12話 大人国
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「憲兵隊、よろしい。憲兵隊へ参りましょう。併し、その前にあなたに見せたいものがある。よい機会です。僕の秘密、僕の錬金術をお目にかけよう。是非見てもらいたいのです。それを見れば、僕がどういう人物であるか、あなたにもよく分るのです」
しばらく睨み合っていたあとで、怪人物韮崎庄平が、遂に兜を脱いだという調子で、真面目に提議した。
三好憲兵曹長は、このえたいの知れぬ相手の真意を察し兼ねて、急には答えなかった。警視庁指紋係の話によれば、韮崎は支那の仏像、骨董の類を夥しく所持していて、人にそれを見せて喜んでいるということであったが、今韮崎が見せたいというものは、それとは違うように感じられた。「錬金術」という言葉が何かしら突飛な非常識なものを聯想せしめた。
憲兵がそんなことを考えながら無言でいる間に、米国大統領の引伸し写真像は、半ば以上燃え尽して、大きな物音を立てて床に落ちた。落ちたまま、顔の部分が燃えている。口と鼻とは既に跡方もなく、今や二つの大きな目が灰になろうとしている所であった。漆喰の天井、厚い壁、固い南洋材の床、急に燃え移るものは何もなかったが、そのまま放って置くわけには行かぬ。韮崎は燃える額縁を靴で踏みにじって火を消した。
「ハハハハハハハ、僕がこのアメリカ人に敬意を表していないことがよくお分りでしょう。僕はこいつを呪っているのですよ。つまり、呪いの人型というわけですよ。
僕は身の明りが立てたいのです。僕がどういう人間であり、何を目論んでいるかということを、のっぴきならぬ証拠品によって、あなたに認めていただきたいのです。むろん、逃げ隠れはしません。喜んで憲兵隊へもお供しましょう。ただその前にほんの少しばかり、あなたの貴重な時間を拝借したいのです。御承諾願えませんかな」
三好曹長は、何か罠があるなと感じた。併しそれを恐れる気持は少しもなかった。こちらは予めあらゆる場合に備えて用意ができているのだ。むしろ進んで罠に懸かって見よう。それでこそ、このえたいの知れぬ怪物の正体が掴めるのだ。
「よろしい。それでは君の錬金術とやらを拝見しましょう」
曹長は微笑しながら答えた。
「そうですか。何よりの仕合せです。ではこちらへお出で下さい。僕の工房へ御案内いたしましょう」
韮崎も薄気味悪くニヤリと笑って、少し猫背になって、長い指の手を揉み合せながら、恭しく先に立って案内した。
暗い廊下を少し行くと、果して地下室への入口があった。三好曹長はそれを予期していた。韮崎は床に蹲ってコトコト音を立てていたが、やがて床板の一部が揚げ蓋になって、ギイと開くと、地下から幽かな光が漏れて来た。
韮崎は先に立って地下への階段を降りる。三好曹長は油断なく四方に目を配りながら、そのあとにつづく。揚げ蓋は開いたままである。
階段を降り切ると、そこに又扉がある。韮崎はその扉に手をかけて、薄くらがりの中を振返った。
「この中が私の工房です。実に手狭でお恥かしいものですが、御一覧下さい」
扉を開いて一歩その室内に踏み入った時、流石の三好曹長も、あっけにとられて、やや暫らく棒立ちになっていた。
天井も壁も床もコンクリートで固めた非常に広い頑丈な地下室である。そこに雑然紛然として、あらゆる形状の品物が天井の電燈に照らされて並んでいる。一方の隅は鍛冶場になっていて、巨大な漏斗をさかさまにしたような通気屋根の下にコークスの充満した炉の口が開き、奇妙な形の足踏み鞴が横わっている。その隣には小型旋盤が置かれ、すぐ傍の床に取りつけたモーターと調革でつながれている。その近くの壁には配電盤があり、大きなスイッチの銅が幾つも気味悪く光っている。
又一方の壁際には、大きな化学実験台が置かれ、その上にはレトルト、ビーカー、フラスコ、無数の試験管などあらゆる形状のガラス容器が雑然と並び、チロチロ燃える青い瓦斯の焔に、レトルトの中の液体が黄色い煙を吐いて沸々と泡立っている。
床一面には様々の形をした金属管、金属板、木切れ、板切れなどが所狭く置き並べてあって、玩具箱をひっくり返したと云おうか、ブリキ屋の仕事場を引掻き廻したと形容しようか、実に恐るべき光景であった。しかもそれらの金属や木片が、凡て一種異様の形状に切断せられ、折り曲げられていて、一体何を造るためにこのような形状が必要なのか、常人には想像もつかない不思議な品々であった。
更に異様なのは、この部屋には到るところに厚い天鵞絨の垂幕が下って、一箇の大地下室を幾つもに区劃し、迷路のような感じを与えていることであった。それらの垂幕の背後には何が隠されているのか、まことに油断のならぬ気配である。若し人が隠れようとすれば、この地下室には実に無数の隠れ場所があるわけである。
「これが私の工房ですよ。中世の錬金術師諸君も恐らくこんな工房に立て籠っていたことでしょうね」
韮崎は、三好曹長の驚き顔を尻眼にかけて、さも得意らしくいった。この地下室では、彼の房々とした長髪や、ピンとはね上った口髭、真黒な服装などが、俄かに生彩を放ち、一層魔術師めいて感じられる。
「これは一体何を造るための工房ですか」
三好曹長が詰問するように訊ねると、相手は奇妙な微笑を浮かべて、長い指の手を顔の前でヒラヒラと振って見せた。
「いろいろなものを造るためです。さっきの火焔放射器などもここの製品の一つですが、しかしあんなありふれたものを造るために、この工房を構えたのではありません。私の目ざすものは人間の想像を絶した遙か彼方にあるのです。
よろしいですか。中世の錬金術師は石や鉛を黄金に変えようとして苦労をした。彼等も本来は化学者なのですが、その突飛な情熱が魔術の方向を取り、世間から魔術師扱いを受けるに至った。よろしいですか。私も実は現代の錬金術師です。私は中世の先輩達のように金を採ろうなどとはしませんが、それよりももっと突飛なことを考えているのです。しかし私は魔術師ではありません。科学者です。ただ普通の科学者などは想像もしない大きな目的を持っているという点で、大学の先生などと違っているだけなのです」
韮崎はそこにころがっていた木箱の上に腰をおろして、落ちつきはらって長話をはじめた。証拠の品とやらは、この前説明が終ったあとで見せる積りなのであろう。三好曹長は相手のなすがままに任せ、自分も一つの木箱に腰かけて、この奇妙な演説者の顔を見守るのであった。韮崎の饒舌はつづく。
「科学が空想のあとを追って進歩して来たことは、誰でも知っている通りです。鳥のように飛びたいなあという空想が、現代の航空機を造り出す基となったのですね。魚のように水中を泳ぎ廻りたいという空想が、潜航艇を造り出したのです。古代人は一瞬にして千里を走る魔法の靴を空想しました。ギリシャ神話に翅の生えた靴を穿いている神様があります。西遊記の孫悟空は斗雲に乗って一瞬に千里を走るのです。速度の夢ですね。現代の航空機、ロケットなどがこの夢に近づこうとしています。千里眼はどこの国の古代人も空想しました。千里先の蟻の数をかぞえ得る目、千里先の蚊の鳴く声を聞く耳は、誰もが夢見たところです。しかし、これも天体望遠鏡とラジオ、電波探知機などによって既に実現せられました。よろしいですか。そこで人はこういう確信を持つことはできないものでしょうか。即ち人間の考え得ることで為し得ざることはないのだという確信ですね。この世に不可能はないのだということですね。精神一到何事か成らざらんという言葉は、本来の倫理的な意味の外に、科学的な意味をも持っているということですね。不可能という文字はナポレオンの字引になかったばかりでなく、科学者の字引にもないのですよ。エ、何とすばらしい考えじゃありませんか。私はこの確信を得たのです。躍り出したくなるじゃありませんか」
怪人物韮崎のいうところは、一応尤もであった。三好曹長もこの話を聞いている内に、科学というものの本当の意味はそこにあるのだ。科学者の真の使命はそこにあるのだと感じないではいられなかった。だが、この奇妙な男は結局何を云おうとしているのであろう。この錬金術師は何を発見したというのであろう。三好曹長は、できもしない永久運動の発明に一生を捧げて、遂に発狂した男を知っていた。狂熱的な発明家と狂人とは紙一重の違いのようにも思われる。この韮崎という怪人物も恐らくは狂人の部類に属するのではあるまいか。併し相手の思惑にはお構いなく、韮崎は憑かれたような饒舌をつづける。
「ところが、古来人間の描いた夢の中で、まだどこの国の科学者も手をつけていないものが、一つだけあるのですよ。ただ一つだけですよ。エ、お分りになりますか。あなたはガリバアの旅行記をお読みになったことがありましょう。ガリバアが小人国に漂着して、指の先程の人間の国の有様を見るところがありますね。小人国の住民から見れば、ガリバアは奈良の大仏どころではありません。富士山のような巨人です。小人国のいかめしい城塞は、ガリバアの靴の底でギュッと踏みにじれば、蟻の塔のようにつぶれてしまうのです。小人国の幾万の軍隊も、ガリバアがヒョイと腰をおろせば、その腰の下に敷きつぶされてしまうのです。小人国の住人から見れば、ガリバアの皮膚は象の皮の何十倍も厚くて、大砲の丸は迚も通りません。小人国最大の巨砲に撃たれても、ガリバアは蚊に刺されたほどにしか感じないのです。
大人国小人国の夢は、古来どこの国でも空想されました。日本でも色々な形でそれが残っています。新しいところでは朝比奈三郎島巡りなどという奇抜なのがありますね。朝比奈三郎が小人国に腰をおろして煙草を吸っていると、小人国の人民共はその煙草の煙を大火災と感違いをし、小人国の大勢の火消しが朝比奈の膝に梯子をかけて、消防に当るというあれですね。
そんな子供だましの空想が、科学とどんな関係があるのだと仰有るでしょうね。そうです。昔から発明家というものは、いつも世間からそういう風に云われ、笑われて来たのです。鳥のように飛ぼうとして、紙の翅をつけて屋根から飛び降り、大怪我をした男は、その当時どんなに物笑いの種にされたでしょう。しかしその男こそ航空機発明の先覚者だったのです。大発明はいつも子供だましから出発するのです。千万人の凡人共がガリバア旅行や朝比奈島巡りの空想を子供だましと嘲笑している時、ただ一人この空想と真面目に取り組む男があればよいのです。その男だけが本当の意味の科学者なのです。
つまり、私はこの我々の世界を小人国と仮定して、そこへ突如としてガリバアや朝比奈のような巨人を登場せしめることを考えているのです。アア、あなたはお笑いになりましたね。狂人の戯言だと仰有るのですか。よろしい、では一つ実物をお目にかけましょう。こちらへお出で下さい」
韮崎の言動は益々出でて愈々奇怪であった。彼はそのような巨人を見せようというのであろうか。そんな馬鹿馬鹿しいことが、一体この世に起り得るのであろうか。