29話 八月二十九日
読み方を変える
ちょうどおひる頃、近くまで行ってみました。今日は一つ、奥様に見つかってもいいから、と勇んでお庭の見えるあの横丁に入って、立ってみましたけれど、しーんとしているばかりでした。お昼食時ですから、お話声の一つもおききできるのではないかと存じたのですけど。あまり残念なので、表の方からも入ってみましたの。一寸、体がふるえました。窓も、お玄関も閉まっていました。万一悪化でもなさって御入院なさってしまったのかとも考え、それにしても、そのときには誰かを通じてお知らせくらいのことはあろうからと、考え直し、店へ参りました。
黄村先生言行録を、また読み返しています。四月、太宰さんの本を初めて求めたころは、御向いにいらっしゃることなどが頭に入っていて、いま読み返してみると随分素通りして読んでしまったと思いました。
十二日までの永い間、一冊ずつ深くみていきます。本当に十二日にはおいで下さいますね。お体が悪化していらっしゃっても、用意してお待ちいたしております。
シゲ女が店を開きました。このごろは誰をみても厭、いや、あなたが悪いのよ。お逢いできないんですもの。
「元から頬が削げていたのが一層削げて、顴骨ばかり尖り、ゲッソリ陥込む眼窩の底に勢いも力もない充血した眼球が曇りと濁った光を含めて何処か淋しそうな笑みを浮かべて……」
八時ごろ、野原さんが見える。
“誰も二階へ上げるなよ”
“ええ、お留守中は誰も上げません”
そう申したのですけど、きっと、太宰さんからの帰り道に違いないと思われたのでお上げする。四迷の書き抜きを、なんの気なしに書いたけれども、その通りの御様子らしい。涙が出そうで困った。臥せっきりらしいと、お食事も余り通らないらしいと。
“もう十日も経てば起きられるよ”と仰言ったとか。十二日のことを言われるのですね。すみません。荷物も大部分整理いたしました。野原さんが、“先生、死ぬなんて仰言ったことありますか”なんて、さりげなく。
いろいろと御交際ねがった方々に、大変お世話になり、御迷惑をおかけしっぱなしで、私一人だけ幸せを奪っていってしまうようで、すみません。
はじめは、太宰さんも私も、死ぬという各自の決心が一致しただけでしたけど、この頃は、太宰さんが仰言るように、お互いがお互いの内臓の一部分でもあるかのような一致です。それとなく野原さんに、私の最後を飾ってくれるかもしれない私の写真をおみせしました。奥様のお赦しさえあれば、御一緒に写真だけでも入れて欲しいのです。
私がいつか、“お友達に骨の一部分でもいいから御一緒に埋めて欲しいッて言ったら、大丈夫、私がお約束しておそばへ埋めてきてあげるわッて言ってくれましたわ”と申し上げたら、“大丈夫ですよ、みんながやってくれますよ。塚でも立ててくれるかも分かりませんよ”と仰言ってらした。あの世の夢を楽しみに逝きますわ。太宰さんと御一緒なら、何処へいっても、少しも怖ろしくなどありません。
そう、いつだったか、御一緒に横になったとき、あの世のお話をしていて、
“亡くなった兄達が喜ぶでしょうね、私がいったら。そして太宰さんの御両親に御挨拶するときには、まず大きな鯛の御料理をして、皆様に御挨拶するわ”
“そうそう、そうするとね、祖母が、ああ、私が料理する、なんていうよ。祖母って、そうなんだ”
“お驚きになるでしょうね”
“おや、人が変ってるねッて言うだろう”
“サッちゃん、ご免ね、君をもらいますよ”
いま持っている買物籠、吉祥寺で御一緒に太宰さんに買って頂いたもの。毎日お逢いしていた思い出はつきない。
“十年前に逢いたかったなあ。先輩は、なぜ君を紹介してくれなかったんだろう。同じ本郷に住んでいたのにね”
“だって、それは太宰さんが悪いのよ。自動車なんかで学校に通っていらっしゃったんですもの。もし歩いていらしたら、きっと屋上から帽子の上へ唾が落ちたかも分からないのに――”
物産の加藤郁子さんには大変々々お世話になりました。失礼でしょうけど、遺品を何か記念に差し上げたいのです。
宮崎晴子さんにも今度ばかりは御迷惑をおかけしました。御礼の心で記念品を差し上げて下さいませ。
ほとんど整理品は整理し、洗濯も致してあるつもりですが、汚れた品が残してありましたら、何卒御許し下さいませ。
太宰さんは私には過ぎたる良人。そして私にはなくてはならない良人でした。
“僕の妻じゃないか”と仰言って下さったお心、忘れません。
“君と一緒になりたかったよ。君をもらった人は幸せだよ”私も十年前にお逢いしとうございました。
九月四日頃、お訪ねする御約束を野原さんとする。