雨の玉川心中 01 太宰治との愛と死のノート

41話 十一月十七日

505字 約1分 2017年6月19日 公開

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 太田武氏おみえになる。

(注・「小志」と題した太宰治の随筆の新聞切り抜きと富栄さんのスナップが貼ってある。スナップの遠景には太宰治の姿を思わせるトンビ姿の男がうつっていて、「太宰さんもこんな姿をなさることがある。オヤ、もしかしたら、これは……」と付け書してある)

『天国はよき種を畑にまく人のごとし。人々の眠れる間に、仇きたりて麦の中に毒麦を播きて去りぬ。苗生えいで実りたるとき、毒麦もあらわる。しもべども来たりてあるじにいう。「主よ、畑にまきしは良き種ならずや、然るに如何にして毒麦あるか」あるじいう。「仇のなしたるなり」しもべどもいう。「さらばわれらが行きて之を抜き集むるを欲するか」あるじいう。「否、恐らくは毒麦を抜き集めんとて麦をも共に抜かん。ふたつながら収穫(かりいれ)まで育つに任せよ。収穫のときわれ刈る者にまず毒麦を抜きあつめて、焚くために之を束ね、麦は集めて我が倉にいれよ」と言わん』――マタイ伝・二四・三〇

“――女はその後、どうなったね?”

“――女は、その帝国ホテルのあくる日に死にました。”

(注・昭和5年11月28日夜、鎌倉腰越の小動崎で常用の催眠剤を嚥下(えんか)し、七里が浜の恵風園療養所に入院したことがある)

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