艶妖記 忍術千一夜 第一話

2話 二

2,490字 約5分 2022年6月3日 公開

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 夫妻の話に出た権右衛門とは何者であろうか。彼はこの郷七カ村の庄屋であり、武藤という苗字と強欲な妻と酒と博奕(ばくち)なしには一日もすまない二人の息子と、おせんと呼ぶ十四の娘と黒門のある大きな屋敷と広大な山林田畑の所有者であった。だが彼は創造的進化論の信奉者であって、

「譲られた財産というものはそのままでは財産ではない、それは遣い果たすか千倍にするかで財産の意味をなすのだ、おれは億倍にしてみせる」

 こういう大悟(たいご)した論拠に基づき、その職能と資力を動員して、田地家屋を質とする金貸しを始めた結果二十七年間はたりにはたり取った山林田畑合計三百三十三町歩余、家屋敷土蔵五十七棟、現銀三万三千三百余両という巨大なものになった。だが彼の創造欲は二人の息子の飲酒博奕癖の増長と歩を並べ、資産の増大するにつれて増大し、今や貪欲(どんよく)の聖者の観を呈しつつあったのである。――五百助のもちだした話をひととおり聞くがいなや、ごんえむ殿は極上の機嫌で、

「おい酒を持って来い、上等の酒のほうだぞ」

 こうどなりだした。百日の秘結(ひけつ)をいっぺんに下したような朗々寛々たる身構えになり、肥えた赭(あか)い髭面(ひげづら)もにわかに活気を帯びてきた。酒肴(しゅこう)の膳(ぜん)といっしょに強欲な妻女がまかり出て、砂地へ水の吸い込むごとく相談はすらすらと纒(まと)まった。要点を記すと、おせんが十八歳になったら八百助の嫁に迎えること、その結納として五百助から金千両、婚礼のときの支度金として金二千両、他に十年期限の無利子無証文で金二千両、合計五千両を提供するという条件であった。金一両の四分一、つまり銀十二匁が一分に当たる換算で、十四匁だせば米が一石も買えたという箆棒(べらぼう)な世の中だから、五千両がどのくらいの値打か御想像が願いたい。――さて約束は定(きま)った、権右衛門どのは猿面冠者(かんじゃ)が太閤になったような大恐悦で、

「なにおせんの事なら決して懸念には及ばない」

 と口から唾を飛ばしながら断言した、

「万一いやがるけぶりでも見せたら首へ繩を掛けてもつれてゆくさ、武藤の権右衛門は男だでのう」

 契約は完了した。そして完了した契約は正確に実行された。すなわち約束の金は直ちに届けられ、明くる年の二月にはかための盃(さかずき)が取り交わされたのである。――かくてその年の六月、八百助は父と一緒に京へ上った、これは十二歳のときから毎年繰り返される例で、瑪瑙の玉(ぎょく)や細工物を京へ持っていって売り、京から一年の必要品を買って帰るのである、父子は出来六という下男を供に吹矢の里をたっていった。しかるに大南という駅(うまや)へ着いた晩のことだが、父の五百助がとつぜん病みだし、そのまま寝ついてしまった。激烈な腸疾患で医者は半月くらいかかるだろうという、京の取引き店とは約束の日どりがあるので、しかたなしに八百助が出来六をつれて出立した。嗚呼(ああ)やんぬるかな、それは京への出立であると同時に悪運への踏み出しでもあったのである、というのは京の店で取引きをすませ、三百五十二両二分一朱という金を受け取って帰ろうとすると、出来六が安芸の宮島へ参詣(さんけい)するはずだとつかぬことを云いだした、

「おふくろさまの云いつけで、おまえの跛(ちんば)の治るよう、親父(おやじ)さまの災難除(よ)けも兼ねて代参してくれろ、と頼まれて来た」

 こう云うのである。八百助はそんなことは聞いてもいないし大南に病んでいる父の事も気がかりだから帰ろうと主張した。すると出来六は不逞(ふてい)にも、

「それなら自分ひとりで代参するから金を百二十両くれ」

 二十両は往復の雑費、百両は厳島神社へ奉納する分で、おふくろさまが承知だと頑張りだした。

「厭(いや)だ、そんなことはできない」

 少年はその片眼で下僕をにらみつけた、「なんだ厭だと」

 出来六はぐっと凄(すご)んだ、なんと凄んだことだろう、

「どうでも厭なら勝手にしろ、こうなれば腕ずくだ、背中の瘤(こぶ)も命も一緒に有金のこらずもらうからな」

 こう云って懐中からぎらりと短刀を抜いて見せた。片眼の睨みより短刀の光のほうが効果的なのはいうまでもない、山家そだちの十六歳の少年はひと縮みに縮みあがり、「宮島へゆこう」と眼を伏せた。

 世に下賤な人間ほど下賤なものがあろうか、こうして少年を誘いだした出来六は、備前の岡山で少年から金をあるだけ捲(ま)き上げ、そのままどこかへ消えてなくなった。よろしい、しばらく彼を逃走するに任せて、われらは八百助の身の上を眺めるとしよう、だがこれも簡略にするため一つ読者諸君の想像の援助を仰がなければならない、御承知のごとく彼は世間を知らない十六の少年であり、おまけに躯が不具で一文なしという、金箔(きんぱく)つきの条件に加えて世は混沌の時代である。諸君の想像し得るあらゆる艱難(かんなん)、饑餓、嘲笑、迫害、絶望、辛苦の中でも飛切り極上というところを御想像願う。――彼は自分の困苦艱難といっしょに世の中をもつぶさに見た、単に封建制といっても江戸幕府が安定し参勤交代が行なわれるようになってからは中央集権的封建制ともいうべく、政治にも道徳にもいちおう普遍妥当性が表われてきたが、それ以前は純然たる専制封建で、さかんに権力威勢の高価な押売りが行なわれていた。いたるところに藩主の交替があり、それに伴う城館の築造、武家屋敷の新設拡張、町屋の移動など、金と物資と労力を要することはすべて庶民の負担にされた、重税は酷税となり悪税となる、他藩との物資の交易が禁じられているので、産工業の萎縮(いしゅく)から物価は高騰と低落の板ばさみ、官は貢ぎを課し吏は賄賂を強要する、そこへもってきて大阪陣で死に損ねたり主人をうしなったり食禄(しょくろく)を離れたりした浪人の群れが、やけのやん八と改名して夜盗脅喝人斬り追剥(おいは)ぎと勇ましくのし廻っていた。之(これ)を要するに弱い者は泣き寝入りという、気前よく割り切れた時代だったのである。――八百助はその片眼でこれを見、背中の瘤でこれに触れ、跛の足でこれを踏み廻った。感受性も強く正義感の最もさかんな年齢で、自分の災厄と同時にこういう世相を経験した彼が、いかなる人生観を持ったかは説明に及ぶまい。さて、――かかる遍歴の後、ふた親に会いたい一心に支えられて、明くる年の二月ようやく八百助は故郷へとたどり着いたのである。

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