迷子

1話 迷子

2,347字 約5分 2002年5月20日 公開

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 お(かう)買物(かひもの)出掛(でか)ける(みち)だ。中里町(なかざとまち)から寺町(てらまち)()かうとする突當(つきあたり)交番(かうばん)(ひと)だかりがして()るので通過(とほりす)ぎてから小戻(こもどり)をして、立停(たちどま)つて、(すこ)(はな)れた(ところ)振返(ふりかへ)つて()た。

 ちやうど(いま)(あめ)()れたんだけれど、(じや)()(かさ)半開(はんびらき)にして、うつくしい(かほ)をかくして()つて()る。足駄(あしだ)()(すこ)(ゆる)んで()るので、足許(あしもと)()にして、踏揃(ふみそろ)へて、(そで)(した)風呂敷(ふろしき)()れて、(むね)をおさへて、(かほ)だけ振向(ふりむ)けて()()るので。大方(おほかた)(をんな)()でそんなもの()るのが氣恥(きはづ)かしいのであらう。

 ことの起原(おこり)といふのは、醉漢(ゑひどれ)でも、喧嘩(けんくわ)でもない、意趣斬(いしゆぎり)でも、竊盜(せつたう)でも、掏賊(すり)でもない。(むつ)ツばかりの可愛(かはい)いのが迷兒(まひご)になつた。

母樣(おつかさん)()うした、うむ、母樣(おつかさん)は、母樣(おつかさん)は。」と、見張員(みはりゐん)口早(くちばや)(たづ)()した。なきじやくりをしいしい、

(うち)()るよ。」

 巡査(じゆんさ)交番(かうばん)()凭懸(よりかゝ)つて、

「お(まへ)一人(ひとり)()たのか、うむ、一人(ひとり)なんか。」

 (うなづ)いた。仰向(あふむ)いて(うなづ)いた。其膝切(そのひざきり)しかないものが、突立(つツた)つてる(だい)(をとこ)(かほ)見上(みあ)げるのだもの。仰向(あふむ)いて()ざるを()ないので、(しか)も、一寸位(ちよつとぐらゐ)では()(とゞ)かない。(おとがひ)をすくつて、()(そら)して、ふッさりとある(かみ)(おび)結目(むすびめ)(さは)るまで、いたいけな(かほ)仰向(あふむ)けた。(いろ)(しろ)い、うつくしい()だけれど、左右(さいう)とも()(わづら)つて()る。(ほそ)くあいた、(ひとみ)(あか)くなつて、()いたので睫毛(まつげ)()れてて、まばゆさうな、その容子(ようす)ッたらない、可憐(かれん)なんで、お(かう)(ちか)づいた。

一體(いつたい)何處(どこ)()でございませう。方角(はうがく)(なに)(わか)らなくなつたんだよ。仕樣(しやう)がないことね、ねえ、お(まへ)さん。」

 と長屋(ながや)ものがいひ()すと、すぐ(おう)じて、

「ちつとも此邊(このへん)ぢやあ見掛(みか)けない()ですからね、だつて、さう遠方(ゑんぱう)から()るわけはなしさ、誰方(どなた)御存(ごぞん)じぢやありませんか。」

 (たれ)()つたものは()ないらしい。

「え、お(まへ)巾着(きんちやく)でも()けてありやしないのかね。」

 と一人(ひとり)(つくば)つて、(ちひ)さいのが(こし)(さぐ)つたがない。ぼろを()()る、(きたな)衣服(きもの)で、眼垢(めあか)を、アノせつせと()くらしい、兩方(りやうはう)(そで)がひかつてゐた。

仕樣(しやう)がないのね、(なん)にもありやしないんですよ。」

 (そば)()(ふと)つたかみさんが(おほ)きな(こゑ)で、

馬鹿(ばか)にしてるよ、こんな()にお(まへ)さん、(ふだ)をつけとかないつて(やつ)があるもんか。うつかりだよ、眞個(ほんたう)にさ。」

 とがむしやらなものいひで、(しか)りつけたから吃驚(びつくり)して、わツといつて()()した。(なに)(しか)りつけなくツたつてよささうなもんだけれど、(けだ)(あへ)てこの()(しか)つたのではない。可愛(かはい)さの(あま)(その)不注意(ふちうい)なこの()(おや)が、(おそろ)しくかみさんの(しやく)にさはつたのだ。

()くなよ、(こま)つたもんだ。()くなつたら、()いか、()いたつて仕樣(しやう)がない。」

 また一層(いつそう)(こゑ)をあげて()()した。

 (うち)()休息員(きうそくゐん)帳簿(ちやうぼ)()ぢて、(ふで)片手(かたて)()つたまゝで、()をあけて、

何處(どこ)其處等(そこいら)()れて()つて()たらば()うだね。」

「まあ、もうちつと()うやつとかう、いまに(たづ)ねに()ようと(おも)ふから。」

「それも左樣(さう)か。おい、()かんでも()い、()かないで、大人(おとな)しくして()るとな、()母樣(おつかさん)()れに()るんぢや。」

 またアノ可愛(かはい)ふりをして、(うなづ)いて、(その)まゝ()きやんで、ベソを()いて()る。

 (かぜ)()くたびに、糖雨(こぬかあめ)()きつけて、ぞつとするほど(さむ)いので、がた/\ふるへるのを()ると、お(かう)(たま)らなかつた。

 彌次馬(やじうま)なんざ、こんな不景氣(ふけいき)な、張合(はりあひ)のない(ところ)には寄着(よりつき)はしないので、むらがつてるものの(おほ)くは(みな)このあたりの廣場(ひろば)でもつて、びしよ/\(あめ)だから(たこ)引摺(ひきず)つてた小兒等(こどもら)で。()くのがおもしろいから「やい、()いてらい!」なんて、景氣(けいき)のいゝことをいつて見物(けんぶつ)して()る。

 子守(こもり)がまた澤山(たくさん)()つて()た。其中(そのなか)年嵩(としかさ)な、上品(じやうひん)なのがお(もり)をして(むつ)つばかりの(むすめ)()着附(きつけ)萬端(ばんたん)姫樣(ひいさま)といはれる(かく)一人(ひとり)()た。その飼犬(かひいぬ)ではないらしいが、毛色(けいろ)()い、(みゝ)()れた、すらつとしたのが、のつそり、うしろについてたが、(みんな)で、がや/\いつて、迷兒(まひご)にかゝりあつて、うつかりしてる(ひま)に、(ふつ)さりと(むす)んでさげた(その)姫樣(ひいさま)(おび)(くは)へたり、()(くち)をなめたりして、落着(おちつ)いた(ふう)でじやれてゐるのを、附添(つきそひ)が、つと()つけて、びツくりして、(しつ)! といつて()ひやつた。(それ)()い、(それ)()いけれど、(いぬ)だ。

 悠々(いう/\)迷兒(まひご)のうしろへいつて、(ふる)へて()るものを、(かた)(ところ)ぺろりとなめた。のはうづに(おほ)きな(いぬ)なので、前足(まへあし)突張(つツぱ)つて()つたから、()(ちつ)ぽけな、いぢけた、(さむ)がりの、ぼろツ()より(たか)いので、いゝ()になつて、垢染(あかじ)みた(えり)(ところ)(あか)(した)(なが)いので、ぺろりとなめて、(わか)つたやうな、心得(こゝろえ)てゐるやうな(かほ)で、(すま)した(ふう)で、も(ひと)つやつた。

 迷兒(まひご)(かなし)さが充滿(いつぱい)なので、そんなことには()がつきやしないんだらう、巡査(じゆんさ)にすかされて、()いちやあ母樣(おつかさん)()てくれないのとばかり(おも)()んだので、無理(むり)(こら)へてうしろを振返(ふりかへ)つて()ようといふ元氣(げんき)もないが、むず/\するので(かんが)へるやうに、小首(こくび)をふつて、(うなが)(ところ)ある(ごと)く、はれぼつたい()で、巡査(じゆんさ)見上(みあ)げた。

 (いぬ)はまたなめた。其舌(そのした)鹽梅(あんばい)といつたらない、いやにべろ/\して(すこぶ)るをかしいので、見物(けんぶつ)一齊(いつせい)(わら)つた。巡査(じゆんさ)苦笑(にがわらひ)をして、

「おい。」とさういつた。

 お(かう)(たま)らなかつた。かはいさうで/\かはいさうでならないのを、(ほか)多勢(おほぜい)()()るものを、(をんな)()で、とさう(おも)つて、うつちやつては()きたくなし、さればツて()ても()られず、ほんとに()うしようかと(おも)つて、はツ/\したんだから、此時(このとき)もう(たま)らなくなつたんだ。

 いきなり(まへ)()て、(かほ)(あか)くして、

(わたし)が、あの、さがしますから。」

 と、(くち)(うち)でいふとすぐ()いた。下駄(げた)(どろ)(おび)にべつたりとついたのも(かま)はないで、()きあげて、引占(ひきし)めると、(かた)(ところ)へかじりついた。

 ぐるツと取卷(とりま)かれて(はづか)しいので、アタフタし、()()したい(くらゐ)急足(いそぎあし)踏出(ふみだ)すと、おもいもの()いた(うへ)に、落着(おちつ)かないからなりふり(うしな)つた。

 穿物(はきもの)()(ゆる)んで()たので踏返(ふみかへ)してばつたり(よこ)(ころ)ぶと姿(すがた)(みだ)れる。

 (みんな)(どつ)(わら)つた。お(かう)()()した。

明治三十年八月

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