5話 日支親善の切要
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我輩は隣邦国民の友誼として従来数々支那人に警告した、注意した。およそ国家の滅亡は他動的に非ずして、自動的なものである。亡ぼさるるというは当らず、亡びるのである。羅馬の亡びたのは北方蛮族が亡ぼしたというが決して然らず、もう羅馬は腐敗していた。そこで北狄が侵入したまでである。物まず腐って虫これに生ず。これは亡ぼさるるに非ずして亡びるのである。支那人たるもの宜しくこれに注意しなければならぬ。それから、支那と日本とは同種同文の国である。而して支那そのものを回瀾既倒の苦境より救うものは、我が日本である。支那を開発し誘導するものは、我が日本を措いて他にない。支那の復活蘇生の大任に当るものとしては、異人種ではいかぬという趣意を反覆しておかねばならぬ。その一例としては朝鮮を挙げる。朝鮮を誘導して真に国家的独立を維持せしむるものは日本であった。然らば朝鮮たるもの、宜しく我が日本に信頼するがいい。ところが素々事大思想に囚えられていた朝鮮は左顧右眄、容易に日本に信頼するの態度を示さざる結果、ついにあんな仕末になってしもうたのである。この一片の友誼を無視して誤てる思想の捕虜となった結果は、近く朝鮮にある。
然るに支那にしてもし今の状態を永く続けるならば、その間には虎視眈々として、野心を蔵し功名心を有する列強が、その機に乗じて種々なる暗中飛躍を試みることになるかも知れぬ。そこで勢い他の力に頼って一日の安きを偸むようになる。その結果は亡国。朝鮮はこれをやって、とうとうああいう末路を見た。しかしこれを以て直ちに侵略的の意味に誤解されては甚だ困る。真に友誼をもっているからこそ、かくの如く忠告するのである。これは友人に非ざれば、到底出来ぬ忠告である。諫言は耳を逆らう。しかも支那はこのことを能く自覚せよと、こういう意である。世界の歴史にも往々見ることだが、他の力を当てにして一日の偸安を計るということが一番畏るべしだ。これは支那の歴史にはいくつもその例がある。他者に頼って一日の安きを偸んで、ついに国家百年の災いを貽すに至る。我輩はそれを畏れるのである。今の中に南北人種の争いより超越して、国体及び政権を整理し、国運を挽回して更に強固なる国家となることを我輩は衷心より希望する。