妙義山の五日

3話

1,834字 約4分 2020年10月16日 公開

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西山、東山と云ふも、金洞の山腰の谷合ひ也。界岩おのづから界をなして、東に石門攅立し、西には朝日嶽孤立す。第一門を過ぎて、禊岩をめぐりて行けば、地やゝ廣くして平らか也。社務所あり、山を負ひて、前は開けたり。近く朝日嶽を仰ぐ。祠は中岳神社と稱す。もと武尊大權現といへり。日本武尊を祀り、別に大黒天を祀りしが、神佛混合を禁ぜられてよりは、大巳貴命となれるなるべし。社務所の前を過ぎて、つきあたれば、大黒の祠あり。その前を右折して石磴をのぼれば、武尊の祠あり。朝日嶽直ちに祠を壓して、矗々天を剌す。前よりは登るべからず。左にめぐれば、道士長清の碑あり。こゝに隱棲したる高士也。葛籠岩崛起して、その岩脈、朝日嶽に連なる。鞍掛岩、法螺貝岩、この岩脈の中にあり。葛籠、鞍掛兩巖の間より岩脈の上に出でて右折すれば、石祠あり。細長き石、路に當る。西山狹の橋と稱す。東山狹の橋と相似たれど、こゝは一尺ばかりの下。兩側に一尺ばかりの餘地あれば、毫も危險を感ぜず。同じやうなる橋なり。されど、この橋は何人もわたるを得れども、東山狹の橋は、恐れて渡る能はざる人少なからずと、案内者意味ありげなること言ふ。鬚剃岩をくゞりてのぼれば、鐵梯かかる。鐵鎖もかかる。妙義の山中、鐵鎖多けれども、すべて之なくとも上下するを得べし。たゞ此處のみは鐵鎖のみにては困難也。その鐵鎖もなくして上下するは、命がけの仕事なりと思ひぬ。上りてゆけば、圓石路を要す。こゝにも鐵鎖あり。東西南北、どちらへ轉びても、命は無し。案内者曰く、先年、百々力といふ陸軍の士官、こゝにて逆立したることありてより、百々力岩と稱すと。こゝをすぐれば、朝日嶽の絶頂也。一二坪の平地、松は榮え、『としよう』は枯れたり。余はたゞ峯と巖とを記して、樹木を記せざりしが、妙義の三山は絶頂までも樹木あり。岩も樹木を帶びたり。多くは落葉樹なるが、まれには松を見る。こゝにて見たる紅葉もよし。葡萄園附近の紅葉もよし。されど、いづれも、白雲の大字巖附近には如かざる也。こゝにても、なほ巖を説かざるべからず。眼界は、東山よりもひろし。金洞の主峯に面して、左より數ふれば、西大黒岩、葛籠岩、仙人岩、右に轉ずれば、八丈岩、大佛岩、鳥越岩、二見岩、東大黒石など、名のつきたるものなるが、名のつかぬ奇巖も多し。妙義山中無數の奇巖、強ひて形似を求めて名をつけたるが、おほかたは、でたらめ也。記するも可也、記せざるも可也。たゞ白雲の大字巖、金洞の筆頭岩、金洞の四門、天狗臺、朝日嶽は、忘れむとするも、忘るゝ能はざる也。

 仰げば、金洞の三山、突兀として高い哉。妙義、榛名、赤城は、上州の三名山と云はる。妙義には、更に白雲、金洞、金の三山あり。金洞にもまた三山ありて、右なるが東本嶽、左なるが西本嶽、中なるが中ノ嶽也。中ノ嶽には上るを得べし。往復幾時間を要するかと問へば、二時間にて足れりといふ。いざや、上らむ。

 葛籠岩を左にして下り、八丈岩を右にして上る。路急也。八合目ぐらゐより嶂壁突つ立ちて、前より上るに由なし。左にめぐりて巖をよぢ、剃刀の如き峯背をつたふ。二箇處、鐵鎖にすがる。巖角や、木の根や、木の枝やに助けられて、漸くにして絶頂に達す。近く北に淺間を仰ぐ。八ヶ嶽、雪を帶びて、目だちて見ゆ。氣澄みて、天には片翳だになし。四方目のとゞく限りの山々見渡されたれど、唯富士山を望まむには、この山なほ低し。淺間のこなた、中木山、骨を露はして、峯上幾多の奇巖を起す。この中木と金洞との谷間を埋めて、紅葉が眞盛り也。妙義方面の紅葉は、黄が多けれども、こゝは紅が多し。山上の眺望は、豫期せし所なるが、この紅葉の美觀あらむとは思ひもかけざりき。

 社務所にもどり來りて、酒し、飯す。今や余は金洞を去つて、金に向はむとす。去るに臨みて、なほ一言せしめよ。妙義の三山、いづれもみな薄つぺらなる山也、巖也。石門の多きが、おのづから之を證する也。金洞殊に石門多し。四石門の外、星穴あり。高さ十丈、幅九丈と稱す。百合若大臣射貫穴あり。高さ五丈、幅二丈と稱す。この二大門は、碓氷山下、中山道の途上より遠望するを得べし。社務所よりも三十町ばかりにして、門下にいたるを得べし。小石門は九つあり、東胎内穴、女夫岩穴、蜂室穴、鳥越穴、動ギ岩穴、皷ヶ岩穴、科戸穴、阿波岩穴、西胎内穴、これ也。玉綾の瀧、高さ十丈と稱す。されど、平時は水なし。妙義山に向つて、瀑布までも得むとするは、餘りに慾張りすぎたる也。

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