迷信解

9話 迷信解 第九段 人相、家相および墨色のこと

3,338字 約7分 2010年8月13日 公開

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 八卦(はっけ)の筮法とともにわが国に行わるるものは五行(ごぎょう)の占法である。例えば、十干、十二支にて人の性質を判断するがごときは、五行の占法と申すものじゃ。天源術(てんげんじゅつ)九星術(きゅうせいじゅつ)淘宮術(とうきゅうじゅつ)などはこの占法に属しておる。人相、家相も五行にもとづきて組み立ててある。ゆえに、人相、家相のことを説く前に、五行の大意を述べなければならぬ。

 五行とは(もく)()()(きん)(すい)の五種にて、その名目は『書経』の中に出てあるけれど、これを一般に吉凶禍福の判断に用うるようになりたるは、秦漢の時代より後ならんと思う。五行家の説には、「天地は万物の父母、五行は天地の用」といいて、五行をもって天地万物の元素のごとくに信じておる。その気の天にありていまだ形を結ばざるを十種に分かちて十干と名づけ、その気の地にありて形をとりたるのを十二支とする。この十干、十二支を年月日に配合して、人の性質を鑑定し、かれは火の性である、これは水の性であるという。これを相生(そうしょう)相剋(そうこく)と申すことがある。すなわち、木は火を生ずるものとし、水は火に()つものとするの類にて、相生の方を吉とし、相剋の方を凶としてある。左にその表を掲ぐ。

    ┌木 (しょう) 火     ┌水 (こく) 火

    │火 生 土     │火 剋 金

相生大吉┤土 生 金 相剋大凶┤金 剋 木

    │金 生 水     │木 剋 土

    └水 生 木     └土 剋 水

 古来これに与うる説明を見るに、実に抱腹にたえざることが多い。木生火の説明に、古代は木を摩して火を取りたるものなれば、火は木より生じたるに相違ないといってある。また火生土とは、火にて物を焼けば灰となり、灰は土となるとの説明である。また金生水とは、鉱山を掘るには、鉱石の間より水出ずるとの説明じゃ。水生木とは、木は水の力を得て生い立つものじゃと説いてある。これらの説明に対しては、もとよりその妄を弁ずるまでにあらざるも、ただ一言を付するに、火はひとり木より生ずるにあらず、油(水)よりも生じ、石(金)よりも生ずることなれば、木生火と同時に、水生火とも金生火ともいうことができる。また、火にて物を焼けば、灰土となるというも、物の土に化するは必ずしも火によるにあらず、地に埋めて腐らせても土となる。かつ、火は変化の媒介となるまでにて、決して火そのものより土を生ずる道理はない。されば、火生土というは不都合の説である。また金生水の説明のごときは、愚の極みといってよろしい。水生木の説明に木は水によりて生長するというならば、木は日光(火)により土地によりて生長するによりて、水生木と同時に、火生木とも土生木ともいうことを得る道理じゃ。かくのごとく、相生、相剋の説が不道理を極めたるものなれば、これを人に配合して生剋を見、吉凶を判ずるの不都合なることはもちろん、これを信ずるものは実に愚もまたはなはだしといわねばならぬ。ことに今日にては、天地万物の元素は木火土金水にあらざることは、理化学の実験によりて明らかである。しかるに、これを五行となんらの関係なき年月に配合し、方角に配合し、人の五体、五官等に配合するにおいては、古代の妄想というよりほかなく、これを信ずるの迷信たるはむろんのことである。

 五行の妄説なること、すでにかくのごとしとすれば、世に男女の相性と称して、結婚のときに双方の生まれ歳を吟味するは愚の至りである。古来、民間にて「丙午(ひのえうま)の女は男を殺す」との(ことわざ)があるが、その意は、丙は陽火に当たり、午は南方の火に当たるゆえに、火に火を加えたるものなれば、その力、男を殺すべき性質であると申すことじゃ。笑うべきの至りである。あるいは病気のときに医者を迎うるに、医者の相性を見、町家で手代を雇うに、その相性を問うなど、いずれも愚の極みである。

 古来人相と称して、人の外貌(がいぼう)につきて、その人の運不運、吉凶を占定する法がある。これを細別すれば、面相術、骨相術、手相術、爪相術(そうそうじゅつ)等となる。これもとより信ずべからずといえども、古語に「思い内にあれば色外にあらわる」とあるがごとく、外貌のいかんによりて内心の情態を知ることができる道理である。されど、人相家のいうがごとく、外貌によりてその人の身上に何年何月ごろに災難がある、僥倖(ぎょうこう)がある等のことの分かるはずはない。まして人の身体を五行に配合して、吉凶を説くがごときは、妄誕を極めたるものである。面相術はわが国にてもっぱら行われておるも、諸家の伝うるところ一様にあらず。あるいは顔面全体につきて五行の相を定め、相生、相剋の吉凶を論ずるもあり、あるいは各部に五行を配合して、目を木とし、眉を火とし、口を土とし、鼻を金とし、耳を水として論ずるもあるが、いずれも不道理のはなはだしきものである。骨相術は頭蓋(ずがい)頂骨の形状を見て、その人の性質を判断する術にして、もっぱら西洋に行われておる。その説くところは日本の人相ほどにはなはだしからざるも、その判断があまり器械的にして、物差しをもって精神を測るがごときありさまなるは、笑うべきの至りである。手相術は東西ともに行わるるも、これまた同様に信ずることはできぬ。

 人相よりは一層広く世間に用いらるるものは家相である。家相に関連して地相も考うることになりおるが、宅地、住居が人の健康、衛生に関係あることは、学理の上よりも、事実の上よりも否定することはできぬから、地相、家相は全然排斥すべきではない。されども、今日の家相家の説くがごとく、あるいは五行に配合して吉凶を考え、あるいは鬼門、方位に照らして禍福を定め、門、窓、(かまど)、井戸、便所、土蔵、馬屋等に至るまで不道理の理屈をつけて、人家の幸不幸を考定するがごときは、決して信ずべき限りではない。その説くところ、衛生の規則にたがうことが多い。よって、家相などを信ずるは迷信といわねばならぬ。たとえその中に一、二の道理に合することあるも、八、九分どおりは妄説に属するなれば、迷信として排斥するが当然である。要するに、人が家相によりて災難を免れ、幸福を得たいとの望みを起こすのが、すでに横着の考えより出ておる。けだし、人生には吉事もあれば凶事もありて、いかなる王公貴人といえども、生涯不幸なく、幸福のみをうくることはできぬ。ただ、富を得んと思わば労苦をいとわず、辛抱して倹約するがよし、知識を得ようと思わば、学問を勉強するがよい。そのほかに富貴、知識を求むる道はない。また病気をいとうならば、平素衛生に注意し、長寿を願うならば、飲食を節制するが第一である。その上に災難がきたり病気に襲わるるとも、いわゆる天運のしからしむるところにして、人力のいかんともなし難きことなれば、人生の常態としてあきらむるよりほかはない。しかるを、その身に修むべきを修めず、務むべきを務めずして、一家一身の無病、長寿、安楽を祈るは、大なる心得違いである。いやしくも今日の文明世界に生まれたるものは、かかる迷信に陥らぬように心掛けねばならぬ。ここに参考のために、ある随筆に出でたる家相心得を示さば、「家相を正すというは、夏すずしく冬暖かに、奥より勝手向きの便利をよくし、盗賊、火災の防ぎ方を設け、低地の所は出水の手当ていたし、小破れを繕い、火の用心を大切にして住む家を、すなわち吉相の家とす」とあるは、おもしろき説明である。

 人相、家相のほかに、墨色(すみいろ)と名づくる一種の相法がある。これは相書あるいは相字法と名づくべきものにして、人の筆跡を見て吉凶の判断を下す法である。書は人の性質をあらわし、書を検してその人の気質のいくぶんを知ることあるは、あたかも面貌(めんぼう)につきて、その人の性質を判ずることを得ると同様である。ゆえに、相字法も全然排斥すべきにあらざるも、今日民間にて伝うるところの墨色なるものは、妄談を極めたるものにして、文字の墨色をみて、何年何月何日に剣難がある、火難がある、病気が起こる等の予言を与うることに定まっておる。かかる予言の決して当たるべき理はない。万一もし当たりたらば、偶然の暗合といわねばならぬ。かかる信ずべからざることを信ずるは、すべて迷信と申すものじゃ。せめて小学教育を受けたるものは、もはやかかる迷信に陥らぬようにせなければならぬ。

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