春着

2話 春着(2)

4,973字 約10分 2011年9月26日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 (かけはし)(ちん)で、(はるか)にポン/\とお()()る。へーい、と母家(おもや)から女中(ぢよちう)()くと、……(たれ)()ない。(いけ)(うめ)小座敷(こざしき)で、トーンと灰吹(はひふき)(たゝ)(おと)がする、(むすめ)()くと、……(かげ)()えない。――その料理屋(れうりや)を、(たぬき)がだましたのださうである。眉唾(まゆつば)眉唾(まゆつば)

 (もつと)もいま神樂坂上(かぐらざかうへ)割烹(かつぱう)魚徳(うをとく))の先代(せんだい)が(威張(ゐば)り)と()ばれて、「おう、うめえ(もの)()はねえか」と、(よつ)ぱらつて()るから盤臺(ばんだい)何處(どこ)かへ(わす)れて、天秤棒(てんびんぼう)ばかりを()りまはして歩行(ある)いた(ころ)で。……

 矢來邊(やらいへん)()は、たゞ(とほ)くまで、榎町(えのきちやう)牛乳屋(ぎうにうや)納屋(なや)に、トーン/\と(うし)跫音(あしおと)のするのが(ひゞ)いて、(いま)にも――いわしこう――酒井家(さかゐけ)裏門(うらもん)あたりで――眞夜中(まよなか)には――(いわし)こう――と三聲(みこゑ)()んで、(かたち)(かげ)()えないと()ふ。……(あや)しい(こゑ)(きこ)えさうな(さび)しさであつた。

(はる)()(かね)うなりけり九人力(くにんりき)

 それは、その(すもゝ)(はな)(はな)(すもゝ)(ころ)二階(にかい)一室(いつしつ)四疊半(よでふはん)だから、(せま)(えん)にも、段子(はしご)(うへ)(だん)にまで居餘(ゐあま)つて、わたしたち八人(はちにん)先生(せんせい)()はせて九人(くにん)一夕(いつせき)俳句(はいく)(くわい)のあつた(とき)(きよう)(じよう)じて、先生(せんせい)が、すゝ(いろ)古壁(ふるかべ)にぶつつけがきをされたものである。()(かたはら)に、おの/\の()がしるしてあつた。……神樂坂(かぐらざか)うらへ、(わたし)引越(ひつこ)(とき)、そのまゝ(のこ)すのは(をし)かつたが、(かべ)だから()うにも()らない。――いゝ鹽梅(あんばい)に、一人(ひとり)()(あひ)があとへ(はひ)つた。――(ほこり)()けないと()つて、大切(たいせつ)にして()た。

 ――五月雨(さみだれ)陰氣(いんき)一夜(あるよ)(さか)(うへ)から飛蒐(とびかゝ)るやうなけたゝましい跫音(あしおと)がして、格子(かうし)をがらりと突開(つきあ)けたと(おも)ふと、神樂坂下(かぐらざかした)()新宅(しんたく)二階(にかい)へ、いきなり飛上(とびあが)つて、一驚(いつきやう)(きつ)した(わたし)(つくゑ)(まへ)でハタと(かほ)()はせたのは、知合(しりあひ)のその(をとこ)で……眞青(まつさを)()つて()る。「大變(たいへん)です。」「……」「(ばけ)ものが()ます。」「……」「先生(せんせい)(かべ)のわきの、あの小窓(こまど)(ところ)(つくゑ)()いて、勉強(べんきやう)をして()りますと……()う、じり/\と(あかり)(くら)()りますから、ふいと()ますと、障子(しやうじ)硝子(がらす)一杯(いつぱい)ほどの(ねこ)(かほ)が、」と、()ぶるひして、「(かほ)ばかりの(ねこ)が、(すもゝ)()眞暗(まつくら)(なか)から――()(おほ)きさと()つたらありません。そ、それが五分(ごぶ)()がない、()(はな)(くち)一所(いつしよ)に、(ぼく)(かほ)とぴつたりと附着(くツつ)きました、――あなたのお住居(すまひ)時分(じぶん)から怪猫(ばけねこ)()たんでせうか……一體(いつたい)(ねこ)大嫌(だいきら)ひで、いえ可恐(おそろし)いので。」それならば爲方(しかた)がない。が、怪猫(ばけねこ)大袈裟(おほげさ)だ。五月闇(さつきやみ)に、(ねこ)屋根(やね)をつたはらないとは(たれ)()()よう。……(まど)()(のぞ)かないとは(かぎ)らない。しかし、可恐(おそろし)(ねこ)(かほ)と、不意(ふい)顱合(はちあは)せをしたのでは、(おどろ)くも無理(むり)はない。……「それで、矢來(やらい)から此處(こゝ)まで。」「えゝ。」と(いき)()いて、「夢中(むちう)でした……(なに)しろ、正體(しやうたい)を、あなたに(うかゞ)はうと(おも)つたものですから。」(いま)(むかし)山城介(やましろのすけ)三善春家(みよしはるいへ)は、(まへ)()蝦蟆(がま)にてや(あり)けむ、(くちなは)なん(いみじ)(おぢ)ける。――(なつ)(ころ)染殿(そめどの)辰巳(たつみ)(やま)木隱(こがく)れに、君達(きみたち)二三人(にさんにん)ばかり(すゞ)んだ(うち)に、春家(はるいへ)(まじ)つたが、()(ひと)()たりける(そば)よりしも、三尺許(さんじやくばか)りなる烏蛇(くろへび)這出(はひで)たりければ、春家(はるいへ)はまだ()がつかなかつた。(ところ)を、君達(きみたち)、それ()春家(はるいへ)。と、(そで)()(こと)一尺(いつしやく)ばかり。春家(はるいへ)(かほ)(いろ)(くち)(あゐ)のやうに()つて、一聲(ひとこゑ)あつと(さけ)びもあへず、()たんとするほどに二度(にど)(たふ)れた。すはだしで、その染殿(そめどの)(ひがし)(もん)より(はし)()で、(きた)ざまに(はし)つて、一條(いちでう)より西(にし)へ、西(にし)洞院(とうゐん)、それから(みなみ)へ、洞院下(とうゐんさがり)(はし)つた。(いへ)土御門西(つちみかどにし)洞院(とうゐん)にありければで、()()むと(ひと)しく(たふ)れた、と()ふのが、今昔物語(こんじやくものがた)りに()える。(とほ)きその(むかし)()らず、いまの(をとこ)は、牛込南榎町(うしごめみなみえのきちやう)東状(ひがしざま)(はし)つて、矢來(やらい)(なか)(まる)より、通寺町(とほりてらまち)肴町(さかなまち)毘沙門前(びしやもんまへ)(はし)つて、(みなみ)神樂坂上(かぐらざかうへ)(はし)りおりて、その(した)にありける露地(ろぢ)(いへ)飛込(とびこ)んで……打倒(うちたふ)れけるかはりに、二階(にかい)駈上(かけあが)つたものである。(あま)眞面目(まじめ)だから(わら)ひもならない。「まあ、落着(おちつ)きたまへ。――景氣(けいき)づけに一杯(いつぱい)。」「いゝえ、(かへ)ります。――成程(なるほど)(ねこ)屋根(やね)づたひをして、(まど)(のぞ)かないものとは(かぎ)りません。――(わか)りました。――いえ()うしては()られません。(ぼく)がキヤツと()つて、いきなり飛出(とびだ)したもんですから、(あれ)が。」と()ふのが情婦(いろ)で、「一所(いつしよ)にキヤツと()つて、跣足(はだし)露地(ろぢ)(くら)がりを飛出(とびだ)しました。それつ(きり)音信(いんしん)(わか)りませんから。」(あわ)てて(かへ)つた。――()知合(しりあひ)(たれ)とかする。やがて報知新聞(はうちしんぶん)記者(きしや)、いまは代議士(だいぎし)である、田中萬逸君(たなかまんいつくん)その(ひと)である。反對黨(はんたいたう)は、ひやかしてやるがいゝ。が、その()、もう一度(いちど)(おびや)かされた。眞夜中(まよなか)である。その(ころ)階下(した)()學生(がくせい)さんが、みし/\と二階(にかい)()ると、寢床(ねどこ)だつた(わたし)(まくら)もとで大息(おほいき)をついて、「(へん)です。……どうも(へん)なんです――縁側(えんがは)手拭掛(てぬぐひかけ)が、ふはりと手拭(てぬぐひ)()けたまゝで歩行(あるく)んです。……トン/\トン、たゝらを()むやうに(うご)きましたつけ。おやと(おも)ふと(はす)かひに、兩方(りやうはう)(ひら)いて、ギクリ、シヤクリ、ギクリ、シヤクリとしながら、後退(あともど)りをするやうにして、あ、あ、と(おも)ふうちに、スーと、あの(えん)(つき)あたりの、戸袋(とぶくろ)(すみ)()えるんです。(へん)だと(おも)ふと、また()(まへ)手拭掛(てぬぐひかけ)がふはりと()て……()ると、トントントンと()んで、ギクリ、シヤクリ、とやつて、スー、()うにも氣味(きみ)(わる)さつたらないのです。――一度(いちど)()てみて(くだ)さい。……矢來(やらい)(ねこ)が、田中君(たなかくん)について()たんぢやあないんでせうか()ら。」五月雨(さみだれ)はじと/\と()る、(そと)暗夜(やみ)だ。(わたし)一寸(ちよつと)悚然(ぞつ)とした。

 はゝあ、()怪談(くわいだん)()りたさに、前刻(さつき)(たぬき)持出(もちだ)したな。――いや、(あへ)()うではない。

 ()()ふものか、()のごろ(わたし)のおともだちは、おばけと()ふと(まゆ)(ひそ)める。

 口惜(くやし)いから、紅葉先生(こうえふせんせい)怪談(くわいだん)(ひと)()かせよう。先生(せんせい)怪談(くわいだん)(きら)ひであつた。「(いづみ)が、(また)はじめたぜ。」その(たゞ)(ひと)つの怪談(くわいだん)は、先生(せんせい)が十四五の(とき)、うらゝかな(はる)日中(ひなか)に、一人(ひとり)留守(るす)をして、(ちや)()にゐらるゝと、臺所(だいどころ)のお(へツつひ)()える。……(へツつひ)(かど)に、らくがきの(かに)のやうな、(ちひ)さなかけめがあつた。それが(ひだり)(かど)にあつた。が、陽炎(かげろふ)()るやうに、すつと(みぎ)(かど)(うご)いてかはつた。「(たゞ)それだけだよ。しかし(いま)でも不思議(ふしぎ)だよ。」との(こと)である。――(ねこ)(まど)(のぞ)いたり、手拭掛(てぬぐひかけ)(をど)つたり、(へツつひ)(かに)()つたり、ひよいと(さい)()つて()たやうである。(はる)だからお子供衆(こどもしう)――に一寸(ちよつと)……(ばけ)もの雙六(すごろく)。……

 なき柳川春葉(やながはしゆんえふ)は、よく(つみ)のない(うそ)()つて、うれしがつて、けろりとして()た。――「按摩(あんま)あ……(はあり)ツ」と(たちま)()みつきさうに、霜夜(しもよ)横寺(よこでら)(とほ)りで(わめ)く。「あ、あれはね(()按摩(あんま))と()つてね、矢來(やらい)ぢや((いわし)こ)とおんなじに不思議(ふしぎ)(なか)(はひ)るんだよ」「ふう」などと玄關(げんくわん)燒芋(やきいも)だつたものである。花袋(くわたい)玉茗(ぎよくめい)兩君(りやうくん)()が、そちこち雜誌類(ざつしるゐ)()えた(ころ)、よそから(かへ)つて()るとだしぬけに「きみ、()いて()たよ。――花袋(くわたい)()ふのは上州(じやうしう)或大寺(あるおほでら)和尚(をしやう)なんだ、花袋和尚(くわたいをしやう)僧正(そうじやう)ともあるべきが、(をんな)のために詩人(しじん)()つたんだとね。玉茗(ぎよくめい)()ふのは日本橋室町(にほんばしむろまち)葉茶屋(はぢやや)若旦那(わかだんな)だとさ。」この(ひと)のいふのだからあてには()らないが、いま座敷(ざしき)うけの新講談(しんかうだん)評判(ひやうばん)鳥逕子(てうけいし)のお(とう)さんは、千石取(せんごくどり)旗下(はたもと)で、攝津守(せつつのかみ)有鎭(いうちん)とかいて有鎭(ありしづ)とよむ。村山攝津守(むらやませつつのかみ)有鎭(ありしづ)――(やしき)矢來(やらい)郵便局(いうびんきよく)近所(きんじよ)にあつて、鳥逕(てうけい)とは(わたし)たち懇意(こんい)だつた。渾名(あだな)(とび)鳥逕(てうけい)()つたが、厚眉(こうび)隆鼻(りうび)ハイカラのクリスチヤンで、そのころ拂方町(はらひかたまち)教會(けうくわい)背負(しよ)つて()つた色男(いろをとこ)で……お(とう)さんの立派(りつぱ)藏書(ざうしよ)があつて、(わたし)たちはよく()りた。――そのお(とう)さんを()つて()るが、攝津守(せつつのかみ)だか、有鎭(ありしづ)だか、こゝが柳川(やながは)(せつ)だから(あて)には()らない。その攝津守(せつつのかみ)が、(わたし)()つてる(ころ)は、五十七八の年配(ねんぱい)人品(ひとがら)なものであつた。つい、その(ころ)(もん)()て――(あき)夕暮(ゆふぐれ)である……何心(なにごころ)もなく町通(まちどほ)りを(なが)めて()つと、箒目(はゝきめ)()つた(まち)に、ふと前後(あとさき)人足(ひとあし)途絶(とだ)えた。その(とき)矢來(やらい)(はう)から武士(ぶし)二人(ふたり)()て、二人(ふたり)(はな)しながら、通寺町(とほりてらまち)(はう)へ、すつと(とほ)つた……四十(しじふ)ぐらゐのと二十(はたち)ぐらゐの若侍(わかざむらひ)とで。――()()るうちに、郵便局(いうびんきよく)(さか)(さが)りに()えなくなつた。あゝ不思議(ふしぎ)(こと)がと(おも)()すと、三十幾年(さんじふいくねん)の、維新前後(ゐしんぜんご)に、おなじ(とき)、おなじ(せつ)、おなじ(もん)で、おなじ景色(けしき)に、おなじ二人(ふたり)(さむらひ)()(こと)がある、と(おも)ふと、悚然(ぞつ)としたと()ふのである。

 (これ)(すこ)しくもの(すご)い。……

 初春(はつはる)(こと)だ。おばけでもあるまい。

 春着(はるぎ)につけても、(ひと)(つや)つぽい(ところ)をお()()けよう。

 (とき)に、川鐵(かはてつ)(むか)うあたりに、(水何(みづなに))とか()つた天麩羅屋(てんぷらや)があつた。くどいやうだが、一人前(いちにんまへ)、なみで五錢(ごせん)。……横寺町(よこでらまち)で、お(ぢやう)さんの(はつ)のお節句(せつく)(とき)(わたし)たちは(これ)御馳走(ごちそう)()つた。その時分(じぶん)先生(せんせい)御質素(ごしつそ)なものであつた。二十幾年(にじふいくねん)(もつと)(わたし)なぞは、(いま)もつて質素(しつそ)である。()(だん)は、勤儉(きんけん)(だい)して、(大久保(おほくぼ))の(いん)()しても()い。

 その天麩羅屋(てんぷらや)の、しかも蛤鍋(はまなべ)三錢(さんせん)()ふのを(ねら)つて、小栗(をぐり)柳川(やながは)徳田(とくだ)(わたし)……宙外君(ちうぐわいくん)(くは)はつて、大擧(たいきよ)して押上(おしあが)つた、春寒(はるさむ)午後(ごご)である。お銚子(てうし)(いり)(わる)くつて、しかも高値(たか)いと()ふので、(かた)だけ(あつら)へたほかには、(まち)酒屋(さかや)から、かけにして(ばん)口説(くど)いた一升入(いつしよういり)貧乏徳利(びんぼふどくり)(たれ)かが外套(ぐわいたう)(ちう)。おなじく月賦(げつぷ)……這個(この)まつくろなのを一着(いつちやく)して、のそ/\と歩行(ある)(やつ)を、先生(せんせい)(あざけ)つて――月府玄蝉(げつぷげんせん)。)の(した)(しの)ばした(いきほひ)だから、氣焔(きえん)と、殺風景(さつぷうけい)()して()るべしだ。……酒氣(しゆき)天井(てんじやう)()くのではない、(いん)(こも)つて(たゝみ)()けこげを(ころ)げ《まは》る。あつ(かん)()(ごと)惡醉(あくすゐ)(たけなは)なる最中(さいちう)。お連樣(つれさま)つ――と下階(した)から素頓興(すとんきよう)(こゑ)(かゝ)ると、「(みんな)()るかい。」と()紅葉先生(こうえふせんせい)(こゑ)がした。まさか、壺皿(つぼざら)はなかつたが、驚破(すは)(こと)だと、貧乏徳利(びんぼふどくり)羽織(はおり)(した)(かく)すのがある、誂子(てうし)(また)引挾(ひつぱさ)んで膝小僧(ひざこぞう)をおさへるのがある、(なべ)盃洗(はいせん)(みづ)打込(ぶちこ)むのがある。(わたし)()をついて(かしこ)まると、先生(せんせい)にはお客分(きやくぶん)仔細(しさい)ないのに、宙外(ちうぐわい)さんも(けむ)()かれて、(かた)四角(しかく)(すわ)(なほ)つて、(さけ)のいきを、はあはあと、(もつぱ)らピンと()ねた(ひげ)()んだ。

 ――(ところ)へ……せり(あが)つておいでなすつた先生(せんせい)は、舞臺(ぶたい)にしても()せたかつた。すつきり(をとこ)ぶりのいゝ(ところ)へ、よそゆきから歸宅(きたく)のまゝの、りうとした()つけである。勿論(もちろん)留守(るす)(ねら)つて(およ)()したのであつたが――(そろ)つて紫星堂(しせいだう)(じゆく))を()たと()いて、その時々(とき/″\)弟子(でし)懷中(くわいちう)見透(みとほ)しによく(わか)る。明進軒(めいしんけん)島金(しまきん)飛上(とびあが)つて常磐(ときは)(はこが(はひ)る)と()(ところ)を、奴等(やつら)近頃(ちかごろ)景氣(けいき)では――蛉鍋(はまなべ)と……(あた)りがついた。「いや、(さかん)だな。」と、()火鉢(ひばち)を、鐵火(てつくわ)にお(めし)(また)(はさ)んで、()をかざしながら莞爾(につこり)して、「後藤君(ごとうくん)、お(らく)に――(みな)()みなよ、(おれ)(わり)一杯(いつぱい)やらう。」殿樣(とのさま)中間部屋(ちうげんべや)(おもむき)がある。(おそ)れながら、此時(このとき)先生(せんせい)風采(ふうさい)(おも)ふべしで、「懷中(ふところ)はいゝぜ。」と()(たゝ)かるゝ。()(おう)じて、へいと、どしん/\と(あが)つた女中(ぢよちう)が、次手(ついで)薄暗(うすぐら)いからランプをつけた、(つり)ランプ(……あゝ(ひさ)しいが(いま)だつてランプなしには()られますか。)それが(ちやう)先生(せんせい)(かた)(うへ)見當(けんたう)(かゝ)つて()た。面疱(にきび)だらけの女中(ねえ)さんが燐寸(マツチ)()つて()けて、(さし)ぼやをさすと、フツと()したばかり、まだ()のついたまゝの(もえ)さしを、ポンと(はす)つかひに()げた――(まつたく、お(たがひ)が、所帶(しよたい)()つて、女中(ぢよちう)(これ)には(なや)まされた、()用心(ようじん)(わる)いから、それだけはよしなよ。はい、と()(くち)(した)から、つけさしのマツチをポンがお(さだ)まり……)()先生(せんせい)(ひざ)にプスツと()ちた。「女中(ねえ)や、お手柔(てやはら)かに(たの)むぜ。」と先生(せんせい)言葉(ことば)(した)に、ゑみわれたやうな(かほ)をして、「()れた證據(しようこ)だわよ。」やや、と(みな)(かほ)()る。……「()れたに遠慮(ゑんりよ)があるものかツてねえ、……てね、……ねえ。」と(あま)つたれる。――あ、あ、あ(あぶ)ない、(たな)破鍋(われなべ)()ちかゝる(ごと)く、(あまつさ)へべた/\と(くづ)れて、薄汚(うすよご)れた紀州(きしう)ネルを(ひざ)から溢出(はみだ)させたまゝ、……あゝ……あゝ()つた!……男振(をとこぶり)音羽屋(おとはや)特註(とくちう)五代目(ごだいめ))の意氣(いき)に、團十郎(だんじふらう)澁味(しぶみ)(くはゝ)つたと、下町(したまち)(をんな)だちが評判(ひやうばん)した、御病氣(ごびやうき)面痩(おもや)せては、あだにさへも()えなすつた先生(せんせい)(かた)へ、……あゝ(かじ)りついた。

 よゝつツと、宙外君(ちうぐわいくん)()まらず奇聲(きせい)()ふのを()げるに()れて、一同(いちどう)が、……おめでたうと(とな)へた。

 それよりして以來(いらい)――癇癪(かんしやく)でなく、(いきどほ)りでなく、先生(せんせい)がいゝ機嫌(きげん)で、しかも警句(けいく)(くも)(ごと)く、弟子(でし)をならべて罵倒(ばたう)して、(いきほひ)(あた)るべからざる(とき)()ふと、つゝき()つて、()くばせして、一人(ひとり)(すこ)しく()(まか)()る。「先生(せんせい)……((みづ))……」「(なに)。」「蛤鍋(はまなべ)へおともは如何(いかゞ)で。」「馬鹿(ばか)()へ。」「いゝえ、大分(だいぶ)女中(ねえ)さんがこがれて()りますさうでございまして。」(かたはら)から、「えゝ(わづら)つて()るほどだと(まを)します(こと)ですから。」……かねて、おれを(おも)(をんな)ならば、()つかちでも(はな)つかけでもと()ふ、御主義(ごしゆぎ)?であつた。――

 紅葉先生(こうえふせんせい)、その(とき)態度(たいど)は……

采菊東籬下(きくをとうりのもとにとつて)

悠然見南山(いうぜんとしてなんざんをみる)

大正十三年一月

目次に戻る

感想を書く

目次