杜子春

5話

2,213字 約4分 2005年2月7日 公開

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 杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、静に体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。

 この世と地獄との間には、闇穴道(あんけつどう)という道があって、そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き(すさ)んでいるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くは唯()の葉のように、空を漂って行きましたが、やがて森羅殿(しんらでん)という(がく)(かか)った立派な御殿の前へ出ました。

 御殿の前にいた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを取り()いて、(きざはし)の前へ引き据えました。階の上には一人の王様が、まっ黒な(きもの)に金の冠をかぶって、いかめしくあたりを睨んでいます。これは兼ねて(うわさ)に聞いた、閻魔(えんま)大王に違いありません。杜子春はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ(ひざまず)いていました。

「こら、その方は何の(ため)に、峨眉山の上へ坐っていた?」

 閻魔大王の声は(らい)のように、階の上から響きました。杜子春は早速その問に答えようとしましたが、ふと又思い出したのは、「決して口を()くな」という鉄冠子の(いまし)めの言葉です。そこで唯(かしら)を垂れたまま、(おし)のように黙っていました。すると閻魔大王は、持っていた鉄の(しゃく)を挙げて、顔中の(ひげ)を逆立てながら、

「その方はここをどこだと思う? (すみやか)に返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責(かしゃく)()わせてくれるぞ」と、威丈高(いたけだか)(ののし)りました。

 が、杜子春は相変らず(くちびる)一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言いつけると、鬼どもは一度に(かしこま)って、(たちま)ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞い上りました。

 地獄には誰でも知っている通り、(つるぎ)の山や血の池の外にも、焦熱地獄という(ほのお)の谷や極寒(ごくかん)地獄という氷の海が、真暗な空の下に並んでいます。鬼どもはそういう地獄の中へ、代る代る杜子春を(ほう)りこみました。ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を()がれるやら、鉄の(きね)()かれるやら、油の(なべ)に煮られるやら、毒蛇に脳味噌(のうみそ)を吸われるやら、熊鷹(くまたか)に眼を食われるやら、――その苦しみを数え立てていては、到底際限がない位、あらゆる責苦(せめく)()わされたのです。それでも杜子春は我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言(ひとこと)も口を利きませんでした。

 これにはさすがの鬼どもも、(あき)れ返ってしまったのでしょう。もう一度(よる)のような空を飛んで、森羅殿の前へ帰って来ると、さっきの通り杜子春を(きざはし)の下に引き据えながら、御殿の上の閻魔大王に、

「この罪人はどうしても、ものを言う気色(けしき)がございません」と、口を(そろ)えて言上(ごんじょう)しました。

 閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、

「この男の父母(ちちはは)は、畜生道(ちくしょうどう)に落ちている筈だから、早速ここへ引き立てて来い」と、一匹の鬼に言いつけました。

 鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上りました。と思うと、又星が流れるように、二匹の(けもの)を駆り立てながら、さっと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜかといえばそれは二匹とも、形は見すぼらしい()せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。

「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐っていたか、まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ」

 杜子春はこう(おど)されても、やはり返答をしずにいました。

「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、()いと思っているのだな」

 閻魔大王は森羅殿も(くず)れる程、(すさま)じい声で(わめ)きました。

「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」

 鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の(むち)をとって立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈(みしゃく)なく打ちのめしました。鞭はりゅうりゅうと風を切って、所(きら)わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身を(もだ)えて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程(いなな)き立てました。

「どうだ。まだその方は白状しないか」

 閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに(きざはし)の前へ、倒れ伏していたのです。

 杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、(かた)く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、(ほとんど)声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。

「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と(おっしゃ)っても、言いたくないことは黙って御出(おい)で」

 それは(たしか)に懐しい、母親の声に違いありません。杜子春は思わず、眼をあきました。そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、(うら)気色(けしき)さえも見せないのです。大金持になれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。何という健気(けなげ)な決心でしょう。杜子春は老人の戒めも忘れて、(まろ)ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の(くび)を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お(っか)さん」と一声を叫びました。…………

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