俳画展覧会を観て

1話 俳画展覧会を観て

980字 約2分 2007年7月28日 公開

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 俳画展覧会へ行つて見たら、先づ下村為山(しもむらゐざん)さんの半折(はんせつ)が、皆うまいので驚いた。が、実を云ふと、うまい以上に高いのでも驚いた。(もつと)もこれは為山(ゐざん)さんばかりぢやない。諸先生の俳画に対して、皆多少は驚いたのである。かう云ふと、諸先生の()軽蔑(けいべつ)するやうに聞えるかも知れないが、決してさう云ふつもりぢやない。それより(むし)ろ、頭のどこかに俳画と云ふものと、値段の安いと云ふ事とを結びつけるものが、(あらかじ)め存在したと云つた方が適当である。

 但し中には画そのものがくだらなくつて、しかも(すこぶ)る高価なものも全くなかつた(わけ)じやない。が、あれは余りまづすぎるので、人に買はれると、(しう)を後世に残すから、わざと誰も買はないやうな、高い値段づけをつけたんだらうと推察した。唯、さう云ふ画が二三点(すで)売約済(ばいやくずみ)になつてゐたのは、誰よりも先づ()いた人自身が遺憾(ゐかん)だつたのに違ひない。

 それから句仏上人(くぶつしやうにん)が、画を()かせてもやはり器用なのに敬服した。上人は「勿体(もたい)なや祖師(そし)紙衣(かみこ)の五十年」と云ふ句を作つた人である。が、上人の俳画は勿論祖師でも(なん)でもないから、更に紙衣(かみこ)なんぞは着てゐない。皆この頃の寒空を知らないやうに、立派(りつぱ)な表装を着用してゐる。

 その次に参考品の所で、浅井黙語(あさゐもくご)先生の画を拝見した。これは非売品だから、値段に(おど)されない(だけ)でも、甚だ安全なものである。が、そんなことを眼中に置かないでも、鳳凰(ほうわう)羅漢(らかん)なんぞは、至極(しごく)結構な出来だと思ふ。あの位達者で、しかもあの位気品(きひん)のある所は、それこそ本式に敬服の(ほか)はない。

 最後に夏目漱石(なつめそうせき)先生の南山松竹(なんざんしようちく)を見て、同じく又敬意を表した。先生は生前、「(おれ)は画でも津田(つだ)に頭を下げさせるやうなものを()いてやる」と(りき)んでゐられたさうである。そこで津田青楓(つだせいふう)さんに御相談申し上げるが、技巧は()(かく)も、気品(きひん)の点へ()くと、先生の画の中には、あなたが頭を御下(おさ)げになつても、恥しくないものがありやしませんか。これは(わたし)自身が頭を下げるから、さうして平生あなたがかう云ふ問題には公明正大な事をよく承知してゐるから、それで(うかが)つて見たいと思ふ。

 前に書き忘れたが、鳴雪翁(めいせつをう)の画も面白く拝見した。昔、初午(はつうま)稲荷(いなり)()くと、よく鳥居をくぐる(みち)地口(ぢぐち)行燈(あんどん)がならんでゐた。あれはその行燈の絵を髣髴(はうふつ)させる所が甚だ風流である。

 まだいろいろ思ひついた事があるが、目下(もくか)多忙の際だから、これだけで御免(ごめん)(かうむ)りたい。

(大正七年十一月)

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