古代之少女

7話

3,689字 約7分 2014年3月19日 公開

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 此の日果して日置家の老女が、榛の木の門を這入つた。老女は庭に立つたまゝ、先づ供の女をして若殿忍男の君の内使として、まゐでたる意を言はせる。足人(たりと)夫妻は轉げる許りに走り出で敬まひ謹みて内使を迎へた。老女も懇ろに遜り、殆んど君命を帶びた使のやうではない。老女の樣子を一見しても、忍男が如何に手古奈に戀ひつゝあるかゞ知らるゝ程である。

 老女は徐に自分が大殿よりの表の使でなく、若殿よりの内使であることを陳じ、漸く來意を語る。詞の順序にも念を入れて、忍男が思ひの限りを漏れなく傳へんとの苦心も見えるまで、足人夫妻に申し聞える。夫妻は只々勿體なき仰せ冥加に餘る思召と感泣する許りである。

 思ひ初めたは、郭公鳴く青葉の頃、産土の祭禮の日よ、それより後は胸に一つの塊りを得て、一日も苦悶の絶えた日は無い。思ひかねた露の曉月の宵、忍びの狩にまぎらはし、垣根の外の立迷にも十度に一度も戀人の俤を見ず、なまじひに領主と云ふ絆の爲め、神に念ずるしるしもなく、只好き折あれと祈る許りを、測らず私部小室が噂を開き今は猛夫の心も消えて、地震に崩るゝ崖の土の如何に堰くべきすべやある。事後れて手古奈を人妻と聞くこともあらば、吾命も今日を限りと思へ。しかすがに忍男は武士の子ぞ、心なき毛ものゝ類なる權威の力を以て決して人の心を奪はんとするものでは無い。若しも手古奈が我に先ちて小室に許したるならば、我は神かけてそを妨げん心はなし。戀の嘆きに命盡くるとも手古奈が爲には福を祈るまことを知れ。家柄身柄をのけての眞情を思はゞ、包みなき心の底を打明けて給はれ……。

 老女は聲ふるはして語り終つた。時服一かさねに例の歌の消息がある。手古奈が眞の返りことをと言ひ添へる。

 足人は思ひ餘りてか詞も整はない。天地の神に誓ひを立て手古奈に異心なき由をいふ。若殿の眞情を思へば兎の毛の先の塵ほども包むべきにあらねばとて、妻をして、小室手古奈の關係を詳かに語らせた。そこに手古奈も出でゝ、父母の詞を事實に明した。

 老女の悦びは假令ば、水を失へる青草の雨に逢ひたらん如く、見る/\眼も晴れ聲もさわやかになつたも理である。

 老女は猶かにかくと申合せる。第一に私部小室が方には、事巧みに斷わるべく、後の恨み殘さぬ計らひを旨とせよなど注意する。こなたには又忍男の殿が、來む馬競べに第一位の勝を占めなば恩賞願ひの儘ぞと、大殿の仰せを幸に必ず其日の勝を得て、手古奈が事の許しを得むと勇み給ふ。さすがに名門の生れは何事にも際立ち見映ある振舞にものし給ふなど語れば、次に聞居たる少歳は堪へかねた面持にいざり出でゝ、手古奈のいろせ少歳も、此度の馬競には必ず恩賞の列に入るべく勵みある由若殿へ聞え給へといふ。一家の悦びは包まむとして包みきれぬさまである。老女も事の次第を片時も早く若殿に告げ、若殿が悦びのさま見んと辭し去つた。

 事かくと定つては手古奈の母は云ふ迄も無く、足人も少歳も一齊に元氣づき自づから浮立つ調子に、賑やかさは小さな家に溢れるのである。

 親子三人は未だうか/\しつゝある内にも手古奈は早一人胸を痛めてゐる。一度は憎からず思ひし小室の君、自づと思も通へばや、悦び勇みて別れた彼の君に何と答を言ふべきぞ。よしや餘儀なき理は存するとも、理りに思ひのなぐべくは吾とて物を思はぬものを、何というて帶を返すべきか、何というて歌を返すべきか。

 手古奈は小室が失望を思ひやる苦痛に、吾身の幸福を嬉しと思ふ餘裕が無い。どのやうに考へても言はねば濟まぬ事は言はねばならぬ。愈々小室に理り言はねばならぬ日は迫つてゐる。手古奈は何もかも忘れて思ひ亂れる。

 手古奈は忍男の眞を嬉しと思ふ心が弱いのでは無い。只小室の失望に同情するの念を胸中に絶つことが出來ないのである。乍併茲が手古奈のゆかしい處で、新を迎へ舊を忘れ、石に水を注ぐやうな手古奈であらば堂々たる男子が泣きはせぬ。

 手古奈が片寄つて一人呻吟しつゝある間に、奧では親子三人が私部家に對する相談を始めた。母は急に手古奈を呼び、小室の君へ申しやる詞はおぬしがよき樣に言へといふ。使の役は父がゆくより外に人はない。手古奈は此夜一夜眠られぬまゝに、父に持たせやるべき歌を作つた。

眞間の江や先づ引く汐に背き得ず

靡く玉藻はすべなし吾君(わぎみ)

いたづらに(こと)うるはしみ何せんと

君が思はむ思ひ若しも

 手古奈は詞には判然と言うて居れど、何分顏には進まぬ色がある。一家のものは非常な悦びの間にもこれ一つが晴れ殘りの村雲だ。それは云ふまでも無く小室手古奈の關係が片づかぬ爲といふも知れてゐる。今は何より先きに其極りをつけねばならぬ。翌日は取敢ず父が私部の館へ行くことになつた。手古奈は一層物思はしげな面持にて、昨夜の歌を父の前に置き、

 深きみ心を難有嬉しく思ふは昨日も今日も露變らねど、事の定らぬ内に領主の館より仰せありて、餘儀なき成行き、主ある身親ある身は吾身も吾に任せぬ習ひ、何事も力も及ばぬ神の計らひとおぼしたべ、如何に手古奈を憎しみおぼすとも、手古奈が心から君に背きしならねば、只甲斐なき手弱女を憐れとおぼして……かくし申してよ其他は父が計らひにこそといふ。

 實儀一偏に平生無口な足人には、實にゆゝしき役目である。免れ難い今日の場合と思ふものから、家の爲め吾兒の爲め一所懸命の覺悟で出掛ける。私部小室が腹立の餘りに如何樣の難題を言ふかも知れぬ。そこを巧みに理わりて恨みを殘さず無事に役目を果すは大抵な事では出來ぬ。足人の心配は一通りでないのである。足人は只心に神を念じて、何事も包まず隱さず、事の始末と手古奈の詞とを傳へ、如何樣になるとも成行きの儘と決心した。

 さすがに手古奈は勿論母も少歳も、父の役目を氣遣ふので、此日は何事も手につかぬ。外の業にも出ないで父の歸りを待つた。

 暮近くに父が元氣よく歸つて來たのを見て一家の悦びはいふまでもない。足人は家人の顏を見ると、いきなり、小室の殿はえらいものだ。いやもう見上げたもの、おれどもの考へたのとは丸で違つてゐて、實に……それや言ふまでも無くよい首尾であつたがな。と話に假の結びをつけて家に這入つた。

 足人は心には聊か敵意もあつて、私部家に往つたものゝ、非常に鄭重な待遇を受け又意外な小室の挨拶をも聞いて、すつかり小室に參つてしまつた。小室の殿も成程若殿にひけをとりはせぬ。今は是非に及ばないが、これが同じく他人であつたらば、一日でも話の早かつた小室の殿に許すべきだ。手古奈の何となし躊躇するも無理がないとまで思うたのである、

 さすがに手古奈の前でさういふことはならぬなどゝ考へては來たが。極人がよく、奧底の無い足人には、どうしてもよい加減にはものが言へない。眞底から小室に同情した足人は、遂に思つた通りに小室を譽めてしまつた。足人の話によると。

 小室の意氣は實に美しい。態度は如何にも男らしい、そして眞に情の深い挨拶振りで足人も涙を拭はぬ譯にゆかなかつた。

 小室は、足人から始終の事情を逐一聞きとつて後手古奈の歌を見る。暫くは默念として歌より眼を離さぬ。いつしか顏の色さへ變じて、八尺十尺(やさかとさか)の溜息をついた。漸く吾に歸つてか、顫へる唇より、自分の運命が拙なかつた、と一語を漏らした。

 死ぬ人もある死なるゝ人もある世と思うて、絶念め得るであらうか。よし絶念め得たりとも絶念めての後には徒らに(むくろ)の小室がうごめく許りとおもへ。只に歡樂の盡きしといふのみならば、人は猶永らへ得べし。見るもの聞くものに哀怨の嘆き絶えざらば何をよすがに生を保たむ。手古奈なき小室は潤ひなき草木の花、色も香りも今日を限りと知れ……。

 木にも石にもあらぬ足人が、泣かずとすとも泣かずにゐらるべき。小室は辭を次ぐ。

 手古奈は餘儀なき成行きといふを、吾心に變りのあらむ樣なし。固より絶念めんと思はねば、絶念めん樣もない。手古奈が吾に來らぬは、手古奈が心からにあらずといふか、手古奈が吾に來らざるは、世に障りありての故ならば、吾は命の盡きぬ限り手古奈が來らむ日を待つぞ。

 忍男の君をも露憎しと思はぬを、又誰れに恨みの殘るべき。手古奈が(まこと)、人々の心やり、總じて嬉しく悦ばしく、行末永き手古奈が幸福を祈らむ。此上は吾茲にありて、吾が思ひのまゝに手古奈に戀ひするを許せ。絶念めんとて絶念め得る戀ならば、始めより太刀佩く大丈夫の言には出でず。帶も歌も改めて手古奈の母に參らせむ。せめては手古奈が身近くに留め給はゞ玉の緒長き慰みにこそ。

 詞は鐵石をも斷つさまであるが、さすがに打萎れた面持は包みおほせなかつた。

 小室の戀には誰れも同情せぬ譯にゆかぬ。野心家の母までが暫くは沈默して同情の色を動かした。手古奈の心中更に層一層の苦悶を加へたは言ふまでもない。やがて三人が言ひ合せたやうに、氣の毒は眞に氣の毒だけど、如何とも餘儀ない事ぢや。かう言ひつゝ僅かに陰鬱の氣を散じたのである。別けても母は俄に氣づいた如く手古奈の心を引立てようと、いろ/\快活な話を始めた。さうして快活な仕事を手古奈にいひつけた。自分も勿論一所にやるのである。

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