48話 前編 生涯 四八 ローヤル・ソサイテーの会長
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英国で科学者のもっとも名誉とする位置はローヤル・ソサイテーの会長である。ファラデーは勧められたが、辞退してならなかった。
一八五七年、ロッテスレー男爵が会長をやめるとき、委員会ではファラデーを会長に推選することになり、ロッテスレー男、グローブ、ガシオットが委員の代表者となって、ファラデーに会長就任を勧めにやって来た。皆が最善をつくして勧めたし、また多数の科学者も均しくこれを希望しておった。
ファラデーは元来、物事を即決する気風の人で、自分もこれに気づいているので、重要の事はいつも考慮する時間を置いて、しかる後に決定するというのを恒例にした。この時も恒例に従いて、返事は明日ということで、委員の代表者をかえした。
翌朝、チンダルがファラデーの所に入って来ながら、「どうも心配です。」という。ファラデーは「何にが」という。「いや、昨日来た委員連の希望を御諾きにならないのではあるまいか。それが心配で。」と返事した。ファラデーは「そんな責任の重い位置につくことを勧めてくれるな。」という。チンダルは「いや、私はもちろんお勧めもするし、またこれを御受けになるのが義務と思います。」というた。
ファラデーは物事をやす受け合いをすることの出来ない性質で、やり出せば充分にやらねば気がすまないし、さもなければ初めからやらないという流儀の人である。それで当時のローヤル・ソサイテーの組織等について多少満足しておらない点があった。それゆえ、会長になれば必ず一と悶着起すにきまっているので、「おいそれ」と会長にはならなかったのだ。もちろん、改革に着手するとなれば、ファラデー側の賛成者もあることは確なのである。そんな事で、チンダルは大いに勧めては見た。そのうちにファラデー夫人もはいって来た。これは夫の意見に賛成した。結局ファラデーは辞退してサー・ベンジャミン・ブロージーが会長になった。
かような理由で、ファラデーは会長にはならなかったが、今日でもローヤル・ソサイテーには委員連がファラデーに会長就任を勧めている所の油画がかけてある。ファラデーになって見れば、会長になったからというて別に名誉が加わりもしなかったろう。却ってローヤル・ソサイテーがファラデーを会長になし得なかったことを残り惜しく思うだけである。また王立協会でも、会長のノーサムバーランド侯が死んだとき、幹事連はファラデーを会長に推選したが、この方も断った。英国科学奨励会の会長にもならなかった。