10話 迷信解 第一〇段 鬼門、方位のこと
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民間にて最も人の信ずるは鬼門、方位の迷信である。その迷信は、建築、移転等に鬼門を犯し方位に逆らうときは、必ず天災、病死等の災害ありと信じておることじゃ。まず、鬼門の説明より始むるに、そのことはシナの古書に出でたる俗説にして、毫も信ずるに足らぬ妄談である。多分その起こりは『海外経』であろうと思うが、その書中に「東海の中に山あり。その上に大なる桃樹ありて、その枝が横にはびこり、三千里の間にわたるという。その東北に門あり。これを鬼門と名づく。万鬼の集まる所なり」と見えておる。これが鬼門の起源であるとのことじゃ。実に笑うべきの至りである。かかる妄説がシナより日本に伝わり、上下一般にその方位を忌み、かつ恐るるようになり、建築、移転のみならず、その方角に向かって便所を設け塵塚を置くことまで固く禁ぜられておる。陰陽家の弁解するところにては、この方角は陰悪の気の集まる所なれば、極めて凶方なりといい、あるいはその方角は、万物極まりてまた生ずる方にして天地の苦しむ所なれば、これを避くるなりとの説明もあれども、多少の知識あるものは、いかに信じたくも信ずることはできない。
まず、これを地球上に考うるに、東北隅の方位の不吉なる道理は決してないはずである。たとえ地球の上に東西南北の別あるも、これもとよりたとえに過ぎぬ。もし出でて地球外に至らば、宇宙そのものの上には東西もなければ南北もない。また地球上に住するも、その位置の異なるに従って方位も異なるわけじゃ。赤道直下にあるときと北極付近にあるときとは、鬼門の方位が大層違ってくる。もし正しく北極の中点に立つときは、いずれを指して東北隅と定むるや。決して定むることはできぬ。ことに地球は昼夜回転して休まざるものなれば、東西南北の方位も、これとともに時々刻々その方向を転ずる道理である。されば、方位を定めたくも定むることができぬに相違ない。しかるに、これに対して方位の吉凶を談ずるがごときは、迷信中のはなはだしきものといわねばならぬ。仏語に「迷うがゆえに三界常あり、悟るがゆえに十方空なり。本来東西なし。いずれの所にか南北あらん」とあるは、鬼門の迷信を諭すに最も適切の偈文であると思う。
方位を考えて吉凶を判ずる法を方鑑と名づけ、これに関する書物もたくさんあるが、その判断は多くは五行を方位の上に配合し、相生、相剋を考えて吉凶を定むるのじゃ。これらの書中に説くところによるに、「およそ事に好悪あり、方に吉凶あり。そのいやしくも吉方に合するときは、富貴を招き、官禄を進め、田財をまし、貴子を生ずる等、無量の吉徳をあらわす。また凶方に合するときは、必ず困窮を招き、家運傾き、親族離れ、病災を発し、死亡に及ぶ、云云」と説いてある。実に笑うべきの至りと申してよろしい。
従来の暦書には方位の吉凶を掲げ、人多くこれに照らして判断することなるが、その第一は歳徳と申すものじゃ。これは年中の有徳の方角にして、万福のきたり集まる吉方であると申しておる。その方角が年によりて違う。これ、その年の十干によりて定むる故である。また八将神と申すものがある。すなわち、太歳神、大将軍、大陰神、歳刑神、歳破神、歳殺神、黄幡神、および豹尾神の八神である。その縁起を見るに、歳徳神は南海の沙竭羅竜王の御娘にして天下第一の美人なるゆえに、牛頭天王これをうけて后としたてまつり、八人の王子を産みたまえり。その王子が八将神であるというがごときは、だれありて信ずるものはなかろう。この八神のうち、世間にて最も喋々するのは大将軍の方位である。大将軍は十二支を四方に配して、年々その方角を定むるものにて、これを俗に三年ふさがりと申しておる。八将神のほかに人の最も恐るるものは金神である。金神の由来につきては、一層ばからしき神話が伝えられておる。すなわち、「これより南三万里に国あり。夜叉国という。その主を巨旦という。悪鬼神なり。これを金神という。常に人を悩まして日本のあだとなる。このゆえに、牛頭天皇南海よりかえりたまうとき、八将神を遣わして討ち平げたまう。この巨旦は金性なるにより金神と名づく。金性のたましい七つあり。この七つのたましい七所にいて害をなす。ゆえに金神七殺という。殺はころすとよむ。よってこの方をおかせば、必ず七人取り殺すゆえ七殺ともいう。家に七人なければ隣をかぞえて殺すという」と説いてある。その方角は甲己の年は午未申の方にありて、乙庚の年は辰戌の方にありという。ただし、大将軍にも金神にも一定の遊行日ありて、その日に限りて方角をおかすも害なしというは、最も笑うべき次第である。これを要するに、これらの神話は妄談を極めたるものなれば、もとより取るに足らぬ。そのうえに、方位の上に十干、十二支の五行を配合して吉凶を説くものなれば、その不道理なること、前に述べたる五行の説明によりて明らかである。かかる方違い、方塞がりを忌み嫌うことは、元来シナより伝わりたるに相違なきも、わが国にてもずいぶん古代より行われたるように見ゆ。もとより、正しき書物の中には見当たらざれども、雑書のうちに出ずるところより推すに、源平時代より以前にありしに相違ない。その当時は高位貴顕のそばに婦女子の侍しいて、雑説、奇談をその君に申し上げ、方位、方角などを女子とともに忌み嫌うことになりたりとの説もあるが、多分そのようなることより、上下一般に信ずるに至りたるならん。昔はとにかく、今日なおかかる迷信を信ずるものあるは、実に文明国の名に対して恥ずべきことである。
わが国に行わるる吉凶鑑定法に二種の別がある。その一は人性につきて鑑定するもの、その二は方位につきて鑑定するものである。そのうち広く世間に行わるる九星術、天源術、淘宮術のごときは人性鑑定法なるも、九星術のごときは方位にも関係あれば、ここに一言する必要ありと思う。もと九星は、シナの『河図洛書』のうち「洛書」にもとづきたるものということじゃ。易の八卦は「河図」より起こり、九星の図は「洛書」より出でたりというも、真偽は定め難い。その数が一より九までありて、これに一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫の名を付し、これを年に配し月に配し、日および時に配し、かつ、これを五行生剋の理に考え、人の生年月を繰りて吉凶を鑑定する規則である。しかるに、この星を方位に配当して吉凶を判ずることがある。例えば、「一白の人の星は北方をつかさどり、三碧の人の星は東方をつかさどる、云云」と説きて方位の鑑定をするも、その信ずるに足らざることは説明するに及ばぬ。つぎに、天源術は易筮と九星とにもとづき、これと大同小異なるものにて、やはり五行の理に考え、人の生年月につきて判断を下すものである。つぎに、淘宮術は天源術より出でたるものにて、もっぱら十二支にもとづき、人の生年月によりてその資性、命運を判定し、もって治心の要法としたるものである。これらはいちいち弁明せずとも、元来五行の妄説にもとづきたる以上は、考うるに足らざることは明らかである。