが国にてもずいぶん古代より行われたるように見ゆ。もとより、正しき書物の中には見当たらざれども、雑書のうちに出ずるところより推すに、源平時代より以前にありしに相違ない。その当時は高位貴顕のそばに婦女子の()しいて、雑説、奇談をその君に申し上げ、方位、方角などを女子とともに忌み嫌うことになりたりとの説もあるが、多分そのようなることより、上下一般に信ずるに至りたるならん。昔はとにかく、今日なおかかる迷信を信ずるものあるは、実に文明国の名に対して恥ずべきことである。

 わが国に行わるる吉凶鑑定法に二種の別がある。その一は人性につきて鑑定するもの、その二は方位につきて鑑定するものである。そのうち広く世間に行わるる九星術(きゅうせいじゅつ)天源術(てんげんじゅつ)淘宮術(とうきゅうじゅつ)のごときは人性鑑定法なるも、九星術のごときは方位にも関係あれば、ここに一言する必要ありと思う。もと九星は、シナの『河図洛書(かとらくしょ)』のうち「洛書」にもとづきたるものということじゃ。易の八卦は「河図」より起こり、九星の図は「洛書」より出でたりというも、真偽は定め難い。その数が一より九までありて、これに一白(いっぱく)二黒(じこく)三碧(さんぺき)四緑(しろく)五黄(ごおう)六白(ろっぱく)七赤(しちせき)八白(はっぱく)九紫(きゅうし)の名を付し、これを年に配し月に配し、日および時に配し、かつ、これを五行生剋の理に考え、人の生年月を繰りて吉凶を鑑定する規則である。しかるに、この星を方位に配当して吉凶を判ずることがある。例えば、「一白の人の星は北方をつかさどり、三碧の人の星は東方をつかさどる、云云(うんぬん)」と説きて方位の鑑定をするも、その信ずるに足らざることは説明するに及ばぬ。つぎに、天源術は易筮(えきぜい)と九星とにもとづき、これと大同小異なるものにて、やはり五行の理に考え、人の生年月につきて判断を下すものである。つぎに、淘宮術は天源術より出でたるものにて、もっぱら十二支にもとづき、人の生年月によりてその資性、命運を判定し、もって治心の要法としたるものである。これらはいちいち弁明せずとも、元来五行の妄説にもとづきたる以上は、考うるに足らざることは明らかである。

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