修禅寺物語

1話 修禅寺物語(1)

8,878字 約18分 2008年5月6日 公開

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伊豆(いづ)修禪寺(しゆぜんじ)頼家(よりいへ)(おもて)といふあり。作人(さくにん)も知れず。由來もしれず。木彫の假面(めん)にて、年を經たるまゝ面目分明ならねど、所謂(いはゆる)古色蒼然たるもの、()(きた)つて一種の詩趣をおぼゆ。當時を追懷してこの稿成る。)

 登場人物

面作師(おもてつくりし) 夜叉王(やしやわう)

夜叉王の娘 かつら

同 かへで

かへでの婿 春彦(はるひこ)

源左金吾(げんざきんご)頼家

下田五郎景安(かげやす)

金窪兵衞尉行親(かなくぼひやうゑのじようゆきちか)

修禪寺の僧

行親の家來など

       (一)

伊豆の國狩野(かの)の庄、修禪寺村(今の修善寺)桂川(かつらがは)のほとり、夜叉王の住家。

藁葺(わらぶき)の古びたる二重家體(やたい)。破れたる壁に舞樂の面などをかけ、正面に紺暖簾(のれん)の出入口あり。下手(しもて)に爐を切りて、素燒の土瓶(どびん)などかけたり。庭の入口は竹にて編みたる門、外には柳の大樹。そのうしろは畑を隔てゝ、塔の峯つゞきの山または丘などみゆ。元久元年七月十八日。

(二(ぢゆう)上手(かみて)につゞける一間の家體は細工場(さいくば)にて、三方に()りたる蒲簾(がますだれ)をおろせり。庭さきには秋草の花咲きたる垣に沿うて荒むしろを敷き、姉娘(かつら)廿歳。妹娘(かへで)、十八歳。相對して紙砧(かみぎぬた)()つてゐる。)

かつら ((やが)て砧の手をやめる)一|《とき》餘りも擣ちつゞけたので、肩も腕も痺るゝやうな。もうよいほどにして止めうでないか。

かへで とは云ふものゝ、きのふまでは盆休みであつたほどに、けふからは精出して働かうではござんせぬか。

かつら 働きたくばお前ひとりで働くがよい。父樣(とゝさま)にも春彦どのにも褒められようぞ。わたしは(いや)ぢや、忌になつた。(投げ出すやうに砧を捨つ)

かへで 貧の手業(てわざ)に姉妹が、年ごろ擣ちなれた紙砧を、兎かくに飽きた、忌になつたと、むかしに變るお前がこの頃の素振は、どうしたことでござるか(なう)

かつら (あざ笑ふ)いや、昔とは變らぬ。ちつとも變らぬ。わたしは昔からこのやうな事を好きではなかつた。父さまが鎌倉においでなされたら、わたし等も()うはあるまいものを、名聞(みやうもん)を好まれぬ職人氣質(かたぎ)とて、この伊豆の山家に隱れ(ずみ)、親につれて子供までも(ひな)にそだち、詮事(せうこと)無しに今の身の上ぢや。さりとてこのまゝに朽ち果てようとは夢にも思はぬ。近いためしは今わたし等が擣つてゐる修禪寺紙、はじめは賤しい人の手につくられても、色好紙(いろよしがみ)とよばれて世に出づれば、高貴のお方の手にも觸るゝ。女子(をなご)とてもその通りぢや。たとひ賤しう育つても、色好紙の色よくば、關白大臣將軍家のおそばへも、召出されぬとは限るまいに、(しづ)()がなりはひの紙砧、いつまで擣ちおぼえたとて何とならうぞ。忌になつたと云うたが無理か。

かへで それはおまへが口癖に云ふことぢやが、人には人それ/″\の分があるもの。將軍家のお側近う召さるゝなどと、夢のやうな事をたのみにして、心ばかり高う打ちあがり、末はなんとならうやら、わたしは案じられてなりませぬ。

かつら お前とわたしとは心が違ふ。妹のおまへは今年十八で、春彦といふ男を持つた。それに引きかへて姉のわたしは、二十歳といふ今日の今まで、夫もさだめずに過したは、あたら一生を草の家に、住み果つまいと思へばこそぢや。職人風情(ふぜい)の妻となつて、滿足して暮すおまへ等に、わたしの心はわかるまい喃。(空(うそぶ)く)

(楓の婿春彦、廿餘歳、奧より出づ。)

春彦 桂どの。職人風情と()も卑しい者のやうに云はれたが、職人あまたあるなかにも、面作師(おもてつくりし)といへば、世に恥しからぬ職であらうぞ。あらためて申すに及ばねど、わが日本開闢(かいびやく)以來、はじめて舞樂のおもてを刻まれたは、勿體なくも聖徳太子、つゞいて藤原淡海(ふぢはらのたんかい)公、弘法大師(こうぼふだいし)倉部(くらべ)春日(かすが)、この人々より傳へて今に至る、由緒正しき職人とは知られぬか。

かつら それは職が尊いのでない。聖徳太子や淡海公といふ、その人々が尊いのぢや。彼の人々も生業(なりはひ)に、面作りはなされまいが……。

春彦 生業にしては卑しいか。さりとは異なことを聞くものぢやの。この春彦が明日にもあれ、稀代(きたい)(おもて)をつくり出して、天下一の名を取つても、お身は職人風情と(あなづ)るか。

かつら ()んでもないこと、天下一でも職人は職人ぢや、殿上人や弓取(ゆみとり)とは一つになるまい。

春彦 殿上人や弓取がそれほどに尊いか。職人がそれほどに卑しいか。

かつら はて、くどい。知れたことぢやに……。

(桂は顏をそむけて取合はず。春彦、むつとして詰めよるを、楓はあわてゝ押隔てる。)

かへで あゝ、これ、一旦かうと云ひ出したら、飽までも云ひ募るが姉さまの氣質、逆らうては惡い。いさかひはもう()してくだされ。

春彦 その氣質を知ればこそ、日ごろ堪忍してゐれど、あまりと云へば詞が過ぐる。女房の縁につながりて、姉と立つれば附け上り、やゝもすれば我を(かろ)しむる面憎(つらにく)さ。仕儀によつては姉とは云はさぬ。

かつら おゝ、姉と云はれずとも大事ござらぬ。職人風情を妹婿に持つたとて、姉の見得にも手柄にもなるまい。

春彦 まだ云ふか。

(春彦は又つめ寄るを、楓は心配して制す。この時、細工場の簾のうちにて、父の聲。)

夜叉王 えゝ、騷がしい。鎭まらぬか。

(これを聽きて春彦は控へる。楓は起つて蒲簾をまけば、伊豆の夜叉王、五十餘歳、烏帽子(ゑぼし)、筒袖、小袴(こばかま)にて、(のみ)(つち)とを持ち、木彫の假面を打つてゐる。膝のあたりには木の屑など取散したり。)

春彦 由なきことを云ひ募つて、細工の御さまたげをも省みぬ不調法、なにとぞ御料簡くださりませ。

かへで これもわたしが姉樣に、意見がましいことなど云うたが基。姉樣も春彦どのも必ず叱つて下さりまするな。

夜叉王 おゝ、なんで叱らう、叱りはせぬ。姉妹の喧嘩(いさかひ)はまゝある事ぢや。珍らしうもあるまい。時に今日ももう暮るゝぞ。秋のゆふ風が身にしみるわ。そち達は奧へ行つて夕飯の支度、燈火(あかり)の用意でもせい。

二人 あい。

(桂と楓は起つて奧に入る。)

夜叉王 なう、春彦。妹とは違うて氣がさの姉ぢや。同じ屋根の下に起き臥しすれば、一年三百六十日、面白からぬ日も多からうが、何事もわしに免じて料簡せい。あれを産んだ母親は、そのむかし、都の公家衆(くげしゆ)に奉公したもの、縁あつてこの夜叉王と女夫(めをと)になり、あづまへ流れ下つたが、育ちが育ちとて氣位高く、職人風情に連れ添うて、一生むなしく朽ち果るを悔みながらに世を終つた。その腹を分けた姉妹、おなじ胤とはいひながら、姉は母の血をうけて公家氣質(かたぎ)、妹は父の血をひいて職人氣質、子の心がちがへば親の愛も違うて、母は姉贔屓(びいき)、父は妹贔屓。思ひ/\に子どもの贔屓爭ひから、埓もない女夫喧嘩などしたこともあつたよ。はゝゝゝゝゝ。

春彦 さう承はれば桂どのが、日ごろ職人をいやしみ嫌ひ、世にきこえたる殿上人か弓取ならでは、夫に持たぬと誇らるゝも、母御の血筋をつたへし爲、血は爭はれぬものでござりまするな。

夜叉王 ぢやによつて、あれが何を云はうとも、滅多に腹は立てまいぞ。人を人とも思はず、氣位高う生れたは、母の子なれば是非がないのぢや。

(暮の鐘きこゆ。奧より楓は燈臺を持ちて出づ。)

春彦 おゝ、取紛れて忘れてゐた。これから大仁(おほひと)の町まで行つて、このあひだ誂へて置いた(のみ)小刀(さすが)をうけ取つて來ねばなるまいか。

かへで けふはもう暮れました。いつそ明日にしなされては……。

春彦 いや、いや、職人には大事の道具ぢや。一刻も早う取寄せて置かうぞ。

夜叉王 おゝ、職人はその心掛けがなうてはならぬ。更けぬ間に、ゆけ、行け。

春彦 夜とは申せど通ひなれた路、一|《とき》ほどに戻つて來まする。

(春彦は出てゆく。楓は門にたちて見送る。修禪寺の僧一人、燈籠を持ちて先に立ち、つゞいて(みなもと)の頼家卿、廿三歳。あとより下田五郎景安、十七八歳、頼家の太刀(たち)をさゝげて出づ。)

僧 これ、これ、將軍家の御しのびぢや。粗相があつてはなりませぬぞ。

(楓ははッと平伏す。頼家主從すゝみ入れば、夜叉王も出で迎へる。)

夜叉王 思ひもよらぬお(なり)とて、なんの設けもござりませぬが、先づあれへお通りくださりませ。

(頼家は縁に腰を掛ける。)

夜叉王 して、御用の趣は。

頼家 問はずとも大方は察して居らう。わが面體(めんてい)を後のかたみに殘さんと、さきに其方を召出し、頼家に似せたる(おもて)を作れと、繪姿までも(つか)はして置いたるに、日を()るも出來(しゆつたい)せず。幾たびか延引を申立てゝ、今まで打過ぎしは何たることぢや。

五郎 多寡(たくわ)が面一つの細工、いかに丹精を凝らすとも、百日とは費すまい。お細工仰せつけられしは當春の初め、其後(すで)に半年をも過ぎたるに、いまだ獻上いたさぬとは餘りの懈怠(けたい)、もはや猶豫(いうよ)は相成らぬと、上樣の御機嫌さん/″\ぢやぞ。

頼家 予は生れついての性急ぢや。いつまで待てど暮せど埓あかず、あまりに齒痒う覺ゆるまゝ、この上は使など遣はすこと無用と、予が直々に催促にまゐつた。おのれ何故に細工を怠り居るか。仔細をいへ、仔細を申せ。

夜叉王 御立腹おそれ入りましてござりまする。勿體なくも征夷大將軍、源氏の棟梁のお姿を刻めとあるは、職のほまれ、身の面目、いかでか等閑(なほざり)に存じませうや。御用うけたまはりて已に半年、未熟ながらも腕限り根かぎりに、夜晝となく打ちましても、意にかなふほどのもの一つも無く、更に打ち替へ作り替へて、心ならずも延引に延引をかさねましたる次第、なにとぞお察しくださりませ。

頼家 えゝ、催促の都度におなじことを……。その申譯は聞き飽いたぞ。

五郎 この上は唯だ延引とのみでは相濟むまい。いつの頃までにはかならず出來するか、あらかじめ期日をさだめてお詫を申せ。

夜叉王 その期日は申上げられませぬ。左に鑿をもち、右に槌を持てば、面はたやすく成るものと思召すか。家をつくり、塔を組む、番匠なんどとは事變りて、これは(しやう)なき粗木(あらき)を削り、男、女、天人、夜叉、羅刹(らせつ)、ありとあらゆる善惡邪正(ぜんなくじやしやう)のたましひを打ち込む面作師。五體にみなぎる精力(せいりき)が、兩の(かひな)におのづから(あつ)まる時、わがたましひは流るゝ如く彼に通ひて、はじめて面も作られまする。但しその時は半月の後か、一月の後か、あるひは一年二年の後か。われながら(しか)とはわかりませぬ。

僧 これ、これ、夜叉王どの。上樣は御自身も仰せらるゝごとく、至つて御性急でおはします。三島の社の放し(うなぎ)を見るやうに、ぬらりくらりと取止めのないことばかり申上げてゐたら、御癇癖(かんぺき)がいよ/\募らうほどに、こなたも職人冥利、いつの頃までと日を限つて、しかと御返事を申すがよからうぞ。

夜叉王 ぢやと云うて、出來ぬものはなう。

僧 なんの、こなたの腕で出來ぬことがあらう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といへば、京鎌倉までも聞えた者ぢやに……。

夜叉王 さあ、それゆゑに出來ぬと云ふのぢや。わしも伊豆の夜叉王と云へば、人にも少しは知られたもの。たとひお(とが)め受けうとも、己が心に染まぬ細工を、世に殘すのはいかにも無念ぢや。

頼家 なに、無念ぢやと……。さらばいかなる祟りを受けうとも、早急(さつきふ)には出來ぬといふか。

夜叉王 恐れながら早急には……。

頼家 むゝ、おのれ覺悟せい。

(癇癖募りし頼家は、五郎のさゝげたる太刀を引つ取つて、あはや拔かんとす。奧より桂、走り出づ。)

かつら まあ、まあ、お待ちくださりませ。

頼家 えゝ、退け、のけ。

かつら 先づお鎭まりくださりませ。(おもて)は唯今獻上いたしまする。なう、父樣(とゝさま)

(夜叉王は默して答へず。)

五郎 なに、面は已に出來(しゆつたい)してをるか。

頼家 えゝ、おのれ。前後不揃ひのことを申立てゝ、予をあざむかうでな。

かつら いえ、いえ、嘘いつはりではござりませぬ。面はたしかに出來して居りまする。これ、父樣。もうこの上は是非がござんすまい。

かへで ほんにさうぢや。ゆうべ(やうや)く出來したと云ふあの面を、いつそ獻上なされては……。

僧 それがよい、それがよい。こなたも凡夫ぢや。名も惜からうが、命も惜からう。出來した面があるならば、早う上樣にさしあげて、お慈悲をねがふが上分別ぢやぞ。

夜叉王 命が惜いか、名が惜いか、こなた衆の知つたことではない。默つておゐやれ。

僧 さりとて、これが見てゐられうか。さあ、娘御。その面を持つて來て、兎もかくも御覽に入れたがよいぞ。早う、早う。

かへで あい、あい。

(かへでは細工場へ走り入りて、木彫の假面(めん)を入れたる箱を持ち出づ。桂はうけ取りて頼家の前にさゝぐ。頼家は無言にて桂の顏をうちまもり、心少しく解けたる體なり。)

かつら いつはりならぬ證據、これ御覽くださりませ。

(頼家は假面を取りて打ちながめ、思はず感嘆の聲をあげる。)

頼家 おゝ、見事ぢや。よう打つたぞ。

五郎 上樣おん顏に生寫しぢや。

頼家 むゝ。(飽かず打戍る)

僧 さればこそ云はぬことか。それほどの物が出來してゐながら、兎かう澁つて居られたは、夜叉王どのも氣の知れぬ男ぢや。はゝゝゝゝ。

夜叉王 (形をあらためる)何分にもわが心にかなはぬ細工、人には見せじと存じましたが、かう相成つては致方もござりませぬ。方々にはその(おもて)をなんと御覽なされまする。

頼家 さすがは夜叉王、あつぱれの者ぢや。頼家も滿足したぞ。

夜叉王 あつぱれとの御賞美は(はゞか)りながらおめがね違ひ、それは夜叉王が一生の不出來。よう御覽(ごらう)じませ。面は死んでをりまする。

五郎 面が死んでをるとは……。

夜叉王 年ごろあまた打つたる面は、生けるがごとしと人も云ひ、われも許して居りましたが、不思議やこのたびの面に限つて、幾たび打直しても生きたる色なく、たましひもなき死人の相……。それは世にある人の面ではござりませぬ。死人の面でござりまする。

五郎 そちは左樣に申しても、われらの眼には矢はり生きたる人の面……。死人の相とは相見えぬがなう。

夜叉王 いや、いや、どう見直しても生ある人ではござりませぬ。しかも(まなこ)に恨を宿し、何者をか呪ふがごとき、怨靈(をんりやう)怪異(あやかし)なんどのたぐひ……。

僧 あ、これ、これ、そのやうな不吉のことは申さぬものぢや。御意にかなへばそれで重疊(ちようでふ)、ありがたくお禮を申されい。

頼家 むゝ、兎にも角にもこの面は頼家の意にかなうた。持歸るぞ。

夜叉王 (たつ)て御所望とござりますれば……。

頼家 おゝ、所望ぢや。それ。

(頼家は(あご)にて示せば、かつら心得て假面を箱に納め、すこしく媚を含みて頼家にさゝぐ。頼家は更にその顏をぢつと視る。)

頼家 いや、(なほ)かさねて主人(あるじ)に所望がある。この娘を予が手許に召仕ひたう存ずるが、奉公さする心はないか。

夜叉王 ありがたい御意にござりまするが、これは本人の心まかせ、親の口から御返事は申上げられませぬ。

(桂は臆せず、すゝみ出づ。)

かつら 父樣。どうぞわたしに御奉公を……。

頼家 うい奴ぢや。奉公をのぞむと申すか。

かつら はい。

頼家 さらばこれよりその面をさゝげて、頼家の供してまゐれ。

かつら かしこまりました。

(頼家は()つ。五郎も起つ。桂もつゞいて起つ。楓は姉の袂をひかへて、心許(こゝろもと)なげに囁く。)

かへで 姉さま。おまへは御奉公に……。

かつら おまへは先程、夢のやうな望みと笑うたが、夢のやうな望みが今叶うた。

(かつらは誇りがに見かへりて、庭に降り立つ。)

僧 やれ、やれ、これで愚僧も先づ安堵いたした。夜叉王どの、あす又逢ひませうぞ。

(頼家は行きかゝりて物につまづく。桂は走り寄りてその手を取る。)

頼家 おゝ、いつの間にか暗うなつた。

(僧はすゝみ出でて、桂に燈籠を渡す。桂は假面の箱を僧にわたし、我は片手に燈籠を持ち、片手に頼家をひきて出づ。夜叉王はぢつと思案の體なり。)

かへで 父さま、お見送りを……。

(夜叉王は初めて心づきたる如く、娘と共に門口に送り出づ。)

五郎 そちへの御褒美は、あらためて沙汰するぞ。

(頼家等は相前後して出でゆく。夜叉王は起ち上りて、しばらく默然としてゐたりしが、やがてつか/\と縁にあがり、細工場より槌を持ち來りて、壁にかけたる種々の假面を取下(とりおろ)し、あはや打碎かんとす。楓はおどろきて取縋る。)

かへで あゝ、これ、なんとなさる。おまへは物に狂はれたか。

夜叉王 せつぱ詰りて是非におよばず、(つたな)き細工を獻上したは、悔んでも返らぬわが不運。あのやうな面が將軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と寶物帳にも記されて、百千年の後までも笑ひをのこさば、一生の名折れ、末代の恥辱、所詮夜叉王の名は(すた)つた。職人もけふ限り、再び槌は持つまいぞ。

かへで さりとは短氣でござりませう。いかなる名人上手でも細工の出來不出來は時の運。一生のうちに一度でも天晴(あつぱ)れ名作が出來ようならば、それが即ち名人ではござりませぬか。

夜叉王 むゝ。

かへで 拙い細工を世に出したをそれほど無念と思召さば、これからいよ/\精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥を(すゝ)いでくださりませ。

(かへでは縋りて泣く。夜叉王は答へず、思案の眼を()ぢてゐる。日暮れて笛の聲遠くきこゆ。)

       (二)

おなじく桂川のほとり、虎溪橋(こけいけう)の袂。川邊には柳幾(もと)たちて、(すゝき)と蘆とみだれ生ひたり。橋を隔てゝ修禪寺の山門みゆ。同じ日の宵。

(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は假面の箱をかゝへて出づ。)

五郎 上樣は桂どのと、川邊づたひにそゞろ歩き遊ばされ、お供の我々は一足先へまゐれとの御意であつたが、修禪寺の御座所ももはや眼のまへぢや。この橋の袂にたゝずみて、お歸りを暫時相待たうか。

僧 いや、いや、それは宜しうござるまい。桂殿といふ嫋女(たをやめ)をお見出しあつて、浮れあるきに餘念もおはさぬところへ、我々のごとき邪魔外道が附き(まと)うては、却つて御機嫌を損ずるでござらうぞ。

五郎 なにさまなう。

(とは云ひながら、五郎は猶不安の(てい)にてたゝずむ。)

僧 殊に愚僧はお風呂の役、早う戻つて支度をせねばなるまい。

五郎 お風呂とて自づと沸いて出づる湯ぢや。支度を急ぐこともあるまいに……。先づお待ちやれ。

僧 はて、お身にも似合はぬ不粹をいふぞ。若き男女(をとこをうな)がむつまじう語らうてゐるところに、法師や武士は禁物ぢやよ。はゝゝゝゝ。さあ、ござれ、ござれ。

(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるゝまゝに、打連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)

頼家 おゝ、月が出た。河原づたひに夜ゆけば、芒にまじる蘆の根に、水の聲、蟲の聲、山家(やまが)の秋はまた一としほの風情ぢやなう。

かつら 馴れては左程にもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事變りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しうござりませう。

(頼家はありあふ石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまゝ、橋の欄に()りて立つ。月明かにして蟲の聲きこゆ。)

頼家 鎌倉は天下の覇府、大小名の武家小路、(いらか)をならべて綺羅を競へど、それはうはべの榮えにて、うらはおそろしき罪の巷、惡魔の巣ぞ。人間の住むべきところで無い。鎌倉などへは夢も通はぬ。(月を仰ぎて云ふ)

かつら 鎌倉山に時めいておはしなば、日本一の將軍家、山家そだちの我々は下司(げす)にもお使ひなされまいに、御果報拙いがわたくしの果報よ。忘れもせぬこの三月、(いはや)詣での下向路(げかうみち)、桂谷の川上で、はじめて御目見得をいたしました。

頼家 おゝ、その時そちの名を問へば、川の名とおなじ桂と云うたな。

かつら まだそればかりではござりませぬ。この窟のみなかみには、二本(ふたもと)の桂の立木ありて、その根よりおのづから清水を噴き、末は修禪寺にながれて入れば、川の名を桂とよび、またその樹を女夫の桂と昔よりよび傳へてをりますると、お答へ申上げましたれば、おまへ樣はなんと仰せられました。

頼家 非情の木にも女夫はある。人にも女夫はありさうな……と、つい戲れに申したなう。

かつら お戲れかは存じませぬが、そのお詞が冥加にあまりて、この(ぐわん)かならず叶ふやうと、百日のあひだ人にも知らさず、窟へ日參いたせしに、女夫の桂のしるしありて、ゆくへも知れぬ川水も、嬉しき逢瀬にながれ合ひ、今月今宵おん側近う、召出されたる身の冥加……。

頼家 武運つたなき頼家の身近うまゐるがそれほどに嬉しいか。そちも大方は存じて居らう。予には比企(ひき)の判官能員(よしかず)の娘若狹といへる側女(そばめ)ありしが、能員ほろびし(その)(みぎり)に、不憫(ふびん)や若狹も世を去つた。今より後はそちが二代の側女、名もそのまゝに若狹と云へ。

かつら あの、わたくしが若狹の(つぼね)と……。えゝ、ありがたうござりまする。

頼家 あたゝかき湯の湧くところ、温かき人の情も湧く。戀をうしなひし頼家は、こゝに新しき戀を得て、心の痛みもやうやく癒えた。今はもろ/\の煩惱を斷つて、安らけくこの地に生涯を送りたいものぢや。さりながら、月には雲の障りあり、その望みも果敢(はか)なく破れて、予に萬一のことあらば、そちの父に打たせたる()のおもてを形見と思へ。叔父の蒲殿は罪無うして、この修禪寺の土となられた。わが運命も遲かれ速かれ、おなじ路を辿らうも知れぬぞ。

(月かくれて暗し。籠手(こて)臑當(すねあて)、腹卷したる軍兵(つはもの)二人、上下よりうかゞひ出でゝ、芒むらに潜む。蟲の聲俄にやむ。)

かつら あたりにすだく蟲の聲、吹き消すやうに止みましたは……。

頼家 人やまゐりし。心をつけよ。

(金窪兵衞尉行親、三十餘歳。烏帽子、直垂(ひたゝれ)、籠手、臑當にて出づ。)

行親 (うへ)、これに御座遊ばされましたか。

頼家 誰ぢや。

(桂は燈籠をかざす。頼家透しみる。)

行親 金窪行親でござりまする。

頼家 おゝ、兵衞か。鎌倉表より何としてまゐつた。

行親 北條殿のおん使に……。

頼家 なに、北條殿の使……。(さて)はこの頼家を討たうが爲な。

行親 これは存じも寄らぬこと。御機嫌伺ひとして行親參上、ほかに仔細もござりませぬ。

頼家 云ふな、兵衞。物の具に身をかためて夜中(やちゆう)の參入は、察するところ、北條の密意をうけて予を不意撃にする巧みであらうが……。

行親 天下やうやく定まりしとは申せども、平家の殘黨ほろび(つく)さず。且は函根より西の山路(やまぢ)に、盜賊ども徘徊する由きこえましたれば、路次(ろじ)の用心として斯樣にいかめしう扮裝(いでた)ち申した。上に對したてまつりて、不意撃の狼藉なんど、いかで、いかで……。

頼家 たとひ如何やうに陳ずるとも、憎き北條の使なんどに對面無用ぢや。使の口上聞くにおよばぬ。歸れ、かへれ。

(行親は騷がず。しづかに桂をみかへる。)

行親 これにある女性(によしやう)は……。

頼家 予が召仕ひの女子(をなご)ぢやよ。

行親 おん謹みの身を以て、素性も得知れぬ賤しの女子どもを、おん側近う召されしは……。

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