10話 今日まで継続する我輩と同志社との関係
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明治二十一年新島君のなお在世中我輩は関西に遊んで京都に立寄り、同志社にも案内せられて家内と共に行ってみた。なかなか立派な建築で地所も広く生徒も随分多かった。
新島君の死後同志社も一時紛紜のために頗る悲況に陥ったが明治二十九年我輩が再び外務大臣になった時にまた偶然にもその処置調停に関係する事となり、爾来また種々なる相談までも受け「社友」というものになって同志社女学校の世話までも頼まれるなど、関係は今に連続している。なんだか親類の様な気持がしている。二十一年以後毎度行って演説もした。京都へ行けば必ず演説をする事になっている。またしなければ同志社の方も承知しないという様子である。
新島君逝きてよりここに二十年、一時微にして振わざりし同志社も昨今は一千余名の校友校員一致発奮の結果、普通学校、(高等)専門学校、神学校、女学校等に分れおいおい盛んになって生徒も増加し、再興の気運に向っている。果して然らば新島君の壮図の実現される日もいつかは来るであろう。我輩は国家のためことに右に述べた様な関係からかかる日の速やかに来らんことを切望する者である。