身のまはり

1話 身のまはり

1,290字 約3分 2007年8月6日 公開

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     一 机

 僕は学校を出た年の秋「芋粥(いもがゆ)」といふ短篇を新小説に発表した。原稿料は一枚四十銭だつた。が、いかに当時にしても、それだけに衣食を求めるのは心細いことに違ひなかつた。僕はそのために口を探し、同じ年の十二月に海軍機関学校の教官になつた。夏目(なつめ)先生の死なれたのはこの十二月の九日(ここのか)だつた。僕は一月六十円の月俸を貰ひ、昼は英文和訳を教へ、(よる)はせつせと仕事をした。それから一年ばかりたつた(のち)、僕の月俸は百円になり、原稿料も一枚二円前後になつた。僕はこれらを合せればどうにか家計を(いとな)めると思ひ、前から結婚する筈だつた友だちの(めい)と結婚した。僕の紫檀(したん)古机(ふるづくゑ)はその時夏目先生の奥さんに(いは)つて頂いたものである。机の寸法は(たて)三尺、横四尺、高さ一尺五寸位であらう。木の枯れてゐなかつたせゐか、今では板の合せ目などに多少の狂ひを生じてゐる。しかしもう、かれこれ十年近く、いつもこの机に向つてゐることを思ふと、さすがに愛惜(あいじやく)のない(わけ)でもない。

     二 硯屏(けんびやう)

 僕の青磁(せいじ)硯屏(けんびやう)団子坂(だんござか)骨董屋(こつとうや)で買つたものである。(もつと)も進んで買つた(わけ)ではない。僕はいつかこの硯屏のことを「野人生計事(やじんせいけいのこと)」といふ随筆の中に書いて置いた。それをちよつと摘録(てきろく)すれば――

 或日又遊びに来た室生(むろふ)は、僕の顔を見るが早いか、団子坂の或骨董屋に青磁の硯屏(けんびやう)の出てゐることを話した。

「売らずに置けといつて置いたからね、二三日(うち)にとつて来なさい。もし出かける(ひま)がなけりや、使でも(なん)でもやりなさい。」

 宛然(ゑんぜん)僕にその硯屏を買ふ義務でもありさうな口吻(こうふん)である。しかし御意(ぎよい)通りに買つたことを(いま)だに後悔(こうくわい)してゐないのは室生のためにも僕のためにも()(かく)欣懐(きんくわい)といふ(ほか)はない。

 この文中に室生といふのはもちろん室生犀星(むろふさいせい)君である。硯屏はたしか十五円だつた。

     三 ペン皿

 夏目(なつめ)先生はペン皿の代りに煎茶(せんちや)茶箕(ちやみ)を使つてゐられた。僕は早速(さつそく)その智慧(ちゑ)を学んで、僕の家に伝はつた紫檀(したん)の茶箕をペン皿にした。(先生のペン皿は竹だつた。)これは香以(かうい)妹婿(いもうとむこ)に当たる細木伊兵衛(さいきいへゑ)のつくつたものである。僕は鎌倉に住んでゐた頃、菅虎雄(すがとらを)先生に字を書いて頂きこの茶箕(ちやみ)の窪んだ中へ「本是山中人(もとこれさんちうのひと) 愛説山中話(とくことをあいすさんちうのわ)」と(きざ)ませることにした。茶箕の(そと)には伊兵衛自身がいかにも素人(しろうと)の手に成つたらしい岩や水を(きざ)んでゐる。といふと風流に聞えるかも知れない。が、生来の無精(ぶしやう)のために(ほこり)やインクにまみれたまま、時には「本是山中人」さへ逆さまになつてゐるのである。

     四 火鉢

 小さい長火鉢(ながひばち)を買つたのもやはり僕の結婚した時である。これはたつた五円だつた。しかし抽斗(ひきだし)具合(ぐあひ)などは値段よりも上等に出来上つてゐる。僕は当時鎌倉の(つじ)といふ処に住んでゐた。借家(しやくや)は或実業家の別荘の中に建つてゐたから、芭蕉(ばせう)(のき)(さへぎ)つたり、広い池が見渡せたり、存外(ぞんぐわい)居心地のよい住居(すまひ)だつた。が、八畳二間(ふたま)、六畳一間(ひとま)、四畳半二間、それに湯殿(ゆどの)や台所があつても、家賃は十八円を越えたことはなかつた。僕らはかういふ四畳半の一間にこの小さい長火鉢を据ゑ、太平無事(たいへいぶじ)に暮らしてゐた。あの借家(しやくや)も今では震災のために跡かたちもなくなつてゐることであらう。

(大正十四年十二月)

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