21話 横穴待避壕
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頭部と顔面の大部分を白い繃帯でつつんだ新一青年の異様な姿が、問題の第二、第三工場の中間の細長い空地に現われた。彼は一直線にその空地の行き止りに向ってすすんでゆく。一間ほどうしろから、望月少佐が大股に歩いてゆく。そして、その六七間あとに、遠藤技師長と京子とが不安らしく従っている。
空地の行き止りは三間ほどの高さの崖になっていて、その崖の下部にトンネルのような入口がポッカリ開いている。横穴待避壕である。
新一は無言のままその穴の中へ突きすすんで行く。望月少佐も足を早めてそれにつづく。横穴は二間ほどで右に折れている。そこを曲るとまったくの暗闇となった。新一はパッと懐中電燈を点じた。丸い光が黒い壁を這って、奥へ奥へとすすむ。
新一は足音を盗むようにして歩いている。少佐もそれに倣っている。二人ともまったくの無言である。
間もなく壕の行き止りに達した。怪しい人の姿などはどこにも見当らぬ。しかし新一は何か期するところがあるもののように、懐中電燈を振り照らして地上を探し廻っていたが、やがて何を発見したのか、いきなりそこに蹲って、手を土の中に入れた。
望月少佐はそれを見て、事の次第を察し、直ちに新一の側に寄って手助けをした。そして二人力を合せて、半ば土に埋もれていた二尺四方ほどの厚い鉄板をはがすように取りのぞいた。
予想に違わず、その下に丸い竪穴の口が開いていた。二人は下からの射撃を避けるために身を躱しながら、サッと懐中電燈の光を穴の中に投じた。
すると、そこに、一間あまりの竪穴の底に、土蜘蛛のような穴居人が蹲っていた。あの××温泉村の山の中にいた穴居人と同じ人物である。又しても穴の中、穴居はこの怪人物の習性となっていたのである。
この竪穴は決して今掘られたものではない。時限爆弾持ち込み以前から、曲者の隠れ場所として、密かに用意されていたものであろう。彼は新一と格闘の後、誤って袋小路に逃げ込み、一時はこの穴に身を隠したが、その後の見張りが厳重なため、遂に逃げ出す機会を失ったものであろう。
穴居人は不意を突かれて、懐中電燈の光の中に、みじめに蹲っていた。光を恐れる暗闇の生物ででもあるように、両手の肘で顔を庇ってその隙間から、醜い皺を寄せた額と、しかめた眉と、陰険な細い目とで、まぶしそうに穴の入口を見上げていた。
欧米人でないことは明かであったが、しかし恐らく日本人でもないであろう。日本人の中にこのような穴居の習性を持つけだものがいる筈はないからである。
「上って来い。俺は東京の憲兵隊のものだ。分ったか。もう観念して上って来い。でないと、この穴がお前の墓場になるんだぞ」
望月少佐は底力のある低い声で穴居人に呼びかけたが、相手は陰険な表情を少しも動かさないで、黙りこくっていた。
「オイ、聞こえないのか。お前、日本語が分らんのか」
相手は身動きもしなかった。
少佐はもう無駄な口を利かなかった。ポケットに用意していた小型ピストルを取り出し、引金に指をかけて、新一の持つ懐中電燈の光の中にニュッと突き出し、穴居人に狙いを定めた。相手は明かにそれを見た。しかし動かなかった。
「上って来い。一から十まで数える間猶予してやる。分ったか」
そして少佐は一、二、三、とゆっくり数えはじめた。だが、相手はふてぶてしく押し黙ったまま微動だもしなかった。
七、八、九、十、……数え終ると同時に、引金が引かれた。穴居人の頭の上の土が飛び散って、パラパラと彼の顔にかかった。
ここに至って怪人物はやっと御輿をあげるように見えた。彼は狭い穴の中にヌッと立ち上った。そして非常にノロノロした動作で、用心深い大蜘蛛のように、地上に這い上って来た。少佐と新一とは、男の手を左右から捉えて、穴の外に引き出し、そのまま手を離さず壕の入口へと向かった。三人とも全く無言であった。曲者も別に抵抗する様子はなかった。揺れながら洞窟の地上を照らす懐中電燈の円光、そのうしろから黙々として進む三個の黒影。
ところが、そうして十歩も進んだかと思う時、突如として、又もや意外な異変が起った。両方から引き立てている手の中で、穴居人の身体が、俄かに力を失い、海鼠のようにクナクナとくずおれて行ったのである。引き起しても引き起しても、立ち上る力も歩く力もなく、相手は最早人間ではなく、非常に重い一個の物体と化したかと感じられた。
「オイ、どうしたんだ」
懐中電燈が穴居人の醜い顔を照らし出した。口はだらしなく開いたままであった。両眼はうつろになって空を見つめ、微動もしなかった。その顔は死人の顔であった。
「死んでいる」
「自殺したのじゃありませんか」
二人は重い死体を抱えて、ようやくにして待避壕の入口に達した。そこには技師長と京子と数名の守衛や工員が群がっていた。
「どうしたんですか、その男は」遠藤技師長が驚きの叫び声を立てて近づいて来た。
少佐と新一青年とは、曲者をそこに横たえて、脉と呼吸を調べたが、男はまったく息絶えていることが分った。
「北川先生を呼んで下さい。誰か医務室へ走って下さい」
新一の声に応じて、一人の守衛と京子とが医務室の方向に走り去ったが、ほどもなく北川医師が駈けつけて来た。
医師は死体の側に跪き、先ず目と口を調べた後、人々に手伝わせて死体の上衣を脱がせ、胸、背、腕などを順次検診して行った。
「オヤッ、これは何だ」
医師は独言のように呟いて、死体の左の二の腕の青ざめた肉をつまみ上げた。そこにポッツリ赤い斑点があった。一滴の血がにじみ出していたのである。医師はハンカチで、丁寧にその血を拭き取って、しばらくそこの皮膚を凝視していたが、ふたたび独言のように呟いた。
「注射針の痕だ」
新一青年はそれを聞くと、何か思い当ることがあるらしく、懐中電燈を点じて、待避壕の中へ入って行ったが、暫くすると、土にまみれた小さな注射器を右手につまんで引返して来た。
「これが落ちていました。まだ中に薬が残っています。お調べになれば、どういう毒薬か、じきお分りになるでしょう」そう云って、注射器を北川医師に手渡すのであった。
それから曲者の死体は医務室に運び込まれ、望月少佐は電話をもって名古屋憲兵隊と長野県警察部とにこのことを報じた。そして翌日午前には検事と警察部長の臨検があり、一方名古屋憲兵隊からは外事班員、鑑識班員等の臨検があり、曲者の死因は揮発性有機毒の皮下注射によるものと判定せられた。即ち犯人は逮捕の危険が迫った場合はこれによって自決する覚悟をもって、日頃から毒物と小型注射器とを用意していたのである。けだものの如き穴居人に、この科学的準備があったことは、一応意外の感じを与えたが、彼は決して無智蒙昧のけだものではなく、時限爆弾を極めて適確有効な箇所に設置した手際から察しても、見かけによらぬ頭脳を持った男であることは明かであった。
犯人の身元は全く不明であった。着衣持物などからも何の手掛りも発見されなかった。そういう点にも、犯人は日頃から極めて綿密な注意を払っていたことが判明したばかりである。
その夜、望月少佐の宿泊している工場職員倶楽部の建物の日本座敷を、南工学博士と新一青年とが訪ねて、三人鼎坐して、事件について何かと語り合った。
「間諜団は自殺を申合せているらしいですね。もし彼らを間諜団の団員とすればですよ。韮崎という容疑者も獄中で自殺をとげ、又この身元不詳の男も自殺しました。彼らの決意は相当なものですね。恐るべき相手です。彼らの背後にもし間諜団の首領というような奴がいるとすれば、こいつは容易な人物ではありませんね」
南工学博士は望月少佐の意見を読み取ろうとでもするかのように、相手の目の中を覗きながら云うのであった。
「おっしゃる通り、そいつは容易な人物ではありません。この間、新一君にも云ったのですが、事件の蔭に身を潜めている奴は、百年に一度ぐらいしかこの世に現われて来ないような、実に特異な人物です。いわば世紀の怪物ですね」
望月少佐は又しても「世紀の怪物」という言葉を使った。すると事件の蔭の人物、間諜団の首領の存在が既にして推定せられ、少佐はその人物の性格までも知悉しているのであろうか。
「それに、なんですね、今までわれわれの前に姿を現わした二人の奴は、揃いも揃って非常な変り者ですね。こいつらも確かに怪物ですよ。韮崎は錬金術師だったし、今度の男は穴居人です。二人ともどこかしら常識を逸脱したところがある。一歩誤れば気違いになるような人間です。イヤ、奴らはもうとっくに気が違っていたのかも知れませんね」
新一が彼らしい観察を下した。
「そうです。その点もこの事件の一つの大きな特徴です。それから、あなた方はこういうことに気がつきませんか。韮崎も今度の男も、あまりに易々と自決をした。少しもねばりがなく、思い切りがよすぎるという点です。僕は何だか魂のない傀儡のように感じられるのですよ。自分の意志ではなく、何か他の強力な意力によって動かされている、全くその支配下にあって、ただ機械的に動いているという感じがするのです。そういう意味で僕はこの二人の憐れむべき人物の死因は、自殺ではなくて他殺だと考えるのですよ。その下手人は云うまでもなく、例の世紀の怪物ですよ」
望月少佐は謎のような幽かな微笑を浮べて、南博士と新一の顔をジロジロと見比べるのであった。