40話 十一月十六日
読み方を変える
伊馬さん、野原さんみえる。
いろいろのことがありました。
泣きました。顔がはれるくらい
泣きました。わびしすぎました。
“サッちゃん、ツラかったかい”
いいえ、そんなお言葉どころではありませんでした。もう、死のうかと思いました。
苦しくッて、悲しくッて、五体の一つ、一つが、何処か、遠くの方へ抜きとられていくみたいでした。ほんとうは、ほんとうは泣くまい、泣くまいと頑張っていたのです。涙を出さないようにと、机の上を拭いてみたり、立ってみたり、縫物を広げてみたり、ほんとうは、そっとして、ふれないでいてほしかったのです。
(注・以下四行抹消されている)
しかも“大事にしてね”“なんでも相談するから”と仰言っていらっしゃったのに。
“修治の治、これは「はる」とも読みますね。治子、この名はどうでしょう”
“サッちゃん、どうだろう”
斜陽の兄君を前にして、“いやです”なんて、申せませんし、このときばかりは、ほんとうに何とも言えない苦しさでした。御自分のお子様にさえお名前から一字も取ってはいらっしゃらないのに。
斜陽の子ではあっても、津島修治の子ではないのですよ。愛のない人の子だと仰言いましたね。女の子でよかったと思いました。男の子であったら、正樹ちゃんがお可哀想だと思って、心配していたのです。
(注・以下三行抹消されている)
“そんなこと形式じゃないか。お前には、まだ修の字が残っているじゃないか。泣くなよ。僕は、修治さんじゃなくて、修ッちゃだもの。泣くなよ”
“いや、いや、お名前だって、いや。髪の毛、一すじでも、いや。わたしが命がけで大事にしていた宝だったのに”
“でも、僕、うれしい、そんなに思っていてくれたこと。ごめんね、あれは間違いだったよ。斜陽の子なんだから陽子でもよかったんだ。遅いよ、君のは。この前のときだって、君に逢ってさえいたら、伊豆へなんかいかなくてもよかったんだよ。そうすれば、僕だって苦しまなくてもよかったんだよ。もう一日早かったらなあ――”
“ネ、もう泣くのやめな。僕の方が十倍もつらくなっているんだよ。ね、可愛がるから。そのかわり、もっと、もっと可愛がるから、ごめんね”
私が泣けば、きっとあなたが泣くということは、分かっていたのです。でも泣くまい、そういうことを承知していても、女の心の中の何か別な女の心が涙を湧かせてしまうのです。
泣いたりして、すみません。
“僕達二人は、いい恋人になろうね。死ぬときは、いっしょ、よ。連れていくよ”
“お前に僕の子を産んでもらいたいなあ――”
“修治さん、私達は死ぬのね”(注・二行抹消されている)
“子供を産みたい”
“やっぱり、私は敗け”
(敗けなんて、書きたくないんだけど、修治さん、あなたが書かせたのよ。死にたいくらいのくやしさで、涙が一ぱいです。でも、あなたのために、そして御一緒に――。)
救って下さい。教えて下さい。
主よ、御意ならば我を潔くなし給うを得ん。わが意なり、潔くなれ。
――斜陽の女のかたにひとこと、
“あなたの書簡集はお見事でした”