5話 〔大詰〕 第二場 おはまの居間
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水熊女主人の部屋。
右手は中庭、左手は廊下、部屋は明るく派手である。
女将おはま(五十二歳なれど若く見える)長火鉢に倚って煙草をのんでいる。
おはまの娘お登世(十八、九歳)化粧がすみ、着物を着換えている。中年増の女中おふみが小間使おせう(十四、五歳)をつかって、いろいろ世話をやいている。
おふみ (惚れぼれと見あげ)ああいい。なんてよくウツるんだろう。ねえおかみさん、左様じゃありませんか。
おはま (嬉しそうに)うふふふふ。
おせう (片付け物を忘れ見惚れている)
おふみ 本当に、あたしが男だったら打抛っときやしませんよ。
お登世 やあだ。おふみじゃあたいが可哀そうでしょう。ねえおッかさん。
おはま まあね。うふふふふふ。
おせう あたしじゃいけません。
お登世 お前になら八百屋の小僧が恰度だねえおふみ。
おふみ ええ。それだって職過ぎます。
おせう (鏡に顔を写して見る気になり、急にはッとして廊下の方を向く)あら喧嘩だわ。
おふみ 何をいってるのさ。喧嘩をどこでしてるのさ。脅かしちゃ厭だよ。
おはま こりゃおせうの耳の方が確かだった。どこかで喧嘩してるね。
お登世 どこで。
おふみ あ、本当でしたねえ。おや家じゃありませんか。
おせう 見て来ましょうか。
おはま 打抛っておおき。大所帯を張ってると内輪同士の争いは珍しかない、一々気にとめていられるものかね。それよりかお登世。早く顔を出しといで。水熊のご馳走は一にお登世、二に料理と人様が仰有るくらいだ。早く顔を出しといで。
おふみ まだありますよ、おかみさん。
おせう あたし知ってる。家のおかみさんが年よか十も十五も若いことでしょう。
おはま うふふふふふ。
お登世 きょうは淡州様のお留守居さんだったね。じゃおッかさん。
おはま あいよ。おふみ、気をつけてやっておくれ。
お登世、おふみは廊下の奥へ入る。おせうは残って片付け物をしている。
口論の声が聞える。
おはま 五月蠅いね、呶鳴ってるのは藤公だね。
おせう 板前さんの声もしてますね。
口論の声に皿の破れる音が混る。
おはま (疳を起して)おせう。行って左様おいい、いい加減にしろッて。喧嘩をしてる奴はみんなここへ雁首を揃えて来いって。
おせう はあい。(急いで行く)
善三郎 (板前の仕事着で、廊下へ出て来る、おせうに眼もくれず、部屋の敷居外で)ご免ください。
おはま 板前さん。またやってるね。五月蠅いねえ。
善三郎 飛んでもねえ奴だもんですから、それでああ哦鳴り立てたので、もう片付きかけてますから、でねおかみさんがもしひよッと、何だろうとお思いなすって、お顔をお出しになると面倒だから、それをお断りに出ましたんで。(立ちかかる)
おはま 何だって、あたしに顔を出すなっての、頼まれたって顔は出さないよ、そのためにお前さんが控えてるのじゃないか。また煮方と洗い方とがトンガリッこなしてるんだろう。
善三郎 きょうのは家の者同士じゃございません。相手は他所の奴で。
おはま 何だというのさ。
善三郎 銭貰いですよ。おかみさんに会って聞きてえことがあると、厭な台詞をいうじゃありませんか。疳にさわったから剣呑を食らわした処から、ツイあんなに大きな声をいたしましたんで。
おはま さッきは知りもしない婆さんが会わせてくれといって来たそうだし、今度のは男なんだね。
善三郎 あっしは見ませんでしたが、さッき来た婆と、口をきいていたっていうから、どうで東両国の菰ッ張りの外で、さあさあざっとご覧よご覧よと囀ってる、夜鷹の立番でしょう。今直ぐ追払っちまいますから。
おせうを先に煮方子之吉、洗い方藤八が出てくる。
善三郎 何だ何だ、お前達は。
子之吉 みんな来いと、おかみさんがおせうどんに云って寄こしたから、あの野郎には、時に弁州に、孫と権と、四人がかりで張番させて来ました。
おはま その男はそんなに強情なのかい。
藤八 図抜け大一番の強情野郎ですぜ。始めの内は猫撫で声で、下から出て来やがったが、板前さんが叱りつけたら、間もなく本性を出しやがって、槓でも動きませんや。
善三郎 あんな奴は癖にならあ、番所へ突き出しちゃえ。
おはま 静かにしておくれ。おせう。その人ってのをここへ連れといで。
善三郎 おかみさん、そりゃ止めたが。
おはま そんな男の捌きが付けられないでどうなるものか。引ッ張っといで、とっちめて帰らせてやるから。
おせう (呼びに行く)
おはま みんな安心して引取っておくれ。水熊の屋台骨を背負ってるあたしだ、男なんかに負けるものかね。
善三郎 そりゃ確かにそうですが、心配だなあ。
おはま 大丈夫だよ。見ておいで、その男は尻尾を巻いて帰って行くから。
善三郎 (子之吉等に行こうという)
善三郎を最後に子之吉、藤八等、料理場の方へ行きかける。
番場の忠太郎がおせうに案内されて出てくる。善三郎等の険しい眼を意に介せず、敷居の外に手を突く。
善三郎等去る。
おはま 中へ入って用があるんなら云っておくれ、聞くだけは聞こう、だが、永ったらしいことはあたしあ嫌いだ、断っておくよ。
忠太郎 ご免蒙りますでござんす。(敷居を越えて下手に坐る)
おせう (廊下に出て立ち聞く)
おはま さあ、何とか云わないのか。用があって来たんだろう。
忠太郎 へえ、申しますでござんす。(何といって切り出したらいいかに迷う)
おはま 何だよ。
忠太郎 おかみさん――当って砕ける気持ちで、失礼な事をお尋ね申しとうござんす。おかみさんはもしや、あッしぐらいの年頃の男の子を持った憶えはござんせんか。無躾とは重々存じながら、それが承わりてえのでござんす。
おはま (びくりとする、答えない)
忠太郎 あッおかみさんは憶えがあるんだ(思わず膝を進め)顔に出たその愕きが――ところは江州阪田の郡、醒が井から南へ一里、磨針峠の山の宿場で番場という処がござんす。そこのあッしは。(おはまの答えを待つ)
おはま (憶えはあれど、忠太郎の風采に危惧を感じ、打算が鋭くはたらく)番場宿なら知ってますとも、それがどうしたというのだね。
忠太郎 え? (意外な返事を怪しむ)おきなが屋忠兵衛という、六代つづいた旅籠屋をご存じでござんすか。
おはま ああ知っている段か、あたしが若い時にかたづいたことがある。
忠太郎 (自制しきれずに)おッかさん。
おはま 何だいこの人は、変な真似をおしでない。
忠太郎 (感情を挫かれて)ご免なさい、無躾でござんした。
おはま お前さんは一体だれだね。
忠太郎 忠太郎でござんす。
おはま (じッと見て)何をいうんだ。忠太郎だって?――あたしには生き別れをした忠太郎という子はあったが、今ではもう亡くなった。
忠太郎 えッ無え。無えのでござんすか――五つの時に縁が切れて二十余年。もうちッとで満三十年だ。その間音信不通で互いに生き死にさえ知らずにいた仲だから、そんな子はねえという気になっているのでござんすか、縁は切れても血は繋がる。切って切れねえ母子の間は、眼に見えねえが結びついて、互いの一生を離れやしねえ、あッしは江州番場宿のおきなが屋の倅、忠太郎でござんすおッかさん。
おはま お待ちお待ち。お前さん、大層よく番場のことを知っているが、いくらあたしにそんな話をしたって駄目だよ。
忠太郎 えッ。
おはま 成程あたしは美濃の加納の叔父の世話で、番場のおきなが屋へ嫁に行き、忠太郎という子を生んだよ。
忠太郎 その忠太郎があッしなん――。
おはま よくお聞きというんだ。その子が五ツになった時、あたしゃおきなが屋を出てしまったんだ。(涙ぐむ)
忠太郎 おやじはあッしが十二の時、病って死にましたから、直に聞いた訳ではねえが、おッかさんが家を出なさる時、おやじの身持ちがよくなかった、罪はおやじにあったのだと、大きくなってから聞いております。
おはま 可愛い子があるのだもの、去り状をとりたくないのが本心だったが、行きがかりが妙にコジれ、とうとうあたしは縁が切れた――その後つづいて永い間、江戸の空の下から江州は、あっちの方かと朝に晩に、見えもしない雲の下の番場の方を見て泣き暮したっけ。
忠太郎 五つといえばちッたあ物も判ろうに、生みの母の俤を、思い出そうと気ばかり逸るが、顔にとんと憶えがねえ。何て馬鹿な生れつきだと、自分を悔んで永え間、雲を掴むと同じように、手がかりなしで探している中に、おッかさんあッしも三十を越しましてござんす。
おはま お黙り。お前はあたしの生みの子とは違っているよ。何をいい加減なことをいってくるのだ。
忠太郎 えッ、ち、違ってる。あッしが忠太郎じゃねえのでござんすか。
おはま 名前は忠太郎かも知れないよ。生れた処も江州の番場宿か知らないが。
忠太郎 じゃ矢ッ張りあッしは。
おはま 傍へくるな図々しい奴だ。あたしの子の忠太郎は、九ツの時、はやり病で死んでしまったと聞いている。死んだ子の年を数える親心で、生きていたらあの子も今年三十二、いや一だったと、ゆうべも夜中に眼がさめて思い出していたくらいだ。お前がいくら何といっても、生みの母のあたしが見て、そうじゃないと思うのだもの。お帰り。さッさと帰った方がためなんだよ。
忠太郎 九ツの時に死にはぐったことは、正にあッしも憶えています。死んだというのは間違いで、忠太郎はこの通り、生きています。
おはま そんな手で這い込みはしないがいい。
忠太郎 這い込み。そうか、あっしを銭貰いだと思うのでござんすか。
おはま それでなくて何だい。
おせう (そッと急ぎ、板前、帳場などへ知らせに行く)
忠太郎 違う違う違います。銭金づくで名乗って来たのじゃござんせん。シガねえ姿はしていても、忠太郎は不自由はしてねえのでござんす。(胴巻を出し百両を前に)顔も知らねえ母親に、縁があって邂逅って、ゆたかに暮していればいいが、もしひょッと貧乏に苦しんででも居るのだったら、手土産代りと心がけて、何があっても手を付けず、この百両は永えこと、抱いてぬくめて来たのでござんす。見れば立派な大世帯、使っている人の数も夥しい料理茶屋の女主人におッかさんはなってるのかと、さっきからあッしは安心していたが、金が溜っているだけに、何かにつけて用心深く、現在の子を捉まえても疑ってみる気になりてえのか、おッかさんそりゃあ怨みだ、あッしは怨みますよ。
おはま 怨むのは此方の方だ。娘をたよりに楽しみに、毎日毎日面白く、暮している処へひょッくりと、飛んでもない男が出て来て、死んだ筈の忠太郎が生きています私ですと。お前、家の中へ波風を立てに来たんだ。
忠太郎 そ、そりゃ非道いやおッかさん。
おはま また、おッかさんなんて云うのか。
忠太郎 おッかさんに違えねえのでござんす。
おはま お前の心はわかっているよ。忠太郎と名乗って出て、お登世へ譲る水熊の身代に眼をつけて、半分貰う魂胆なんだ。
忠太郎 ええッ。
おはま 世間の表も裏も、さんざん見て来たあたしに、そのくらいの事が判らないでどうするものか。
忠太郎 (咽び泣く)
おはま (じッと忠太郎を瞶める)
忠太郎 (涙を拭うと決然と態度が一変する)おかみさん。もう一度更めて念を押しますでござんす。江州番場宿の忠太郎という者に憶えはねえんでござんすね。おかみさんの生みの子の忠太郎はあッしじゃねえと仰有るのでござんすね。
おはま そう――そうだよ。あたしにゃ男の子があったけれと、もう死んだと聞いているし、この心の中でも永い間死んだと思って来たのだから、今更、その子が生き返って来ても嬉しいとは思えないんだよ。
忠太郎 別れて永え永え年月を、別ッ個に暮してくると、こんなにまで双方の心に開きが出来るものか。親の心子知らずとは、よく人がいう奴だが、俺にゃその諺が逆様で、これ程慕う子の心が、親の心には通じねえのだ。
おはま 忠太郎さん。
忠太郎 何でござんす。
おはま もしあたしが母親だといったら、お前さんどうおしだ。
忠太郎 それを聞いてどうするんでござんす。あっしには判っている。おかみさんは今穏かに暮しているのが楽しいのだ。その穏かさ楽しさに、水も油も差して貰いたくねえ――そうなんだ判ってらあ。小三十年も前のことあ、とうに忘れた夢なんだろう。(立去る気になり)親といい、子というものは、こんな風でいいものか。(百両を役に立たぬ物として扱い、懐中する)
廊下に帳場与兵衛、板前善三郎、洗い方藤八、得物を隠し持って忍び寄る。
おはま それ程よく得心しているのなら、強って親子といわないで、早く帰っておくれでないか。
忠太郎 近い者ほど可愛くて、遠く放れりゃ疎くなるのが人情なのか。
おはま だれにしても女親は我が子を思わずにいるものかね。だがねえ、我が子にもよりけりだ――忠太郎さん、お前さんも親を尋ねるのなら、何故堅気になっていないのだえ。
忠太郎 おかみさん。そのお指図は辞退すらあ。親に放れた小僧ッ子がグレたを叱るは少し無理。堅気になるのは遅蒔きでござんす。ヤクザ渡世の古沼へ足も脛まで突ッ込んで、洗ったってもう落ちッこねえ旅にん癖がついてしまって、何の今更堅気になれよう。よし、堅気で辛抱したとて、喜んでくれる人でもあることか裸一貫たった一人じゃござんせんか。ハハハハ。儘よ。身の置きどころは六十余州の、どこといって決まりのねえ空の下を飛んで歩く旅にんに逆戻り、股旅草鞋を直ぐにも穿こうか。(廊下の者が物に触れる、聞きつけて)だれだッ。(障子を開ける)
善三郎 (与兵衛、藤八等と共に尻込む)
忠太郎 手前達に聞かせる話じゃねえ。失せろ。行かねえか。(障子を閉める)
善三郎 (与兵衛と囁く。藤八を呼んで囁きつつ、三人共に去る)
忠太郎 長え間のお邪魔でござんした。それじゃおかみさんご機嫌よう、二度と忠太郎は参りやしません――愚痴をいうじゃねえけれど、夫婦は二世、親子は一世と、だれが云い出したか、身に沁みらあ。
おはま 忠太郎さんお待ち。
忠太郎 (耳にも入れず、廊下へ出て)おかみさんにゃ娘さんがあるらしいが、一と目逢いてえ――それも愚痴か。自分ばかりが勝手次第に、ああかこうかと夢をかいて、母や妹を恋しがっても、そっちとこっちは立つ瀬が別ッ個――考えてみりゃあ俺も馬鹿よ、幼い時に別れた生みの母は、こう瞼の上下ぴッたり合せ、思い出しゃあ絵で描くように見えてたものをわざわざ骨を折って消してしまった。おかみさんご免なさんせ。(障子を閉る)
おはま あ。(呼びかけて思い直す)
お登世、廊下の奥から何も知らずにくる、後におふみが付いている。
雨の音が聞こえる。
忠太郎 (お登世を瞶める)よく似ているなあ。(懐しげに振り返りつつ去る)
お登世 だあれ、あの人。
おふみ (頭を振る)
お登世 おッかさんに似てやしない。
おふみ (思わず膝を打ち)そうでしたね。
おはま (未練が出て、廊下へ出ようとする)
お登世 あ、おッかさん。今の男の人だあれ。
おはま お前、見たのかい。(火鉢の方へ行く)
お登世 (座敷へ入る)ええ。ちょいと似てた。ねえおふみ。
おふみ (おはまに気兼ねして)ええ。
おはま (涙ぐむ)
お登世 どうしたの厭なおッかさんね。(もしやあれが胤違いの兄かと思い当る)おッかさん、おッかさんてば。
おはま あい、あいよ。
お登世 あの人。いつかもおッかさんが話していた人じゃない。
おはま (涙を拭う)
お登世 江州の忠太郎兄さんじゃないの。でも、忠太郎さんは九ツで死んだっていうから、そんな筈がないんだけれど。
おはま (嗚咽する)
お登世 あ、矢張り兄さん。忠太郎兄さんだったの。
おはま (泣き咽ぶ)
お登世 兄さんだ兄さんだ。おッかさん、兄さんなら何故帰したの、何故帰しちゃったの。
おはま か、堪忍おし。おッかさんは薄情だったんだよ。生れたときから一刻だって、放れたことのないお前ばかり可愛くて、三十年近くも別れていた忠太郎には、どうしてだか情がうつらない。
お登世 厭。厭。おんなじおッかさんの子じゃありませんか。
おはま だから堪忍おしと詫まってるんだよ。あたしは男勝りといわれ、自分でもそう思っていたが、これが何で男勝りか、我ながら情ない気になっていたんだ。
お登世 おふみ、急いで兄さんを呼んであげて、ね、ね。
おふみ (貰い泣きをしていたが)え。(直ぐに急いで去る)
おはま お前の心に対してもおッかさんは恥かしい。思いがけない死んだとばかり思っていた忠太郎が名乗って来たので、始めの内は騙りだと思って用心し、中頃は家の身代に眼をつけて来たと疑いが起り、終いには――終いにはお前の行く末に邪魔になると思い込んで、突ッぱねて帰してやったんだが――お登世や、あたしゃお前の親だけれど、忠太郎にも親なんだ、二人ともおんなじに可愛い筈なのに何故、何故お前ばかりが可愛いのだろう。
お登世 家の身代なんか、兄さんにあげたっていいじゃないの、あたしは赤ン坊の時から可愛がられて来たのに、兄さんは屹とそうじゃなかったんでしょう。
おはま (泣き入る)
おふみ (引返し来る)もう駄目なんでした。下足さんや出前さんに駆けて行って貰ったのですけれど。
おはま (決意する)そうかい、いいよ。今度は此方から忠太郎を探し出して、どんなことをしても、もう一度母子三人で会わなくちゃならない、おふみ、頭のところへ、だれか大急ぎで呼びにやっておくれ。
おふみ はい。(急いで去る)
お登世 あたし、みんなを指図して、もう一度兄さんを探させて見ます。(急いで去る)
善三郎 (廊下へ来たる)おかみさん。
おはま 板前さんか。何。
善三郎 ご免なさいまし。さッきの野郎のことなんですが。
おはま あッ、見付かったの。
善三郎 ヘッ、先刻の奴ですか。まだ、見付かりゃしませんが。ご安心なさいまし旨いことになりました。悪い野郎ですけどこんな時の役には立つ素盲の金五郎が、またやって来ましてね、この一件を小耳に挟むと、止めるを肯かずに飛び出しましたが、此方が頼んだ訳ではなし、金五郎が勝手に買って出たのですから、おかみさんは高見で見物していれば後腐れなく片付きます。後腐れといえば金五郎の方だが、此奴はあッしの親分に口をきいて貰い、五両か十両で片付けます。
おはま (色を変じて)えッ。どうしようというのだい。忠太郎を見付けて一体どう――。
善三郎 (怪しみながら)そんな騙りは腕か脛の一本も叩き折り、二度と夜迷い言をいってこねえようにすると云ってましたが。
おはま そ、そんなこと、いけないいけない。
善三郎 えッ。そいつあ困った。金五郎の奴は性の悪い浪人と一緒でしたが、そいつなら居どころを知ってるといってましたが。
おはま ああ、どんなことになるか知れやしない。
善三郎 困ったなあ。その浪人の奴が金五郎に三両で引受けさせろと強請んでいたが。バラさなきゃいいが。
おはま 駕籠をいわせておくれ、三枚だよ、あたしゃ直ぐ出かけるんだ。お前さんも行っておくれ。
善三郎 え、え。参ります。(急ぎ去る)
おはま (外出の支度をする。有り金を体につける)
雨が強く降り出す。
お登世 (力なく引返し来る)あら、どうしたの。
おはま お登世や、忠太郎が。(囁く)
お登世 (驚愕する)
おはま 駕籠はまだかい。板前さん――駕籠はまだかい。(廊下へ出る)
お登世 (泣き崩れる)