3話 三
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「でも、最うお涼しく成りませう……此がおなごりかも知れません。」
と靜な聲で、慰めるやうに窓から云つたが、其の一言から冷たくなりさうに、妙に身に染みて、唯吉は寂しく聞いた。
蟲の聲も頻に聞える。
其の蟋蟀と、婦の聲を沈んで聞いて、陰氣らしく、
「其だと結構です……でないと遣切れません。何うか願ひたいもんでございます。」
と言ふうちに、フト其の(おなごり)と云つたのが氣に成つて、此だと前方の言葉通り、何うやら何かがおなごりに成りさうだ、と思つて默つた。
少時人の住まない、裏家の庭で、此の折から又颯と雲ながら月の宿つた、小草の露を、搖こぼしさうな蟲の聲。
「まあ!……」
と敷居に、其の袖も帶も靡くと、ひら/\と團扇が動いて、やゝ花やかな、そして清しい聲して、
「御挨拶もしませんで……何うしたら可いでせう……何て失禮なんでせうね、貴方、御免なさいまし。」
「いゝや、手前こそ。」
と待受けたやうに、猶豫はず答へた……
「暑さに變りはないんです、お互樣。」と唯吉は、道理らしいが、何がお互樣なのか、相應はない事を云ふ。
「お宅では、皆さんおやすみでございますか。」
「如何ですか、寢られはしますまい。が、蚊帳へは疾くに引込みました。……お宅は?」
と云つて、唯吉は屋根越に、また透かすやうにしたのである。
「…………」
婦は一寸言淀んで、
「あの……實は、貴方をお見掛け申しましたから、其の事をお願ひ申したいと存じまして、それだもんですから、つい、まだお知己でもございませんのに、二階の窓から濟みませんねえ。」
「何、貴女、男同士だ、と何うかすると、御近所づから、町内では錢湯の中で、素裸で初對面の挨拶をする事がありますよ……」
「ほゝ。」
と唇に團扇を當てて、それなり、たをやかに打傾く。
唯吉も引入れられたやうに笑ひながら、
「串戲ぢやありません、眞個です。……ですから二階同士結構ですとも。……そして、私に……とおつしやつて、貴女、何でございます……御遠慮は要りません。」
「はあ……」
「何でございます。」
「では、お頼まれなすつて下さいますの。」
「承りませう。」
と云つたが、窓に掛けた肱が浮いて、唯吉の聲が稍々忙しかつた。
「貴方、可厭だとおつしやると、私、怨むんですよ。」
「えゝ。」
と、一つあとへ呼吸を引いた時、雲が沈んで、蟋蟀の聲、幻に濃く成んぬ。
「……可厭な蟲が鳴きます事……」
と不、獨言のやうに、且つ何かの前兆を豫め知つたやうに女が言ふ。
「可厭な蟲が鳴きます?……」と唯吉は釣込まれて、つい饒舌つた。
が、其處に、又此處に、遠近に、草あれば、石あれば、露に喞く蟲の音に、未だ嘗て可厭な、と思ふはなかつたのである。
「貴女、蟋蟀がお嫌ひですか。」
と、うら問ひつゝ、妙な事を云ふぞと思ふと、うつかりして居たのが、また悚然とする……