偉大なる夢

22話 敵機来襲

3,784字 約8分 2021年10月28日 公開

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 大和航空機製作所爆破未遂事件があってから一ヶ月余りは、少なくとも表面においてはこれという出来事もなく経過した。その間にも、大東亜戦争の戦局はいよいよ危急を告げつつあった。味方は鞏固(きょうこ)なる内線作戦に満を持し、敵は大東亜共栄圏中断と日本本土空襲を目ざして、めくら滅法の前進をつづけていた。

 敵の醜き触手は非常の速度をもって法外に伸び(きた)った。伸びるにつれて触手の根元は糸のように細まり、今にも折れるかと危ぶまれたが、その危険を無視して、脆弱(ぜいじゃく)な触手はいよいよ伸び、従っていよいよ脆弱性を増しつつあった。

 味方は満を持して放たず、敵は遮二無二(しゃにむに)突き進んで腰が伸び切っている状態を国民はよく知っていた。伸び切った敵の焦慮がいつ東京空襲となって現われるかも知れぬという情況をも十分覚悟していた。

 軍官民共に敵機来襲にたいする一切の準備をととのえた。市街の到るところに広大な防火空地帯を設けるために、大規模な家屋破壊がおこなわれ、それらの家屋の居住者は(もと)より、広く都民の人口疎開(そかい)が実施せられ、国民学校児童の集団疎開も決行せられた。都民の家庭には必ず一個以上の防空待避壕が掘られ、そのほか都内の空地という空地、大道路という大道路には、大小無数の待避壕が、都民の手によって掘鑿(くっさく)せられた。全都の各町内ごとに数個の大貯水池が設けられ、消火用の水が満々と(たた)えられた。都民は今や万端の用意を終って、敵機の飛来を静かに待ち構えていたのである。

 ×月×日、午前一時、けたたましいサイレンの音が都民の夢をやぶった。警戒警報である。帝都防衛の任務をもつ各飛行場の飛行隊員はただちにその持場についた。照空燈、高射砲は敵機おそしと待ち構えた。全都の警察官、消防隊員、警防団員はそれぞれその持場を守り、隣組防空群員は防空服に身をかため、あらゆる防空準備を完了して各自の家庭に待機した。

 午前二時三十分、悲痛なるサイレンの断続音が鳴り渡り、空襲警報を伝えた。同時に帝都から一切の燈火が消え失せた。方十里の大市街に線香ほどの火光も残ってはいなかった。日頃の訓練が見事にその成果を示したのである。

 軍官民のあらゆる防空監視員は耳と目ばかりになって空を見つめていた。息づまる三十分が経過した頃、都民は都心より南方の空に照空燈の一斉放射を見、高射砲の轟きを耳にした。警防団の防空監視所からは、一点七点斑打(はんだ)の「敵機来襲」の半鐘がけたたましく鳴り響いた。

 闇の空を掻き廻す巨大な白銀(しろがね)の延棒、幾十条の照空燈の光芒(こうぼう)は、やがて上空の一点に集中し、敵機の姿を白熱の焦点にとらえた。四発の大型爆撃機である。名にし負う「超空の要塞」。その白熱の焦点より闇の大空を覆いつくし、八方に拡がる何千尺の白銀の光芒、下界の大市街には一点の火光も絶え果てた方十里の大空に、時ならぬ人工の大後光が、銀色の蜘蛛手の極光が、壮麗の限りを尽して輝き渡ったのである。

 しかしながら都民はこの空の壮観に見とれているわけには行かなかった。工場、事業場、家庭の待避壕は全都民を収容しつくし、人々は鉄兜の下に目と耳を圧えながら、落下弾との戦闘のために、そこを飛び出す時期を今やおそしと待ち構えていた。

 大空の壮観を眺め得るものは、軍官民の防空監視員のみであった。白銀の極光は彼らの頭上を、白熱せる敵機の飛行するにつれて、それを中心として天体のごとく雄大に移動しつつあった。

 この雄大なる光芒の移動がある距離に達すると、行手の闇に幾本かの白銀の延棒が出現して敵機に焦点を合せ、新たなる極光が構成せられる頃には、従前の幾光芒は既にして後続の新敵機をその中心に捉え、大空に二重の蜘蛛手を張っていた。かようにして照空燈が新たなる敵機を捉えるごとに、偉大なる空の光の網目は、三重となり四重となり、おのおのその中心に四発大型敵機を激怒の白熱につつみながら、壮絶なる空の持ち送りをつづけて行った。

 全都は今や敵の投弾と、味方の高射砲と、敵機味方機入り乱れての爆音と、名状しがたき大音響につつまれていた。待避壕内に耳と目を圧えている都民にも、これらの恐るべき音波はひしひしと感じられ、爆弾による地響きは、大地震のごとく待避壕そのものを揺り動かし、怒濤にもてあそばれる小舟に乗っているのではないかと怪しまれるばかりであった。

 地上には一点の火光もなく、敵機の見得るものは照空燈の光源のみ、しかもその八方よりの照射に乗組員は目もくらみ、爆撃の的を見極める余裕などあろうはずもなく、敵弾はことごとく盲爆、その多くは海中または郊外の田園地帯に落下したが、しかし市街地を破壊せるものも決して僅少ではなかった。重要施設、重要工場の被害は案外少なかったけれども、民家盲爆による負傷者は数百名におよび、死者また少なからず、火災は都内の数ヶ所に起った。

 軍官の各種機関はもちろん、民防空の警防団、隣組防空群は、これらの被害にたいし沈着勇敢に戦った。家庭婦女子の中には爆撃の衝動によって失神状態におちいったものも少くはなかったが、大多数の都民は男子も女子も、訓練と同様に活動することができた。負傷者の救護、焼夷弾の消火、復旧工作等いずれも見事におこなわれた。落下焼夷弾の八割は勇敢なる婦女子の初期防火作業によって、大事に至らぬ前に消し止めることができた。火災となったものも百戸以上の延焼は一ヶ所もなく鎮火せしめ得た。これは家屋疎開による防火空地帯と、都内無数の貯水池と、警防団に配置せられたガソリンポンプとが大いに物をいったのである。

 この防衛戦にもっとも大きな働きをしたものは味方の戦闘機隊であった。敵大型爆撃機は大陸奥地の大飛行場三ヶ所から合計五十余機がいわゆる波状攻撃の態勢をとり、つぎつぎと東京爆撃に向かったのであるが、その一部は既にして大陸上空において味方戦闘機の発見するところとなり、機を失せぬ攻撃により内七機を撃墜、撃破したのを手はじめに、日本海本土周辺において九機、本土上空に侵入したる後六機、東京周辺において三機を撃墜し、あるいは不時着せしめ、敵機が東京上空に達した時には早くもその過半数を失っていたのである。

 しかし残るところ二十数機とはいえ、名にし負う「超空の要塞」である。長距離攻撃のため投下弾積載量ははなはだしく制限されてはいたが、しかもなお各機優に一(トン)余の爆弾、焼夷弾を抱いていたのである。それが午前三時から四時三十分までの一時間半に亙って、つぎつぎと帝都上空を襲い、黎明視界がやや明かとなるやいよいよその猛威を振い、二三重要施設の被害を見るに至ったのである。

 東京上空では味方戦闘機の攻撃は活溌におこなわれた。帝都の防空監視員たちは、照空燈の大光芒集中する白熱の焦点において、巨大なる敵機の周囲を燕のように縦横無尽に飛びまわる味方機の果敢な姿をながめ、手に汗をにぎったのである。高射砲弾によって傷つき、郊外田園地帯に不時着せるもの二機、味方戦闘機の体当りによって墜落撃破せるもの三機、内一機は市街地に墜落し火災を生じたが、他の二機は何ら被害なき空地において爆破したのであった。

 黎明が照空燈の照射を不要とするに至るや、敵の爆撃視野も明るくなったが、一方味方の攻撃にも有利となり、高射砲、戦闘機の威力はいよいよ発揮せられ、敵機の巨体は翼のマークをあざやかに見せながら、無残な錐揉み状態となり、大空に黒い煙の筋を引いて墜落してゆくのがまざまざと眺められた。かくて黎明後の獲物、高射砲による撃墜一、戦闘機による墜落三を数えたのである。

 さらに敵の帰路には幾多の関門において、味方の攻撃が待ちかまえていた。残り少なの敵機は航路もしどろもどろに大陸基地へと逃げ帰るのであったが、その途中、大陸上空において日本戦闘機の邀撃(ようげき)に出会い、各所において合計十余機をうしない、辛くも基地に辿りついたものは、哀れ数機に過ぎなかった。かくてこの戦闘は敵の大惨敗に終ったのである。

 敵が自慢の大型爆撃機は、わが本土と大陸の到る所にその巨大なる醜骸を曝し、乗組員は不時着して捕虜となった十数名の外は大部分無惨の死をとげたが、中には墜落寸前機体を飛び出し落下傘によって降下したものも数名あり、それらの敵は各所において警察官、警防団員と勇敢なる隣組員の協力によって拿捕(だほ)せられた。

 ある地方では、女子青年団員が竹槍をもって降下兵を包囲し、敵が拳銃を撃ちつくすのを待って、女ばかりの手でついにこれを捕えたという、おどろくべき事例もあった。東京都内においても警防団員、隣組員の武勇伝は到るところに喧伝せられ、国民大衆の頼もしき底力を立証したのであった。

 しかしながらあらゆる武勇伝を超えて国民絶讃の的となり、全都民の涙を絞らしめ、孫子(まごこ)の末までの語り草となって残ったものは、帝都の空に散華(さんげ)した体当り戦闘機の諸勇士であった。

 都民は目のあたりそれを見たのである。自爆、体当りなどの事例はしばしば耳にしていたが、それを今、わが頭上に目撃したのである。照空燈の光芒の中心、白熱の敵大型機に向かって、銀色の燕のごとき戦闘機が、みずから一個の砲弾となって、その脇腹に突入して行った光景は、目撃した者の脳裏に焼きついて、永遠に忘れがたき印象を残した。それは悲壮といわんより、一種痛烈なる美しさであった。神のごとき美しさであった。

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