4話 (一)の四
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『発つ四五日前にも、』と信吾は言葉を次いだ。『突然訪つて来て大分夜更まで遊んで行つた。今度の問題に就いちや別段話もなかつたが、(俺もモウ二十七ですからねえ。)なんて言つてゐたつけ。』
静子は黙つて聞いてゐた。
『休暇で帰るのに見送なんか為て貰はなくツても可いと言つたのに、態々俥でやつて来てね。麦酒や水菓子なんか車窓ン中へ抛り込んでくれた。皆様に宜敷ツて言つてたよ。』
『然うでしたか。』と気の無さ相な返事。
『皆様にぢやない静さんにだらうと、余程言つてやらうかと思つたがね。』
『マア!』
『ナニ唯思つた丈さ。まさか口に出しはしないよ。ハツハハ。』
この松原中尉といふのは、小川家とは遠縁の親籍で、十里許りも隔つた某村の村長の次男である。兄弟三人皆軍籍に身を置いて、三男の狷介と云ふのが、静子の一歳下の弟の志郎と共に、士官候補生になつてゐる。
長男の浩一は、過る日露の役に第五聨隊に従つて、黒溝台の悪戦に壮烈な戦死を遂げた。――これが静子の悲哀である。静子は、女学校を卒へた十七の秋、親の意に従つて、当時歩兵中尉であつた此浩一と婚約を結んだのであつた。
それで翌年の二月に開戦になると、出征前に是非盃事をしようと小川家から言出した。これは浩一が、生きて帰らぬ覚悟だと言つて堅く断つたが、静子は父信之の計ひで、二月許りも青森へ行つて、浩一と同棲した。
浩一の遺骨が来て盛んな葬式が営まれた時は、母のお柳の思惑で、静子は会葬することも許されなかつた。だから、今でも表面では小川家の令嬢に違ひないが、其実、モウ其時から未亡人になつてるのだ。
その夏休暇で帰つた信吾は、さらでだに内気の妹が、病後の如く色沢も失せて、力なく沈んでるのを見ては、心の底から同情せざるを得なかつた。そして慰めた。信吾も其頃は、感情の荒んだ今とは別人の様で、血の熱かい真率な、二十二の若々しい青年であつたのだ。
九月になつて上京する時は、自ら両親を説いて、静子を携へて出たのであつた。兄妹は本郷真砂町の素人屋に室を並べてゐて、信吾は高等学校へ、静子は某の美術学校へ通つた。当時少尉の松原政治が、兄妹に接近し始めたのは、其後間もなくの事であつた。
『姉さん、』と或時政治が静子を呼んだ。静子はサツと顔を染めて俯向いた。すると、『僕は今迄一度も、貴女を姉さんと呼ぶ機会がなかつた。これからもモウ其機会がないと思ふと、実に残念です。』と真摯になつて言つた事がある。静子も其初め、亡き人の弟といふ懐しさが先に立つて、政治が日曜毎の訪問を喜ばぬでもなかつた。
何日の間にかパツタリと足が止つた。其間に政治は、同僚に捲込まれて酒に親む事を知つた。そして一昨年の秋中尉に昇進してからは、また時々訪ねて来た。然しモウ以前の単純な、素朴な政治ではなかつた。或時は微醺を帯びて来て、些々擽る様な事を言つた事もある。又或時は同じ中隊だといふ、生半可な文学談などをやる若い少尉を伴れて来て、態と其前で静子と親しい様に見せかけた。そして、静子が次の間へ立つた時、『怎だ、仲々美いだらう?』と低い声で言つたのが襖越しに聞こえた。静子は心に憤つてゐた。
昨年の春、母が産後の肥立が悪くて二月も患つた時、看護に帰つて来た儘静子は再び東京に出なかつた。そして、此六月になつてから、突然政治から結婚の申込みを享けたのだ。
『それで、兄様は奈何思つて?』と、静子は、並んで歩いてゐる信吾の横顔を眤と見つめた。