福沢先生の処世主義と我輩の処世主義

3話 福沢先生の社会観

451字 約1分 2018年2月3日 公開

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 福沢先生は優れた才子で人格も高かったが、人間は存外平凡なものであるということを知っておった。恐らく自分自らも平凡なることを知っておったであろう。これが根本になって福沢先生の処世主義が成立っている。それで福沢先生はあくまでも実行し得る、(すこぶ)る平凡な事の外は決して口にしなかったものだ。であるから(なまじ)いな学者達、もしくは道徳家達は福沢は不都合な奴だとか、社会の道徳を破壊するとか、福沢の議論は浅薄だとか、いわゆる倫理、道徳、処世主義というようなものを標準としてしきりに攻撃したものだ。がこれらの連中は坊主の説教を無上に有難がる方の連中で、坊主自身が何が何やら意味を解せずに説教してるのを自分も解らずに聴きながら、随喜渇仰(ずいきかつごう)の涙を(こぼ)すという手合いだ。この調子で行くと御経(おきょう)の文句は、(ぼん)音とか漢音とか、なるべく解らぬように(そら)んじた方がもっともらしく聞えていい。けれども社会の事はもっともらしく聞えるばかりで、その実(つま)らぬ事では何の役にも立たない。ここへ来ると福沢先生は誠に偉い。言語にも行動にも何処(どこ)に一つ表裏がない。

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