雨の玉川心中 01 太宰治との愛と死のノート

44話 十一月二十日

3,457字 約7分 2017年6月19日 公開

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 お父さま、お母さま、御元気でいらっしゃいますか。もう御病気も快くなられたことと存じて御便りいたします。

 暖かいうちに、一度近江にいきたいと思いながら、その日に追われて御無沙汰いたしておりました。奥名の籍ももとに戻って、いま、手続きをいたしております。抄本が一緒に入っていなかったので遅れていたのです。昔の話になりますけど、十二月九日にお式をあげて二十一日までの奥名富栄さん。それから今日までの四年の間に、本郷での罹災――田舎落ち――鎌倉――三鷹町――と随分わたしも転々といたしました。それでも、奥名家山崎家へも、ことの外のご迷惑もかけないで、どうやら生きてまいりました。

 葬儀もすっかり終え、お部屋に落ちついて昔をふりかえってみますと、感慨深いものがございます。

 この間、武田様、飯田様が御一緒におみえになりました。おくやみと、わたしの再婚のこと(別に具体的なことではなく)を御心配下さるお話でした。それにつきまして、わたしも近いうちに御訪ねして、今日このお便りのうちに書きますような、わたしの決心を御話し申し上げる気持ちでおりますので、その前にお父さま、お母さまに御相談――というよりもわたしのこのお願いをどうしても受け入れていただきたくて、お便りいたします。

 少し長くなりますけど、どうか終わりまで判読下さいますよう、お願いいたします。

 成人した娘の真剣な願いごとを受けていただきたいのです。冷静に書いて、理解していただきたいと希(ねが)っております。

 そう――お父さまが御上京のときには、いつも笑いながらお話ししましたでしょう。おつきあいいただいている先生のこと。わたし、そのお方を敬愛しておりました。

 大変御苦労なさって、生きていらしたお方なので、人の苦しみや、悲しみや、また、よろこびなどにも、慈しみ深いおこころをお持ちになってあらゆる周囲の方々から敬愛されていられるのです。

 たびたびお遊びにみえましても、お話の落ちが女になるというようなことは一度も仰言ったこともなく、わたしも相変わらずの、やんちゃ娘で、おつきあい願っておりました。

 淡々としたおつき合いで、どういうお家柄のお方とも、どういう御家庭をお持ちのお方とも存じておりませんでした。また知ろうとも思いませんでした。

 お友達とお話していらっしゃるいろいろの事柄を、おそばで伺っておりますうちに、世の中にこんな美しいお心のお方が生きていらっしゃったということがうれしく、御一緒になれないお方でもいい、せめて、こうして時折りのお招きに、おそばに坐って、可愛がっていただければと、わたしは思うようになりました。そうしておりましても、わたしの仕事を休んだことはございませんし、先生も、御自分のお仕事を愛していらっしゃいますから、いつでもちゃんと、お仕事をなさってから、文学のことや思想のこと、ときには政治の御批評を伺いにいらっしゃるお友達と御一緒に、わたしとも遊んでいて下さいました。

 わたしの貧しい知識を補うためにも、お誘いをうれしく思っておりました。先生のお名前は、津島修治様と仰言って、ペンネームを太宰治様と仰言います。

 津島様のお父様は御他界遊ばされていられますが、御名前を源右衛門様といわれ、貴族院議員をなさっていられました。お兄様は、現在青森県知事をなさっていらっしゃいます。

 津島様は弘高から東大仏文科を卒えて、たしか亡くなった年(とし)ちゃんとは御同年のお方でいらっしゃいます。

 いつか病院で、輝ちゃんが、

「僕も入院生活でお前のそばについていてあげられないし、苦しいことがあったら話しに来いよ」といって下さったことがありますが、いまさらのように思い出されます。

 輝ちゃんがいて下さったら、お父さまへのお願いごとも、きっとすらすら運んで下さったのではないかしらと、そんな気持ちもいたします。だって、お父さまも、お母さまも、輝ちゃんが大好きだったのでしょう。そして輝ちゃんは、わたしをとても可愛がって下さったし、わたしにとって輝ちゃんは、両親のように思われるときもあれば、また姉のようにも懐しく思われて慕っておりましたから。

 お父さま、なぜ富栄は輝ちゃんのことを書いたりして本当のことを避けているのでしょう。お父さま、お母さまのお怒りが怖いからでしょうか。いいえ、ただひとこと「ごめんなさい」と申し上げたかったのです。そしてわたしの願いごとを、ありのままに書いて、わたしたちの心の中に隠されている宝を理解していただきたかったのです。

 どうぞ、わたしからこの宝をとってしまおうとなさらないで下さいませ。津島様は明な頭脳と、豊かな御人格で、日本作家陣の最高の地位を保っておられ、文壇をリードされていらっしゃる御立派なお方で、御性格からは、佗しさと、優しさの印象がわたしには強く感じられるのですけれど、お友達の言葉を借りますと、

「とても貴族的で、明朗で、天才的なお方」なのです。

 津島様はわたしとは十も年がお違いになっていらっしゃいますが、何となく血のつながりの濃いものが感じられ、お父さま、お母さまの御心配なさるようなお方ではございません。

 わたしも年が明ければ三十ですし、罹災して、あちこち世の中の苦労も身につけ、もう一通りの女の眼や、成人生活も持ったつもりでおりますし、そうしたものを通して、御つきあいいただいているつもりでございます。

 わたしは女史といわれるお方のように、世の中に名前が出なくてもいいのです。

 芸術の生命をわたしに教えて下さったお方に愛されて、そのお方の持っている美しいもののような何かを残して死にたいのです。

 お父様も、現在の打算を抜いてお考え下されば、きっとわたしのようにお思い下さるのではありませんかしら。

 一時的な関係から起こってくる放埓(ほうらつ)な生活――というようなことにはおちいりません。

 私達はいつの頃からというようなことはなく、なにか、こうなることが自然に与えられた宿命のように、お互いに愛しあうようになりました。

 津島様はわたしを信じて下さって、作品以外の重要な事柄をもお話し下さいますし、いろいろの御相談をもなさって下さいます。

 信じ合うということは貴いことの一つではございませんかしら。

 わたし達は、お互いの家庭に傷をつけないように、責任のある態度で生活していきたいと心懸けております。

 わたしたちがこうなったことは、津島様が悪い男の方でも、また、わたしが悪い女のひとになったからでもありません。

 同じ夢を抱いて歩んでいた二人のひとが、一つの道でやっとめぐり逢ったということが世の中にはあることなのではありませんかしら。そして、それが社会には全面的にうけ入れられないものであっても。

 わたしのお店の方のことも、こうしたわたしの個人的な問題と、電気についていろいろな問題からお断りいたしました。

 津島様は、わたしの仕事のことは自由にしてもいいからと仰言って下さるのですけど、津島様のお仕事のお手伝いと、御来客の御接待に、毎日忙しく日を送っておりますので、十一月からずーっと家に落ち着くことにいたしましたが、わたしの生活のことにつきましては、そのお仕事のことで十分足りておりますから御心配はいりません。

 こういうお便りを差し上げたからと言って、わたしのお父さまを慕う心も、お母さまを思う心にも、少しの変化もございません。

 わたしが悪い女のひとになったのなら、こうした苦しい手紙を書かないで、さっさと歩いて行ったことでしょう。

 わたしは人の温かいこころにふれていとうございます。

 なんでもなく、こうしたことの、赦(ゆる)された時代に生きていた昔の人達を、羨ましいと思います。

 富栄のこうした願いごとをお読みになることは、お父さま、お母さまにとって、とてもお辛いこととよく承知いたしております。

 こうした私の心の飛躍は、あまり突飛すぎて、受け入れてはいただけないのでございましょうか。若しお許しいただければ、ほんとうにわたしは幸せなのです。

 わたしは津島様の愛人として慎み深く立派に成長していきとうございます。

 お父さまの御返事が、わたしを惨めにさせないようにと祈っております。

十一月二十日

富栄拝

 お父さま

 お母さま

 追伸

 師走(しわす)の風がついすぐそこまで吹いてまいりました。お体くれぐれも御大切になさって下さいませ。わたしはこれをお読みになる御両親の御姿を思い浮かべながら、毎日御返事を待っております。このことは、わたしにまかせて下さいませ。

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