半島一奇抄

3話 半島一奇抄(3)

3,571字 約7分 2001年9月17日 公開

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「……時に、お話につれて申すようですけれども、それを伺ってはどうやら黙っておられないような気がしますので。……さあ、しかもちょうど、昨年、その頃です。江の浦口野の入海(いりうみ)(ただよ)った、漂流物がありましてな、一頃(ひところ)はえらい騒ぎでございましたよ。浜方で拾った。それが――困りましたな――これもお話の(うち)にありましたが、(おおき)な青竹の三尺余のずんどです。

 一体こうした僻地(へきち)で、これが源氏の(はたけ)でなければ、さしずめ平家の落人(おちゅうど)が隠れようという処なんで、毎度(あやし)い事を聞きます。この道が開けません、つい以前の事ですが。……お待ち下さい……この浦一円は(いわし)の漁場で、秋十月の半ばからは袋網というのを()きます、大漁となると、大袈裟(おおげさ)ではありません、海岸三里四里の間、ずッと静浦(しずうら)町中(まちなか)まで、浜一面に鰯を()します。(あぜ)も畑もあったものじゃありません、廂下(ひさしした)から土間の(かまど)まわりまで、鰯を詰込んで、どうかすると、この石柵の上まで敷詰める。――ところが、大漁といううちにも、その時は、また夥多(おびただし)く鰯があがりました。獅子浜在の、良介に次吉(じきち)という親子が、気を替えて、烏賊釣(いかつり)に沖へ出ました。暗夜(やみ)の晩で。――しかし一(ぴき)もかかりません。思切って船を漕戻(こぎもど)したのが()の刻過ぎで、浦近く、あれ、あれです、……あの赤島のこっちまで来ると、かえって朦朧(もうろう)と薄あかりに月がさします。びしゃりびしゃり、ばちゃばちゃと、(ふなべり)で黒いものが(もつ)れて泳ぐ。」

「鼠。」

「いや、お待ち下さい、人間で。……親子は顔を見合わせたそうですが、助け上げると、ぐしょ濡れの坊主です。――仔細(しさい)を聞いても、何にも言わない。(しずく)の垂る細い手で、ただ、(おか)(ゆびさ)して、上げてくれ、と言うのでしてな。」

可厭(いや)だなあ。」

「上げるために助けたのだから、これに異議はありません。浜は、それ、その時大漁で、鰯の上を()んで通る。……坊主が、これを皆食うか、と云った。坊主だけに鰯を食うかと聞くもいいが、ぬかし方が頭横柄(ずおうへい)で。……血の気の多い漁師です、(しゃく)に触ったから、当り(めえ)よ、と若いのが言うと、(人間の食うほどは(おれ)も食う、)と言いますとな、両手で一(つか)みにしてべろべろと頬張りました。頬張るあとから、取っては食い、掴んでは食うほどに、あなた、だんだん腹這(はらば)いにぐにゃぐにゃと首を伸ばして、ずるずると鰯の山を吸込むと、五(こく)、十斛、瞬く間に、満ちみちた鰯が消えて、浜の小雨は貝殻をたたいて、暗い月が砂に映ったのです。(まだあるか、)と仰向(おあおむ)けに起きた、坊主の腹は、だぶだぶとふくれて、鰯のように青く光って、げいと、口から(なまぐさ)い息を吹いた。随分大胆なのが、親子とも気絶しました。鮟鱇(あんこう)坊主(ぼうず)と、……唯今でも、気味の悪い、幽霊の浜風にうわさをしますが、何の化ものとも分りません。――

 といった場処で。――しかし、昨年――今度の漂流物は、そんな可厭(いや)らしいものではないので。……青竹の中には、何ともたとえがたない、美しい女像がありました。ところが、天女のようだとも言えば、女神の船玉様の姿だとも言いますし、いや、ぴらぴらの(かんざし)して、翡翠(ひすい)の耳飾を飾った支那(しな)の夫人の姿だとも言って、現に見たものがそこにある(はず)のものを、(しか)と取留めたことはないのでございますが、手前が申すまでもありません。いわゆる、流れものというものには、昔から、種々の神秘な伝説がいくらもあります。それが、目の前へ、その不思議が現われて来たものなんです。第一、竹筒ばかりではない。それがもう一重(ひとえ)、セメン(だる)に封じてあったと言えば、甚しいのは、小さな(かい)が添って、箱船に乗せてあった、などとも申します。

 何しろ、(うつくし)い像だけは事実で。――俗間で、(みだり)に扱うべきでないと、もっともな分別です。すぐに近間(ちかま)の山寺へ――浜方一同から預ける事にしました。が、三日も()たないのに、寺から世話人に返して来ました。預った()から、いままでに覚えない、(すさま)じい鼠の荒れ方で、何と、昼も騒ぐ。……(困りましたよ、これも、あなたのお話について言うようですが)それが皆その像を(ねら)うので、人手は足りず、お守をしかねると言うのです。猫を紙袋(かんぶくろ)に入れて、ちょいとつけばニャンと鳴かせる、山寺の和尚さんも、鼠には困った。あと、二度までも近在の寺に頼んだが、そのいずれからも返して来ます。おなじく鼠が(かか)るので。……ところが、最初の山寺でもそうだったと申しますが、鼠が女像の足を狙う。……朝顔を()むようだ。……唯今でも皆がそう言うのでございますがな、これが変です。足を狙うのが、朝顔を噛むようだ。爪さきが薄く白いというのか、(もすそ)(つま)(すそ)が、瑠璃(るり)、青、(あか)だのという心か、その辺が判明(はっきり)いたしません。承った処では、居士だと、牡丹(ぼたん)のおひたしで、鼠は朝顔のさしみですかな。いや、お話がおくれましたが、端初(はな)から、あなた――美しい像は、跣足(はだし)だ。跣足が痛わしい、お最惜(いとし)い……と、てんでに申すんですが、御神体は格段……お仏像は靴を召さないのが多いようで、誰もそれを(あやし)まないのに、今度の像に限って、おまけに、素足とも言わない、跣足がお痛わしい――何となく漂泊流離の境遇、落ちゅうどの様子があって、お最惜い。そこを鼠が荒すというのは、女像全体にかかる暗示の意味が、おのずから人の情に(うつ)ったのかも知れません。ところで、浜方でも相談して、はじめ、寄り着かれた海岸近くに、どこか思召しにかなった場所はなかろうかと、心して捜すと、いくらもあります。これは(おか)で探るより、船で見る方が手取(てっと)り早うございますよ。樹の根、(いわ)の角、この巌山の切崖(きりぎし)に、しかるべき(むろ)に見立てられる巌穴がありました。石工(いしや)が入って、(のみ)(なめらか)にして、狡鼠(わるねずみ)を防ぐには、何より、石の扉をしめて祭りました。海で拾い上げたのが()の日だった処から、巳の日様。――しかし弁財天の御縁日だというので、やがて、(みんな)が(巳の時様)。――巳の時様、とそう云っているのでございます。朝に晩に、聞いて存じながら、手前はまだ拝見しません。沼津、三島へ出ますにも、ここはぐっと大廻りになります。出掛けるとなると、いつも用事で、忙しいものですから。……

 ――御都合で、今日、御案内かたがた、手前も拝見をしましても……」

「願う処ですな。」

 そこで、主人が呼掛けようとしたらしい運転手は、ふと辰さん(運転手)の方で輪を留めた。

「どうした。」

 あたかもまた一つ、(さっ)と冷い隧道(トンネル)の口である。

「ええ、あの出口へ自動車が。」

「おおそうか。……ええ、むやみに動かしては(あぶな)いぞ。」

「むこうで、かわしたようです。」

 隧道(トンネル)を、爆音を立てながら、一息に乗り越すと、ハッとした、出る途端に、擦違(すれちが)うように先方(さき)のが入った。

「危え、畜生!」

 (わめ)くと同時に、辰さんは、制動機を掛けた。が、ぱらぱらと落ちかかる巌膚(いわはだ)の清水より、私たちは冷汗になった。乗違えた自動車は、さながら、(おお)いかかったように見えて、隧道(トンネル)の中へ真暗(まっくら)に消えたのである。

 主人が妙に、寂しく笑って、

「何だか、口の(とん)がった、色の黒い奴が乗っていたようですぜ。」

隧道(トンネル)の中へ押立(おった)った耳が映ったようだね。」

 と記者が言った。

「辰さん。」

 いま、出そうとする運転手を呼んで、

「巳の時さん――それ、女像の寄り神を祭ったというのは、もっと先方(さき)だっけね。」

「旦那、通越(とおりこ)しました。」

「おや、はてな、獅子浜へ出る処だと思ったが。」

「いいえ、多比の奥へ引込んだ、がけの処です。」

「ああ、竜が、爪で珠をつかんでいようという肝心の処だ。……成程。」

「引返しましょうよ。」

「車はかわります。」

 途中では、(はるか)に海ぞいを小さく()く、自動車が鼠の(はし)るように見えて、(みさき)にかくれた。

 山藤が紫に、椿が抱いた、群青(ぐんじょう)(いわ)(そび)えたのに、純白な石の扉の、まだ新しいのが、ひたと(とざ)されて、()の椿の、落ちたのではない、(やさし)い花が幾組か(ほこら)に供えてあった。その花には届くが、低いのでも階子(はしご)か、しかるべき壇がなくては、扉には触れられない。辰さんが、矗立(しゅくりつ)して、(いわ)の根を踏んで、背のびをした。が、けたたましく叫んで、仰向(あおむ)けに()って飛んで、手足を(かえる)のごとく()ねて騒いだ。

 おなじく供えた一束の葉の蔭に、(おおき)な黒鼠が耳を立て、口を(とが)らしていたのである。

 憎い畜生かな。

 石を打つは、その扉を(たた)くに相同じい。まして(きず)つくるおそれあるをや。

「自動車が持つ、ありたけの音を、最高度でやッつけたまえ。」

 と記者が云った。

 運転手は踊躍(こおどり)した。もの(すさ)まじい爆音を立てると、さすがに驚いたように草が騒いだ。たちまち道を一飛びに、鼠は海へ飛んで、赤島に向いて、碧色(へきしょく)の波に乗った。

 ――馬だ――馬だ――馬だ――

 遠く叫んだ、声が響いて、小さな船は(みよし)(あお)り、漁夫は手を挙げた。

 その泳いだ形容は、読者の想像に任せよう。

 巳の時の夫人には、後日の引見を懇請して、二人は深く礼した。

 そのまま、沼津に向って、車は白鱗青蛇(はくりんせいだ)の背を()せた。

大正十五(一九二六)年十月

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