鳥影

32話 (七)の二

1,405字 約3分 2008年11月11日 公開

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『当てて御覧なさい。』と昌作はシタリ顔に拗ねる。

 其顔を、富江はマジ/\と見てゐたが、小使の出てゆくのを待つて、

『信吾(さん)から?』

 ピクリと昌作の眉が動いた。そして眼鏡の中で(いそ)がしく瞬きをしながら顔を大きく横に振る。

『そんなら、誰方(どなた)?』

『無論、貴女の知つた人からだ。』と小憎らしく済したものだ。

(じれ)つたい!』と自暴(やけ)に体を顫はせて、

『よ、誰方からツてばサ。』

『ハツハハ、解りませんか?』と、何処までも高く踏んで出る。

『好いわ、モウ聞かなくつても。』

『それぢや俺が困る。実はですね。』

『知りません。』

『登記所の山内君からだ。以前(これまで)貴女から「恋愛詩評釈」といふ(ほん)を借りたことがあるさうだ。それを(また)読みたいから俺に借りて来て呉れと言ふンですがね。』

『オヤ、何故御自分で被来(いらつしや)らないでせう?』

『だつて寝てるんだもの。』

『ぢやモウ、病床(とこ)に就いたの?』と低目に言つて、胡散臭(うさんくさ)い眼付をする。

一昨日(をととひ)俺と鮎釣に行つて、夕立に会つたんですよ。それで以て山内は弱いから風邪を引いたんだ。』

『アラ昌作さん、山内(さん)は肺病だつてンぢや有りませんか?』

『肺病?』と正直に驚いた顔をしたが、『嘘だ!』

『嘘なもんですか。始終(しよつちゆう)那妙な咳をしてゐたぢやありませんか。……加藤さんが()言つてるんですもの。』

『肺病だと?』

『え。』と気がさした様に声を落して、

『だけど私が言つたなんか言つちや不可(いや)よ。よ、昌作(さん)、貴方も伝染(うつ)らない様に用心なさいよ。』

『莫迦な! 山内は那小い体をしてるもんだから、皆で色々(いろん)な事を言ふンだ。俺だつて咳はする――。』

『馬の様な咳を。ホホヽヽ。』と富江は笑つて、『誰がまた、那一寸法師さんを一人前(ひとりまへ)の人待遇(あつかひ)にするもんですか。』

 そして取つて付けた様にホホヽヽと(また)笑つた。

『だから不可(いけな)い。』と昌作は錆びた声に力を入れて、『体の大小によつて人を軽重するといふ法はない。真箇(ほんと)に俺は憤慨する。(うち)の奴等も(みんな)然うだ。』

『然うでないのは日向のハイカラ(さん)(ばつか)りでせう?』

 昌作は聞かぬ振をして、『英吉利(イギリス)の詩人にポープといふ人が有つた。その詩人は、佝僂(せむし)跛足(ちんば)だつたさうだ。人物の大小は体に関らないサ。』と、三文雑誌ででも読んだらしい事を豪さうに喋る。

『大層力んで見せるのね。だけれど山内(さん)は別に大詩人でもないぢやありませんか!』

『それは別問題だ。……』と正直に(つま)つて、『それは然うと、今言つた(ほん)を貸して下さい。』

(うち)に置いてあるの。』

『小使を遣つて取寄せて呉れるサ。』と頼む様な語調(てうし)

『肺病患者なんかに!』と独言(ひとりご)つ様に言つて、

『アノね、昌作さん。』と可笑(をか)しさを(こら)へた様な眼付をする。『()う言つて下さいな、山内(さん)に。アノね、評釈なんか無くたつて解るぢやありませんかツて。』

『え? 何ですツて?』と昌作は真面目に腑に落ちぬ顔をする。

『ホホヽヽヽ。』と富江は一人高笑ひした。そして、『(ほん)はね、後刻(あと)で誰かに届けさせますよ。』

 一時間程経つて、昌作は、来た時の様にブラリと、帽子も冠らず、単衣の両袖を肩に捲り上げて、長い体を妙に気取つて、学校の門を出た。

 そして川崎道の曲角まで来た時、三町彼方(かなた)から、深張の橄欖色(オリイブいろ)女傘(かさ)をさした、海老茶の袴を穿いた女が一人、歩いて来るのに目をつけた。『ハハア、帰つて来たナ。』と呟いて、足を(よど)めたが、ツイと横路へ入る。

 三日前に画家の吉野と同じ車に乗合せて、大沢温泉に開かれた同級会へ行つた智恵子は、今しも唯一人、町の入口まで帰つて来た。

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