27話 偉大なる夢
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「新一君、君に一言聞かせることがある。我慢して聞くんだ。いいか」
望月少佐は椅子の下にくずおれている新一の肩をゆすぶった。新一は苦悶に歪んだ顔を起して、見えぬ目に少佐の声を見上げた。
「アメリカ人共は、これを聞いたら愕然として色を失うだろう。だが、日本人になった君には嬉しい知らせだ。君はお父さんに深手を負わせた。しかし殺しはしなかったのだ。新一君、安心したまえ。五十嵐博士は生きているんだぞ。そしてあの偉大な発明を殆んど完成したのだ。分るか。新一君、君のスパイとしての手柄はこれで台無しとなってしまったが、その代りに、父殺しの大罪を免れたのだ。喜びたまえ、君は君が思っている程の大罪人ではなかったのだ」
新一の瀕死の魂はこの言葉を聴き取ったのであろう。彼の土色の顔に幽かな微笑が浮かんだかと思われた。
「君は毒薬をもって五十嵐博士を殺したと信じていた。君ばかりではない、設計班の人々の全部がそれを信じた。しかし本当は博士はあの毒薬を飲まれなかったのだ。あのときわたしは博士の病室の次の間に寝ていたが、決して眠ってはいなかった。犯人の黒い手が薬瓶をすり換えたのを、隣室の暗闇の中からじっと見ていたのだ。そして、わたしは咄嗟にこの機会を逆に利用することを考えついた。
主治医の外科病院長に事情を打ちあけて協力を求めた。主治医は国家的な立場から医師としての良心を放棄し、極度に衰弱している五十嵐博士に麻酔薬を与え、外見上死人同様の状態にすることを承知してくれた。このことはわたしと主治医と二人だけの秘密として、設計班の人達にすら打ちあけなかった。主治医はこの困難な仕事を巧みになしとげてくれた。突然五十嵐博士の毒死が発表せられ、病中の博士夫人をはじめ設計班の人々が枕頭に集ったが、権威ある医学博士の断案を誰一人疑うものはなかった。当時衰弱の極にあった老博士の姿は、私自身さえ本当に亡くなられたのではないかと錯覚を起すほどであった。丁度その時新一君は山中の洞窟に隠れていたし、博士夫人は発熱のため長く死者の枕頭に侍することができない事情にあったので、このお芝居は一層安全に行われた。
博士の死体を納めたと見せかけた棺が上田市で火葬に附せられたが、その棺の中には主治医の外科病院に備えつけてあった人体骨格標本が入れてあったのに過ぎない。本当の五十嵐博士を運び出すために、もう一つの棺が用意された。わたしの部下がこの棺を守って、深夜自動車で長野市に走った。博士はそこの大病院に入り、万全の手当を受けた。東京からも北沢博士がわざわざやって来られて、この大発明家の健康恢復のためあらゆる手段が講ぜられた。
幸にして一ヶ月余りの療養の後、五十嵐博士は設計の仕事をつづけ得る体力を取戻すことができた。そこで、従来のものとは全然別個の設計班が組織せられ、愛知県下の某大工場を試作機製作所と定め、極秘の内に仕事が進められた。夜を日につぐ超人的努力が続けられた。
大和航空機製作所に移転した設計班の学者達には、この秘密を一言も漏らさなかった。京子さんの兄さんの南博士さえもこのことは御存じなかった。わたしは当時まだ新一君がその人であると確信していたわけではないが、いずれにせよ設計班の中に間諜に通諜するものがあることを疑わなかったからです。
新一君、聴いているか。わたしのいうことが分るか。オイ、喜びたまえ、君の罪はわたしが償って上げたのだ。君は親殺しの大罪を犯しはしなかった。イヤ、それよりも、国の興亡をかけた五十嵐博士の大発明を妨げはしなかった。妨げ得なかったのだ。オイ、新一君、分るか。君は救われたのだ」
少佐は怒鳴りながら、新一の肩をゆすぶったが、新一はこれに応えることは出来なかった。身体を動かすことは勿論、見ることも、口を利くことも出来なかった。しかし僅かに残る聴力が少佐の言葉を理解したのであろう。口辺にただよう一種不気味な微笑が、幽かに強まり拡がって行くように感じられた。
京子は新一が恐るべき敵国人であることを知って、一時は彼を限りなく憎悪したけれども、今は彼のために涙をながしていた。それは新一が日本人となって死んで行くのだという感動の涙であった。
「新一君、まだ死んではいけない。もう一言聞かせたいことがある。昨日だ。昨日の朝五十嵐博士の超高速度飛行機は試験飛行に成功した。……試作機の製作が驚く程早く完成したのだ。神業といってもいい。あの大負傷が五十嵐博士の脳髄に超人的な力を与えた。そして博士を助ける学者達の闘志がこれをなしとげた。設計の大部分は××温泉村の設計場で出来上っていたし、試作機の部分品も大半は注文ずみだったので、試作機の製作は予想外に早く完了した。その代りに人間と費用とは惜しげもなく使用せられた。設計製図には毎日五百人の学者、技術家が働き、製作には五ヶ所の主要工場を合せて毎日夜も昼も二千人の工員が働いた。
試作機の試験飛行は見事に成功した。詳しいことは私にも分らないが、五十嵐機の動力は旧来の発動機に特別の改良を加えたものと、一種のロケットが併用せられ、発動機で飛翔する場合は翼をひろげ、ロケットで驀進する場合には翼をちぢめて砲弾のような形になるという極めて巧妙な装置がほどこされているのだ。燕はゆっくり飛んでいるときは翼をひろげて羽搏くが、非常に早く飛ぶときには翼をぴったり身につけ、身を砲弾のように細くして空を斬る。わたしは五十嵐機は丁度あれだと思う。
成層圏に達するまでは翼をひろげているが、成層圏に上昇し、いよいよ長距離飛翔に移る際には翼が胴体にぴったり食い着いて、同時にロケットの爆発がはじまるという機構らしく想像される。その試験飛行が昨日の朝、愛知県の某所で行われたが、結果は非常な好成績であった。速度は五十嵐博士の計算よりも遙かに早いほどで、東京ニューヨーク間五時間の夢はもう実現したも同様だという知らせであった。五十嵐博士は助手達に助けられて、その場に立合って居られたが、大負傷後のからだも忘れて、躍り上って万歳を叫ばれたということです」
新一の遺骸はもういくらゆすぶっても何らの反応を示さず、一個の物体と化し去っていた。京子はその傍らの床にひざまずいて望月少佐を見上げたまま、声を上げて泣いていた。美しい頬を涙がとめどもなく流れるのを流れるに任せて小児のように泣いていた。
「京子さん、嬉しくて泣いているのですか。そうです、いよいよ驕敵アメリカを根こそぎやっつける時が来たのです。偉大なる科学者の夢はついに実現せられたのです。戦争を一挙に終局にみちびく偉大なる力が、今われわれの手に握られたのです。
五ヶ所の代表的航空機工場が、既に五十嵐機の製作に着手したということです。今から数ヶ月後には、何百何千の超高速爆撃機が完成せられるのです。そして、それらが太平洋を一瞬に飛び越す、無数の砲丸となって、ニューヨーク、ワシントンの空を暗くし、敵都の高層建築物を片端から破壊する日も遠くはないのです。敵策謀の本拠白堊館が大統領もろとも木端微塵となって飛び散る日が、間もなくやって来るのです。京子さん、そして、全国民が偉大なる老五十嵐博士を絶讃する日が、もう目の前に近づいているのです」
望月少佐の声は一語一語と高く激しくなって行った。そして、この狭い地下室の底は、今や雄大無比の幻影に満たされていた。そこには太平洋の空を蔽って飛び行く五十嵐機の大編隊がまざまざと眺められ、微塵となって飛散する白堊館の一大爆音が鼓膜も破れよとばかり聞えて来た。
少佐の歓喜の絶叫は地下室を震わせて鳴り響き、そのただ一人の聴手京子の頬には、拭いもあえぬ美しい涙が、あとからあとからと、とめどもなく流れ落ちるのであった。