「唯一筋でも岩を越して男瀧に縋りつかうとする形、それでも中を隔てられて末までは雫も通はぬので、揉まれ、揺られて具さに辛苦を嘗めるといふ風情、此の方は姿も窶れ容も細つて、流るゝ音さへ別様に、泣くか、怨むかとも思はれるが、あはれにも優しい女瀧ぢや。
男瀧の方はうらはらで、石を砕き、地を貫く勢、堂々たる有様ぢや、之が二つ件の巌に当つて左右に分れて二筋となつて落ちるのが身に浸みて、女瀧の心を砕く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身を震はすやうで、岸に居てさへ体がわなゝく、肉が跳る。況して此の水上は、昨日孤家の婦人と水を浴びた処と思ふと、気の精か其の女瀧の中に絵のやうな彼の婦人の姿が歴々、と浮いて出ると巻込まれて、沈んだと思ふと又浮いて、千筋に乱るゝ水とゝもに其の膚が粉に砕けて、花片が散込むやうな。あなやと思ふと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足も全き姿となつて、浮いつ沈みつ、ぱツと刻まれ、あツと見る間に又あらはれる。私は耐らず真逆に瀧の中へ飛込んで、女瀧を確と抱いたとまで思つた。気がつくと男瀧の方はどう/\と地響打たせて、山彦を呼んで轟いて流れて居る、あゝ其の力を以て何故救はぬ、儘よ!
瀧に身を投げて死なうより、旧の孤家へ引返せ。汚はしい慾のあればこそ恁うなつた上に躇をするわ、其顔を見て声を聞けば、渠等夫婦が同衾するのに枕を並べて差支へぬ、それでも汗になつて修行をして、坊主で果てるよりは余程の増ぢやと、思切つて戻らうとして、石を放れて身を起した、背後から一ツ背中を叩いて、
(やあ、御坊様、)といはれたから、時が時なり、心も心、後暗いので喫驚して見ると、閻王の使ではない、これが親仁。
馬は売つたか、身軽になつて、小さな包を肩にかけて、手に一尾の鯉の、鱗は金色なる、溌溂として尾の動きさうな、鮮しい其丈三尺ばかりなのを、腮に藁を通して、ぶらりと提げて居た。何にも言はず急にものもいはれないで瞻ると、親仁はじつと顔を見たよ。然うしてにや/\と、又一通の笑方ではないて、薄気味の悪い北叟笑をして、
(何をしてござる、御修行の身が、この位の暑で、岸に休んで居さつしやる分ではあんめえ、一生懸命に歩行かつしやりや、昨夜の泊から此処まではたつた五里、もう里へ行つて地蔵様を拝まつしやる時刻ぢや。
何ぢやの、己が嬢様に念が懸つて煩悩が起きたのぢやの。うんにや、秘さつしやるな、おらが目は赤くツても、白いか黒いかはちやんと見える。
地体並のものならば、嬢様の手が触つて那の水を振舞はれて、今まで人間で居やう筈はない。
牛か馬か、蟇か、猿か、蝙蝠か、何にせい飛んだか跳ねたかせねばならぬ。谷川から上つて来さしつた時、手足も顔も人ぢやから、おらあ魂消た位、お前様それでも感心に志が堅固ぢやから助かつたやうなものよ。
何と、おらが曳いて行つた馬を見さしつたらう、それで、孤家で来さつしやる山路で富山の反魂丹売に逢はしつたといふではないか、それ見さつせい、彼の助倍野郎、疾に馬になつて、それ馬市で銭になつて、お銭が、そうら此の鯉に化けた。大好物で晩飯の菜になさる、お嬢様を一体何じやと思はつしやるの。)」
私は思はず遮つた。
「お上人?」