2話 二
読み方を変える
六月はじめの午後、――よく晴れて暑い日だった。
座敷いっぱいにひろげた下絵を前に、栄三郎は気のぬけたような眼つきで坐っていた。石川孝之介が来た日から七日のあいだ、殆んど一日じゅうそんな恰好で坐りとおした。彼はその絵になにが足りないかを考え続けているのだが、頭の中ではいろいろな思いが絡みあって、彼の気持をぐらつかせたり、また絶望的にさせたりした。
――きさまは絵師ではない、けちな旗本の道楽息子じゃないか。そんな嘲笑の声が絶えず耳のそばに聞えた。まさに彼はけちな旗本の三男である。父は数右衛門といい、五百石ばかりの小普請組で、頑固と謹直だけがとりえの、気むずかしい人柄であった。長兄の伊織も父の性分をそのまま写したような人間だったし、次兄の数馬も(これは早く他家へ養子にいったが)癇癪もちではあるがくそまじめな性質であった。栄三郎だけは誰にも似ず、形式だけは学問も武芸もやったが、少年じぶんから絵を描くのが好きで、学問所へゆくとみせては、横井宗渓という絵師のもとへ通った。宗渓は狩野派から出て、大和絵ふうを加えた独特の一派をひらいたが、あまり世間に迎えられず、どちらかというと不遇の人であった。栄三郎は十六の年から八年ばかり教えを受けた。絵の稽古は初めの三年くらいで、そのあとは飲むことと遊蕩のほうが主のようになった。栄三郎の顔さえみれば、宗渓はすぐに「おい、でかけよう」と立ちあがる。いつも貧乏だから、飲むのは居酒屋であり、遊ぶといってもよくって新吉原の小格子、たいていは岡場所と定っていた。そんなふうだからしぜんと借金が溜まる、見てもいられないので、栄三郎も家の物を持出すようになり、それが父親にみつかって、勘当された。――そのとき、角屋金右衛門が彼をひきとって、面倒をみてくれることになった。金右衛門は志摩のくに鳥羽港で、回船と海産物の問屋を営んでいる。また藩家稲垣氏の御用商であって、江戸日本橋に支店があり、年に一度ずつ出府して来た。古くから金右衛門は宗渓の絵をひいきにしていたが、少しまえから、宗渓よりもむしろ栄三郎の絵を欲しがるようになった。単に宗渓より好ましいというだけでなく、絵師としての将来を高く評価したらしい。彼が勘当になったと聞くと、日本橋槇町の(自分の店の)裏に、小さいながら一軒の家を買い、生活費から小遣まで、ゆき届いて面倒をみた。これは栄三郎の二十五歳の年のことであるが、それからまる七年、金右衛門の彼に対する信頼と好意は少しも変っていない。
こんど鳥羽の城中で御殿を修築するに当って、栄三郎に襖絵を描かせることになったのも、(角屋が費用を負担する条件もあるが)金右衛門の熱心な推薦によるものであった。――栄三郎が鳥羽へ来たのは、その年の二月であった。角屋の店は港の近くにあるが、城下町の西南、日和山という丘の中腹に控え家があり、そちらに金右衛門の妻や娘が住んでいるので、栄三郎はそこの離れ座敷を与えられ、以来ずっとそこで仕事をして来たのであった。
襖絵の主題は金右衛門の注文で、「武蔵野の冬」ということになり、栄三郎にも気にいった図柄だったので、五月の中旬には下絵が出来あがった。けれども、そこで、四五日まをおいて見ると、なにかしら足りないものがある、――人影のない枯れ野、というのが彼の覘いで、動くものは野茨の枝の鶫一羽だけであった。一と棟の家も入れてはならないし、まして人物などは絶対に入れてはならないのであった。
――ではなにが足りないのか、なにをそこへ描き加えたらいいのか。
約半月あまり呻吟したあげく、石川孝之介にその点を指摘された。しかも、いまなお打開することができないのであった。
「なっちゃねえ、このくそ頭」
栄三郎は筆を投げて、舌打ちをした。筆は絵具皿に当って乾いた音をたて、毛氈の上へころころと転げた。
「てんで動きゃしねえ」そして右手の指で額を小突いた、「まるで砂袋のようだ、まるでぎっしり砂が詰ってるようなものだ」
栄三郎はごろっと仰反けに寝ころんだ。すると、すぐそこに、おけいのいるのをみつけた。いつのまに来たものか、うしろへ来て立っていたのが、仰反けに寝たので初めて見えたのであった。
「――なんだ、吃驚させるじゃないか」
「ごめんなさい」おけいは恥ずかしそうに眼を伏せ、すぐにその眼で栄三郎を見た、「あんまり閉じこもってばかりいらっしゃるので心配になったんですの、そんなに根を詰めていらしってもしようがありませんもの、たまには気を変えにいらっしゃるほうがいいと思って」
「ほう、気を変えにね」
「それは此処は田舎ですから、お江戸のようにはまいりませんわ」とおけいは云った、「でも田舎には田舎の面白さもございますでしょ、賑やかに遊んでいらっしゃれば、少しは御気分も変るかと思うんですけれど」
「これは、これは」
「ほんと、いってらっしゃいましよ」おけいはまじめな顔で云った、「加茂川のこちらの町尻に、新水というお茶屋がありますわ、そこは父がひいきにしている家ですから、そこへいらしって、そうね、おつるという芸妓をお呼びになるとよろしいわ」
栄三郎はつい笑いだした。