接吻

5話

1,460字 約3分 2016年12月8日 公開

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 面喰った課長の前に、小学生のお清書(せいしょ)の様な大文字の辞表を投げつけて、ぐっと溜飲(りゅういん)を下げた宗三は、まだ午前十一時というに、大手を振って帰って来た。

「お花、一寸ここへお()で」

 例の長火鉢の前へ、ドッカリと坐ると、さてこれから一談判だ。昨夜のことがあるのでお花はもうビクビクもの。

「アラ、お帰りなさいまし。どっかお加減でも……」

「いや、身体は別状ない。僕は今日から役所を()す。その積りでいてくれ。それから、役所を止した訳はあの村山と衝突したからだ。だから、今日以後、村山家へ出入りすることはふっつり止めて貰い度い。これは断じて守ってくれないと困る」

「マア……」

 といったが二の句がつげない。

「ア、それから」と何気なく、「お前は村山の写真を持っている(はず)だね。あれを一寸ここへ持ってお出で」

 夫の剣幕(けんまく)がひどいので拒む訳にも行かぬ。お花は渋々例の写真を持って来る。宗三は、それを、お花の目の前で、さも憎々しく、ズタズタに引きさくと、火鉢の中へくべて了った。そして、やっとこれで清々(せいせい)したという顔付だ。

 こうまでされては、お花とて悟らない訳には行かぬ。さてはあの一件だなと、どうやら様子が分った。そこで、兎も角も夫の口からそれを聞いた上のことと、こうなると女というものは手管(てくだ)のあるもので、すねて見たり、泣いて見たり、種々様々の手段を(つく)して、結局隙見(すきみ)の一件を白状させて了った。

 どうだ、これには一言もあるまい。写真をしまった所まで調べ上げてあるのだから、何といってもこっちに手抜(てぬか)りはない筈だ。宗三、勝利者の気組みで、ぐっと落着いて、お花の様子を眺めている。

 するとお花、いきなりワッと泣き伏しでもするかと思いきや、どうしてどうして、宗三があっけに取られた事には矢庭(やにわ)にクツクツと笑い出したのである。

「マア、何かと思えば、あなた、あんまりですわ。村山さんと私と……ホホホ……あなたも随分邪推深い方ね。あの写真、あれは、あれは、あのう、あなたのお写真でしたのよ」

 といったかと思うと、お花、いきなり(あか)くなって、顔を隠すのであった。

「僕の写真だって、馬鹿な、うまくごまかそうと思っても、それは駄目だ。チャンと納戸へ尾行して、しまう所を睨んで置いたんだからな。あの抽斗(ひきだし)には村山の写真の外には、僕の写真はおろか、男のは一枚もありやしないじゃないか」

「ですから、(なお)変ですわ。そんな沢山写真があったなんて。きっとあなたは寝惚(ねぼ)けていらっしったのよ。あなたのお写真は一枚丈け、大切に抽斗の中の手文庫にしまってあるのですもの。一体あなたの御覧なすったという抽斗はどれですの」

「あの正面の箪笥の、上の左の端の小抽斗さ」

「アラ、正面ですって、まあおかしい。私が昨夜あなたのお写真をしまったのは左側の箪笥でしたのよ。抽斗は上の左の端のですけれど、まるで箪笥が違いますわ」

「そんな筈はない。やっぱりお前はごまかそうと思っているのだ。僕は小さな障子の穴から覗いたのだから、左側の箪笥なぞ、第一見える道理がないのだ。何といっても正面だ。いくらいそいでいたとはいえ、正面と左側と、まるで方向の違うものを、間違える筈はない」

「おかしいですわねえ」

「おかしくはない。お前はてれ隠しに、そんな出鱈目(でたらめ)を云っているのだ。つまらない真似はいい加減に止さないか」

「だって……」

「だってじゃない。何といっても僕の目に間違いはない」

 妙な押問答(おしもんどう)になって来た。夫は部屋の正面の壁に沿って置かれた箪笥だといい、妻は左側面の壁に沿って置かれたそれだと主張する。両人の言い分の間には九十度の差異がある。

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