2話 満韓ところどころ(2)
読み方を変える
湯を立ててもらって、久しぶりに塩気のない真水の中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ叩くものがある。風呂場で訪問を受けた試しはいまだかつてないんだから、湯槽の中で身を浮かしながら少々逡巡していると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。いくらこつこつやったって、まさか赤裸で飛び出して、室の錠を明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。すると摺硝子の向側で、ちょっと明けなさいと云う声がする。この声なら明けても差支えないと思って、身体全体から雫を垂らしながら、素裸でボールトを外すと、はたして是公が杖を突いて戸口に立っていた。来るなら電報でもちょっとかければ好いものをと云う。どこへ行っていたんだと聞くと、ベースボールを観て、それから舟を漕いでいたと云う挨拶である。飯を食ったら遊びに来なさいと案内をするから、よろしいと答えてまた戸を締めた。締めながら、おいこの宿は少し窮屈だね、浴衣でぶらぶらする事は禁制なんだろうと聞いたら、ここが厭なら遼東ホテルへでも行けと云って帰って行った。
例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの卓へ坐らせられた。その男が御免なさい、どうも嚏が出てと、手帛を鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、暗に嚏を奨励しておいた。この男は自分で英人だと名乗った。そうして御前は旅順を見たかと余に尋ねた。旅順を見ないなら教えるが、いつの汽車で行って、どことどこを見て、それからいつの汽車で帰るが好いと、自分のやった通りを委しく語って聞かせた。余はなるほどなるほどと聞いていた。次に御前は門司を見たかと聞いた。次にあすこの石炭はもう沢山は出まいと聞いた。沢山は出まいと答えた。実は沢山出るか出ないか知らなかったのである。
しばらくして、君は旅順に行った事があるかとまた同じ事を尋ね出した。少々変だが面倒だから、いやまだだと、こっちも前同様な返事をしておいた。すると旅順に行くには朝八時と十一時の汽車があって……とまた先刻と寸分違わないような案内者めいた事を云って聞かせた。先が先だから余も依然としてなるほどなるほどを繰り返した。最後に突然御前は日本人かと尋ねた。余はそうだと正直なところを答えたようなものの、今までは何国人と思われていたんだろうかと考えると、多少心細かった。
余は日本人なりの答を得るや否や、この男が、おれも四十年前横浜に行った事があるが、どうも日本人は叮嚀で親切で慇懃で実に模範的国民だなどとしきりに御世辞を振り廻し始めた。せっかくだとは思ったが、是公との約束もある事だから、好い加減なところで談話を切り上げて、この老人と別れた。
表へ出るとアカシヤの葉が朗らかな夜の空気の中にしんと落ちついて、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。暗い所から白服を着けた西洋人が馬車で現れた。ホテルへ帰って行くのだろう。馬の蹄は玄関の前で留まったらしい。是公の家の屋根から突出した細長い塔が、瑠璃色の大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋が、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星を輝つかせていた。
七
この間から米国の艦隊が四艘来ているんで、毎日いろいろな事をして遊ばせるのだが、翌日の晩は舞踏会をやるはずになっているから出て見ろと是公が勧めた。出て見ろったって、燕尾服も何も持って来やしないから駄目だよと断ると、是公が希知な奴だなと云った。燕尾服は其上倫敦留学中トテナムコートロードの怪しげな洋服屋で、もっとも安い奴を拵えた覚があるが、爾来箪笥の底に深く蔵しているのみで、親友といえども、持ってるか持ってないか知らないくらいである。いくら大連がハイカラだって、東京を立つ時に、この古燕尾服が役に立とうとは思いがけないから、やっぱり箪笥の底にしまったなりで出て来た。じゃ、おれの袴羽織を貸してやるから、日本服で出ろ、出て、まあ、どんな容子だか見るが好いと、是公は何でも引き摺り出そうとする。いっそ出るくらいなら踊らなくっちゃつまらないから、日本服ならまあ止そうと云いたかったが、是公は正直だから本当にすると好くないと思って、ただ羽織袴はいけないよと断った。是公はそれでも舞踏会を見せる気と見えて、翌日の午、社の二階で上田君を捕えて、君の燕尾服をこいつに貸してやらないか、君のならちょうど合いそうだと云っていた。上田君もこの突然な相談には辟易したに違ない。笑いながら、いえ私のは誰にも合いませんと謙遜された。
舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから倶楽部に連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうと云われるので、三人で涼しい夜の電灯の下に出た。広い通りを一二丁来ると日本橋である。名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅にも丈夫にもできている。三人は橋の手前にある一棟の煉瓦造りに這入った。誰かいるかなと、玉突場を覗いたが、ただ電灯が明るく点いているだけで玉の鳴る音はしなかった。読書室へ這入ったが、西洋の雑誌が、秩序よく列べてあるばかりで、ページを繰る手の影はどこにも見えなかった。将棋歌留多をやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、椅子も洋卓もことごとく空いていた。今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公が云う。是公の会話の下手な事は天品と云うくらいなものだから、不思議に思って、御前は平生ここに出入して赤髯と交際するのかと聞いたら、まあ来た事はないなと澄ましている。それじゃ西洋人がいなくってつまらないどころか、いなくって仕合せなくらいなものだろうと聞いて見ると、それでもおれはこの倶楽部の会長だよ、出席しないでも好いと云う条件で会長になったんだと呑気な説明をした。
会員の名札はなるほど外国流の綴が多い。国沢君は大きな本を拡げて、余の姓名を書き込ました上、是公に君ここへと催促した。是公はよろしいと答えて、自分の名の前に proposed by と付けた。それへ国沢君が、同く seconded by と加えてくれたので、大連滞在中はいつでも、倶楽部に出入する資格ができた。
それから三人でバーへ行った。バーは支那人がやっている。英語だか支那語だか日本語だか分らない言葉で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡に星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。
八
ホテルの玄関で、是公が馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。いや開いた奴が好いと命じている。余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透き徹って、路も樹も屋根も煉瓦も、それぞれ鮮やかに眸の中に浮き出した。
やがて蹄の音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。二人はこの麗かな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。橋向うは市街である。それを通り越すと満鉄の本社になる。馬車は市街の中へ這入らずに、すぐ右へ切れた。気がついて見ると、遥向うの岡の上に高いオベリスクが、白い剣のように切っ立って、青空に聳えている。その奥に同じく白い色の大きな棟が見える。屋根は鈍い赤で塗ってあった。オベリスクの手前には奇麗な橋がかかっていた。家も塔も橋も三つながら同じ色で、三つとも強い日を受けて輝いた。余は遠くからこの三つの建築の位地と関係と恰好とを眺めて、その釣合のうまく取れているのに感心した。
あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で拵えてるんだと云う説明である。電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々危しくなって来た。よくよく糺明して見ると、実は今月末とかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。
そのうち馬車が、電車の軌道を敷いている所へ出た。電車も電気公園と同じく、今月末に開業するんだとか云って、会社では今支那人の車掌運転手を雇って、訓練のために、ある局部だけの試運転をやらしている。御忘れものはありませんか、ちんちん動きますを支那の口で稽古している最中なのだから、軌道がここまで延長して来るのは、別段怪しい事もないが、気がついて見ると、鉄軌の据え方が少々違うようである。第一内地のように石を敷かない計画らしい。御影石が払底なのかいと質問して見たら、すぐ、冗談云っちゃいけないとやられてしまった。これが最新式の敷方なんで、土台をどうとかして、どうとかして、鉄軌と鉄軌の間を混合金属で塗り固めて全線をたった一本の長い棒にしてしまって……とあたかも自分が技師であるかのごとき自慢である。内地から来たものはなるほど田舎もの取扱にされても仕方がない。そいつは感心だと、全く感心すると、技師を信任して、少しも口を出さずに、どうでも自分の思った通りをやらせるから、そんな仕事もできるのさと云った。内地では何でもやかましく干渉する奴がたくさん出て来るものと見える。
馬車が岡の上へ出た。そこはまだ道路が完成していないので、満洲特有の黄土が、見るうちに靴の先から洋袴の膝の上まで細かに積もった。この辺ももう少しすると、ホテルの前のように、カンカンした路に変化する事だろうが、そんな事を口外すれば、是公がますます得意になるばかりだから、わざと黙っていた。
九
これが豆油の精製しない方で、こっちが精製した方です。色が違うばかりじゃない、香も少し変っています。嗅いで御覧なさいと技師が注意するので嗅いで見た。
用いる途ですか、まあ料理用ですね。外国では動物性の油が高価ですから、こう云うのができたら便利でしょう。第一大変安いのです。これでオリーブ油の何分の一にしか当らないんだから。そうして効用は両方共ほぼ同じです。その点から見てもはなはだ重宝です。それにこの油の特色は他の植物性のもののように不消化でないです。動物性と同じくらいに消化れますと云われたので急に豆油がありがたくなった。やはり天麩羅などにできますかと聞くと、無論できますと答えたので、近き将来において一つ豆油の天麩羅を食ってみようと思ってその室を出た。
出がけに御邪魔でもこれをお持ちなさいと云って細長い箱をくれたから、何だろうと思って、即座に開けて見ると、石鹸が三つ並んでいた。これがやっぱり同じ材料から製造した石鹸ですと説明されたが、普通の石鹸と別に変ったところもないようだから、ただなるほどと云ったなり眺めていた。すると、この石鹸に面白いところは、塩水に溶解するから奇体ですよとの追加があったので、急に貰って行く気になって葢をした。
柞蚕から取った糸を並べて、これが従来の奴ですと云うのを見ると、なるほど色が黒い。こっちは精製した方でと、傍に出されると全く白い。かつ節なしにでき上っている。これで織ったのがありますかと聞いて見ると、あいにく有りませんと云う答である。しかしもし織ったらどんなものができるでしょうと聞くと、羽二重のようなものができるつもりですと云う。その上価段が半分だと云う。柞蚕から羽二重が織れて、それが内地の半額で買えたらさぞ善かろう。
高粱酒を出して洋盃に注ぎながら、こっちが普通の方で、こっちが精製した方でと、またやりだしたから、いや御酒はたくさんですと断った。さすが酒好きの是公も高粱酒の比較飲みは、思わしくないと見えて、並製も上製も同じく謝絶した。是公の話によると、この間高峯譲吉さんが来て、高粱からウィスキーを採るとか採らないとかしきりに研究していたそうである。ウィスキーがこの試験場でできるようになったら是公がさぞ喜んで飲む事だろう。
陶器を作っている部屋もあったようだが、これはほんの試験中で、並製も上製もないようであった。
中央試験所を出て、五六町来ると、馬車を下りて草の中に迷い込んだ。路のない谷へ下りたり、足場のない岡へ上ったりするので、汗が出て、顔の皮がひりひりして来た。その上胃がしきりに痛む。是公に聞いて見ると、射撃場へ連れて行ってやるんだと云うから、例の連れて行ってやると云う厚意に免じて、腹の痛いのを我慢して目的の家まで行ってすぐ椅子の上へ腰をかけてしまった。是公がしきりに鉄砲の話をするようであったが、とんと頭に響かない。何でもこの家だけは会社から寄附してやった。これでも二千円とか三千円とかかかったという事だけがようやく耳に這入った。
そこへ汚ない支那人が二三人、奇麗な鳥籠を提げてやって来た。支那人て奴は風雅なものだよ。着るものもない貧乏人のくせに、ああやって、鳥をぶら下げて、山の中をまごついて、鳥籠を樹の枝に釣るして、その下に坐って、食うものも食わずにおとなしく聞いているんだよ。それがもし二人集まれば鳴き競をするからね。ああ実に風雅なものだよ。としきりに支那人を賞めている。余はポッケットからゼムを出して呑んだ。
十
政樹公が大連の税関長になっていると聞いてちょっと驚いた。政樹公には十年前上海で出逢ったきりである。その時政樹公は、サー・ロバート・ハートの子分になって、やはりそこの税関に勤務していた。政樹公の大学を卒業したのは余より二年前で、二人共同じ英文科の出身だから、職業違いであるにかかわらず、比較的縁が近いのである。
政樹公の姓は立花と云って柳川藩だから、立派な御侍に違ない。それをなぜ立花さんと云わないで、政樹公と呼ぶかと云うに、同じ頃同じ文科に同藩から出た同姓の男がいた。しかも双方共寄宿舎に這入っていたものだから、立花君や立花さんでは紛れやすくていけない。で一方は政樹という名だから政樹公と呼び、一方は銑三郎という俗称だから銑さん銑さんと云った。なぜ片っ方が公なのに、片っ方はさんづけにされてしまったのか、ちょっと分らない。銑さんの方は、余と前後して洋行したが、不幸にして肺病に罹って、帰り路に香港で死んでしまった。そこで残るは政樹公ばかりになった。したがって政樹公をやめて立花君と云ったって、少しも混雑はしないのだが、つい立花よりは政樹公の方が先へ出る。やっぱり中村とも総裁とも云わないで是公と云い馴れたようなものだろう。
ここだと云うので、二人馬車を下りて税関に這入って見ると、あいにく政樹公は先刻具合が悪いとかで家へ帰った後であった。こっちの都合もあるし、所労の人に迷惑をかけるのも本意でないから、他日を期して税関を出た。すると今度は馬車が満鉄の本社へ横づけになった。広い階子段を二階へ上がって、右へ折れて、突き当りをまた左へ行くと、取付が重役の部屋である。重役は東京に行ってるもののほかは皆出ていた。それに一々紹介された。その中で昔見た田中君の顔を覚えていた。どうです始めて大連に御着きになった時の感想はと聞かれるから、そうです船から上がってこっちへ来る所は、まるで焼迹のようじゃありませんかと、正直な事を答えると、あすこはね、軍用地だものだから建物を拵える訳に行かないんで、誰もそう云う感じがするんですと教えられた。
しばらく椅子に腰を掛けて、おとなしく執務の様子を見ていると、じき午になった。さあ飯を食おうと、食堂へ案内された。ここへと云う席へ坐って、サーヴィエットを取り上げると、給仕が来て、それは国沢さんのですから、ただいま新しいのを持って参りますと云った。食堂は社の表二階にあたる大広間で、晩になれば、それが舞踏室に変化するほどの大きなものであった。これは社員全体に向って公開してあるのだそうだが、同じ食卓に着いた人の数を云うと、約三十人に過ぎなかった。この人数から推して、あるいは制限でもありはせぬのかと思ったのは余の想像に過ぎなかった。
料理は大和ホテルから持って来るのだそうで、同席の三十余人が、みな一様の皿を平らげていた。胃が痛いので肉刀と肉匙は人並に動かしたようなものの、その実は肉も野菜も咽喉の奥へ詰め込んだ姿である。一つどうですと向う側の田中君から瓢箪形の西洋梨を勧られた時は、手を出す勇気すらなかった。
十一