我輩は何故いつまでもすべてに於て衰えぬか

2話 我輩はどうして修養するか

609字 約1分 2018年2月16日 公開

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 (しか)らばどういう風に修養するかというと、つまり何事も楽観的に見て行けばよい。およそ人には老若男女の別なく皆希望というものがある。まず生れると()ぐ乳を飲みたがる。それから生長するに随って様々の希望が起り、それを満足せしめんとして皆働いているのである。しかしながら世の中の事はなかなか思う様に行くものではない。失敗もする。挫折(ざせつ)もする。これを商人に(たと)えていえば、物品を(やす)く買って(たか)く売りたいというのがその希望であろうが、時に相場が下がったり、品物が毀損(きそん)したりして(うま)く行かぬ事がある。この損が(ひど)いとついに破産という様な悲運に陥るのである。普通の人はここで煩悶(はんもん)し愚痴をこぼすが、人間愚痴をこぼす様ではおしまいである。失敗は世の常、煩悶するにも及ばぬ。悲観する必要もない。失敗すれば如何(いか)にしてこれを恢復(かいふく)するかという新たなる第二の希望が起るではないか。この難関を切り抜ける気力がなくてはならぬ。(しか)してこの問題に処して更に経験を得て行くとすれば、失敗も見方に依ては(はなは)だ有益()つ興味あるものである。我輩は如何なる困難、如何なる障碍(しょうがい)に遭遇するも決して悲観しない。事が困難になり複雑になればなるほど、益々(ますます)大なる勇気と興味とを以て常にその解決を試みている。我輩は自らこれを名づけて快楽主義といっている。失敗も成功も何事も常にこの快楽的の眼を以て研究しているから未だかつて苦悶したり、愚痴をこぼしたりした事が無い。何時も愉快で何日も元気である。

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