三悪人物語 忍術千一夜 第二話

1話 一

2,075字 約4分 2022年6月11日 公開

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 井住(いずみ)のくに佐貝(さかい)は中世日本における唯一の自由都市であった。永禄四年にキリスト教伝道のため佐貝へ来たヴィレラ師は、「――他の都市が戦乱によって惨害を受けている時、佐貝のみは平和と独立と特権と自由を保持し、共和政治の下に極めて安穏に富み栄えている。その状あたかもベニスのごとくである」と記している。しかり、佐貝は独立自由の市であった、巨万の富を擁し海外より舶載する豊かな物資があり、銃砲製造所もある。そこで勇猛なる戦国諸豪も、佐貝には膝(ひざ)を屈して軍用資材の融通を乞うくらいだった。

 しかし自由とか平和とか独立などというやつは、人類の文化を阻害し毒するものに違いない、なぜならそれは朝顔の花のようにしぼみやすく、美人の容姿のごとくなが続きがしないからだ。佐貝市もその例外ではなかった、やがて叩かれる時が来た。織田信長がごっそり金と物資を運び去り、豊臣秀吉は市の三方にある濠(ほり)を埋め、会合衆(佐貝の倉庫業者で共和自治体の司政官)らを強制的に大阪へ移住させた。慶長十九年には大阪冬の陣で東西両軍の争奪地となり、夏の陣ですっからかんに焼き払われた。掛値なしの焦土となって徳川氏に直轄され、「佐貝政所(まんどころ)」なる代官制が布(し)かれた。――南欧ベニスに比せられたる佐貝の「自由都市」たる性格も、歴史の法則にしたがってかく解体され、淘汰(とうた)の石車(いしぐるま)によってきれいに地均(じなら)しをされた結果、単なる幕府の代官所在地となり終わったのである。

 焼野となって五年、埋められた濠も復活され、地割りも出来、家もだいぶ建った。佐貝は西が海に面し、三方に濠がある。外と往来するにはこの濠に架した橋によるほかはない、橋には番人小屋があって、禁制品の密交易を厳しく監視する、非常に厳重だから注意が願いたい。――南北に延びている町のほぼ中央、殿馬場という所に「佐貝政所奉行役所」が建っている、与力同心の住宅もある、北と南の広小路には、富裕な商人や倉庫業者たちの家倉土蔵、問屋、商舖などが建ち、海に面した大丁浜には廻漕(かいそう)倉庫が並んでいる。またそこここに寺院の大屋根が五つも見えるが、……庶民どもの住宅街はまるでひどい、乞食部落というより焼け木杭(ぼっくい)と繩蓆(なわむしろ)をつくねた感じである。もちろんまだ焼跡のまま空いている地面がいたるところにあって、そこにはより貧しい人たちの小屋が散在している。辻(つじ)という辻には高札が立ち、そこにはこんな定書(さだめがき)が貼(はり)出してある。

一、米一日一人につき一合の事。

一、酒、菓子、煙草かたく禁止の事。

一、味噌、醤油、塩は時触れに従うべき事。

一、衣類、家具什器(じゅうき)等、新調すべからざる事。

一、夜間にも燈火を禁止の事。

 以上はおもなもので、他にも三十余カ条にわたる禁令法度(はっと)が列記されている。「魚は二十日にいちど」「野菜は十日に一人五匁」「草履は足半(あしなか)」「帯は三尺」などの類で、犯す者は屹度(きっと)申付くべしとある。つまりここでは生活を雁字搦(がんじがら)めにして、手枷(てかせ)、足枷、首枷をはめたうえ天床(てんじょう)へ吊(つる)し上げたというかたちらしい。――しかし人間はちゃんと生きていますぞ、ごらんなさい底冷えのする宵の口、矢倉下の辻を三人の屈竟(くっきょう)な男が歩いてまいる、頭巾をかぶり刀を差して、だがどこやら寒そうな肩つきで、……肩の高い痩(や)せた男は「中将(ちゅうじょう)」と呼ばれる、肥えた猪首(いくび)のが「権頭(ごんのかみ)」熊のように髭(ひげ)だらけで、しかし声のばかげて優しい男が「杢(もく)」という。彼らは大阪陣に抜刀斬込み隊で戦ったが、現在は夜道で抜刀をひけらかしたり、他人の家へ無断できり込んだりして地道に稼(かせ)いでいる。三人は歩きながら話す。

「つんぼ井戸の向こうよ、柳を左へけち臭く下れば鼻っ先だ、なあ杢」

 権頭が胴震いをしながら云う、恐ろしく言葉が悪い、

「主じはまだずぶ若(わけ)え銀流しで、老いぼれた死っ損ないの下男に飯炊きのしわくちゃ婆あがいるばかり、ぐるりは痩っこけた松林にかじかんだ大根畑てえぐあいなんだ」

「ふん、よかりそだ、な」

 中将はまたばかに言葉を詰める、

「――が、もなるか」「物はあるかというんですね」

 杢が女のような優しい声をだす、

「おほん、それは、たとえて云えばですね、――石山の石ですよ」

「杢は象徴派でいけねえ、だがそいつはちょっと食(くら)いつけるぜ、そうなんだ中将、石山に石のあるくれえたしかなんだ、……戎(えびす)町に持木屋成助(もちきやなりすけ)てえ両替店(みせ)があるだろう、あれと西浜の来六屋出平(きろくやでへい)てえ納屋貸(なやがし)(倉庫業)とは、佐貝へ来てあっという間に土蔵の三棟ずつもおっ建てた、出来分限の両親玉だあ、――いま云ったつんぼ井戸の向こうの銀流しめは、その持木屋成助んとこへ千両箱の二三十も預けてけつかる」

「信じられなければですねえ、中将」

 と杢が指をひらひらさせる、

「ひとつ晩になってその家の外へいってみるんですよ、そっとね、そして静かに聞いていればわかります、――お寺の十二刻ですよ」

「ほいそいつも食(くら)えるぞ、そうなんだ中将、金の音がしやあがる、毎晩だぜ、毎晩のように小判を数えてけつかるんだ」

「もわかた、でじょぶだ、こんやろ」

 市町の角に番所がある、その手前へさしかかったとき、後ろから三人を追い越して、一人の娘がばたばたと番所へかけ込んでいった。

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