「眞個、其の言に違はないもんですから、主人も、客も、座を正して、其のいはれを聞かうと云つたの。
――港で待つよ――
深夜に、可恐い黄金蛇の、カラ/\と這ふ時は、土蠻でさへ、誰も皆耳を塞ぐ……其の時には何うか知らない……そんな果敢い、一生奴隷に買はれた身だのに、一度も泣いた事を見ないと云ふ、日本の其の少い人は、今其の鸚鵡の一言を聞くか聞かないに、槍をそばめた手も恥かしい、ばつたり床に、俯向けに倒れて潸々と泣くんです。
お孃さんは、伸上るやうに見えたの。
涙を拂つて――唯今の鸚鵡の聲は、私が日本の地を吹流されて、恁うした身に成ります、其の船出の夜中に、歴然と聞きました……十二一重に緋の袴を召させられた、百人一首と云ふ歌の本においで遊ばす、貴方方にはお解りあるまい、尊い姫君の繪姿に、面影の肖させられた御方から、お聲がかりがありました、其の言葉に違ひありませぬ。いま赫耀とした鳥の翼を見ますると、射らるゝやうに其の緋の袴が目に見えたのでござります。――と此から話したの――其の時のは、船の女神さまのお姿だつたんです。
若い人は筑前の出生、博多の孫一と云ふ水主でね、十九の年、……七年前、福岡藩の米を積んだ、千六百石の大船に、乘組の人數、船頭とも二十人、寶暦午の年十月六日に、伊勢丸と云ふ其の新造の乘初です。先づは滯りなく大阪へ――それから豐前へ《まは》つて、中津の米を江戸へ積んで、江戸から奧州へ渡つて、又青森から津輕藩の米を託つて、一度品川まで戻つた處、更めて津輕の材木を積むために、奧州へ下つたんです――其の内、年號は明和と成る……元年申の七月八日、材木を積濟まして、立火の小泊から帆を開いて、順風に沖へ走り出した時、一人、櫓から倒に落ちて死んだのがあつたんです、此があやかしの憑いたはじめなのよ。
南部の才浦と云ふ處で、七日ばかり風待をして居た内に、長八と云ふ若い男が、船宿小宿の娘と馴染んで、明日は出帆、と云ふ前の晩、手に手を取つて、行方も知れず……一寸……駈落をして了つたんだわ!」
ふと蓮葉に、ものを言つて、夫人はすつと立つて、對丈に、黒人の西瓜を避けつゝ、鸚鵡の籠をコト/\と音信れた。
「何う?多分其の我まゝな駈落ものの、……私は子孫だ、と思ふんだがね。……御覽の通りだからね、」
と、霜の冷い色して、
「でも、駈落ちをしたお庇で、無事に生命を助かつたんです。思つた同士は、道行きに限るのねえ。」
と力なささうに、疲れたらしく、立姿のなり、黒棚に、柔かな袖を掛けたのである。
「あとの大勢つたら、其のあくる日から、火の雨、火の風、火の浪に吹放されて、西へ――西へ――毎日々々、百日と六日の間、鳥の影一つ見えない大灘を漂うて、お米を二升に水一斗の薄粥で、二十人の一日の生命を繋いだのも、はじめの内。くまびきさへ釣れないもの、長い間に漁したのは、二尋ばかりの鱶が一疋。さ、其を食べた所爲でせう、お腹の皮が蒼白く、鱶のやうにだぶだぶして、手足は海松の枝の枯れたやうになつて、漸つと見着けたのが鬼ヶ島、――魔界だわね。
然うして地を見てからも、島の周圍に、底から生えて、幹ばかりも五丈、八丈、すく/\と水から出た、名も知れない樹が邪魔に成つて、船を着ける事が出來ないで、海の中の森の間を、潮あかりに、月も日もなく、夜晝七日流れたつて言ふんですもの……
其の時分、大きな海鼠の二尺許りなのを取つて食べて、毒に當つて、死なないまでに、こはれごはれの船の中で、七顛八倒の苦痛をしたつて言ふよ。……まあ、どんな、心持だつたらうね。渇くのは尚ほ辛くつて、雨のない日の續く時は帆布を擴げて、夜露を受けて、皆が口をつけて吸つたんだつて――大概唇は破れて血が出て、――助かつた此の話の孫一は、餘り激しく吸つたため、前齒二つ反つて居たとさ。……
お聞き、島へ着くと、元船を乘棄てて、魔國とこゝを覺悟して、死裝束に、髮を撫着け、衣類を着換へ、羽織を着て、紐を結んで、てん/″\が一腰づゝ嗜みの脇差をさして上陸つたけれど、飢渇ゑた上、毒に當つて、足腰も立たないものを何うしませう?……」