小春の狐

2話 小春の狐(2)

5,360字 約11分 2003年9月10日 公開

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 あれに、(おきな)が一人見える。

 白砂の小山の畦道(あぜみち)に、菜畑の菜よりも暖かそうな、おのが影法師を、われと慰むように、太い(つえ)に片手づきしては、腰を休め休め近づいたのを、見ると、大黒頭巾(だいこくずきん)に似た、饅頭形(まんじゅうがた)の黄なる帽子を頂き、袖なしの羽織を、ほかりと着込んで、腰に毛巾着(けぎんちゃく)(のぞ)かせた……片手に網のついた(びく)を下げ、じんじん端折(ばしょり)の古足袋に、藁草履(わらぞうり)穿()いている。

「少々、ものを伺います。」

 ゆるい、はけ水の小流(こながれ)の、一段ちょろちょろと落口を差覗いて、その翁の、また一息(やす)ろうた杖に寄って、私は言った。

 翁は、()なりに黄帽子を仰向(あおむ)け、(ひげ)のない円顔の、鼻の(しわ)深く、すぐにむぐむぐと、日向(ひなた)に白い唇を動かして、

「このの、(わし)がいま来た、この縦筋を真直(まっす)ぐに、ずいずいと行かっしゃると、松原について畑を横に曲る処があるでの。……それをどこまでも行かせると、沼があっての。その、すぼんだ処に、土橋が一つ(かか)っているわい。――それそれ、この見当じゃ。」

 と、引立てるように、片手で杖を上げて、釣竿(つりざお)()めるがごとく松の(こずえ)をさした。

「じゃがの。」

 と(かぶり)を緩く横に()って、

「それをば渡ってはなりませぬぞ。(と強く言って)……渡らずと、橋の(つめ)をの、ちと(あと)へ戻るようなれど、左へ取って、小高い処を(あが)らっしゃれ。そこが尋ねる実盛塚(さねもりづか)じゃわいやい。」

 と杖を直す。

 安宅(あたか)の関の古蹟とともに、実盛塚は名所と聞く。……が、私は今それをたずねるのではなかった。道すがら、既に路傍(みちばた)の松山を二処(ふたとこ)ばかり探したが、浪路がいじらしいほど気を()むばかりで、茸も松露も、似た形さえなかったので、獲ものを人に問うもおかしいが、(かつ)は所在なさに、(つれ)をさし置いて、いきなり声を掛けたのであったが。

「いいえ、実盛塚へは――行こうかどうしようかと思っているので、……実はおたずね申しましたのは。」

「ほん、ほん、それでは、これじゃろうの。」

 と片手の畚を動かすと、ひたひたと音がして、ひらりと腹を(かえ)した(うお)金色(こんじき)(うろこ)が光った。

「見事な(こい)ですね。」

「いやいや、これは(ふな)じゃわい。さて鮒じゃがの……(あね)さんと連立たっせえた、こなたの様子で見ればや。」

 と鼻の下を(のば)して、にやりとした。

 思わず、その(ことば)に連れて振返ると、つれの浪路は、尾花で姿を隠すように、私の外套で顔を横に(おお)いながら、髪をうつむけになっていた。湖の小波(さざなみ)が誘うように、雪なす足の指の、ぶるぶると震えるのが見えて、肩も袖も、その尾花に(なび)く。……手につまさぐるのは、真紅の(いばら)の実で、その(つらな)紅玉(ルビィ)が、手首に珊瑚(さんご)珠数(じゅず)に見えた。

「ほん、ほん。こなたは、これ。(や、(じじ)い……その鮒をば俺に譲れ。)と、(ねえ)さんと二人して、潟に放いて、放生会(ほうじょうえ)をさっしゃりたそうな人相じゃがいの、ほん、ほん。おはは。」

 と笑いながら、ちょろちょろ滝に、畚をぼちゃんとつけると、背を黒く鮒が躍って、水音とともに(ひれ)が鳴った。

憂慮(きづかい)をさっしゃるな。()いて(じい)の口に(くら)おうではない。――これは稲荷殿(いなりでん)へお供物に献ずるじゃ。お目に掛けましての上は、水に放すわいやい。」

 と寄せた杖が肩を()いて、背を円く(ながれ)を覗いた。

「この(うお)は強いぞ。……心配をさっしゃるな。」

「お爺さん、失礼ですが、水と山と違いました。」

 私も笑った。

「茸だの、松露だのをちっとばかり取りたいのですが、霜こしなんぞは、どの辺にあるでしょう。御存じはありませんか。」

「ほん、ほん。」

 と黄饅頭を、点頭のままに動かして、

「茸――松露――それなら探さねば爺にかて分らぬがいやい。おはは、姉さんは土地の人じゃ。若いぱっちりとした目は、爺などより(あきら)かじゃ。よう探いてもらわっしゃい。」

「これはお(ひま)づいえ、失礼しました。」

「いや、何の嵩高(かさだか)な……」

「御免。」

(しずか)にござれい。――よう遊べ。」

「どうかしたか、――姉さん、どうした。」

「ああ、可恐(こわ)い。……勿体ないようで、ありがたいようで、ああ、可恐(こお)うございましたわ。」

「…………」

「いまのは、山のお稲荷様か、潟の竜神様でおいでなさいましょう。風のない、うららかな、こんな時にはな、よくこの辺をおあるきなさいますそうですから。」

 いま畚を引上げた、水の音はまだ響くのに、翁は、太郎虫、米搗虫の(もや)のあなたに、影になって、のびあがると、日南(ひなた)(せな)も、もう見えぬ。

「しかし、様子は、霜こしの黄茸(きだけ)が化けて出たようだったぜ。」

「あれ、もったいない。……旦那さん、あなた……」

       五

「わ、何じゃい、これは。」

「霜こし、黄い(たけ)。……あはは、こんなばば(きのこ)を、何の事じゃい。」

「何が松露や。ほれ、こりゃ、破ると、中が真黒(まっくろ)けで、うじゃうじゃと(うじ)のような筋のある(狐の睾丸(がりま))じゃがいの。」

「旦那、眉毛に(つば)なとつけっしゃれい。」

「えろう、女狐に(つま)まれたなあ。」

「これ、この合羽占地茸(かっぱしめじ)はな、野郎の鼻毛が伸びたのじゃぞいな。」

 戻道。橋で、ぐるりと私たちを取巻いたのは、あまのじゃくを(なま)ったか、「じゃあま。」と言い、「おんじゃ。」と(とな)え、「阿婆(あばあ)。」と呼ばるる、浜方屈竟(くっきょう)阿婆摺媽々(あばずれかかあ)。町を一なめにする魚売の阿媽徒(おっかあてあい)で。朝商売(あさあきない)の帰りがけ、荷も天秤棒も、腰とともに大胯(おおまた)に振って来た三人づれが、蘆の横川にかかったその橋で、私の提げた(ざる)(たか)って、口々に(わめ)いて(はや)した。そのあるものは霜こしを指でつついた。あるものは松露をへし()って、チェッと言って水に棄てた。

「ほれ、ほんとうの霜こしを見さっしゃい。これじゃがいの。」

 と尻とともに天秤棒を引傾(ひっかた)げて、私の目の前に揺り出した。成程違う。

「松露とは、ちょっと、こんなものじゃ。」

 と上荷の笊を、一人が(たた)いて、

「ぼんとして、ぷんと、それ、(こうば)しかろ。」

 成程違う。

「私が方には、ほりたての芋が残った。旦那が見たら(たこ)じゃろね。」

「背中を一つ、ぶん(なぐ)って進じようか。」

「ばば(たけ)持って、おお(むさ)や。」

「それを食べたら、肥料桶(こえおけ)が、早桶になって即死じゃぞの、ぺッぺッぺッ。」

 私は茫然(ぼうぜん)とした。

 浪路は、と見ると、悄然(しょうぜん)と身をすぼめて首垂(うなだ)るる。

 ああ、きみたち、阿媽(おっかあ)、しばらく!……

 いかにも、唯今(ただいま)申さるる通り、(くら)べては、玉と石で、まるで違う。が、似て非なるにせよ、毒にせよ。これをさえ手に狩るまでの、ここに連れだつ、この優しい女の心づかいを知ってるか。

 ――あれから菜畑を縫いながら、更に松山の松の中へ入ったが、山に山を重ね、砂に砂、窪地の谷を渡っても、余りきれいで……たまたま落ちこぼれた松葉のほかには、散敷いた()の葉もなかった。

 この浪路が、気をつかい、心を尽した事は言うまでもなかろう。

 阿媽、これを知ってるか。

 たちまち、口紅のこぼれたように、小さな紅茸(べにたけ)を、私が見つけて、それさえ嬉しくって取ろうとするのを、遮って留めながら、浪路が松の根に気も()えた、袖褄(そでつま)をついて坐った時、あせった頬は汗ばんで、その頸脚(えりあし)のみ、たださしのべて、討たるるように白かった。

 阿媽、それを知ってるか。

 薄色の桃色の、その一つの紅茸を、(ともしび)のごとく膝の前に据えながら、袖を合せて合掌して、「小松山さん、山の神さん、どうぞ(きのこ)を頂戴な。下さいな。」と、やさしく、あどけない声して言った。

「小松山さん、山の神さん、

 どうぞ、茸を頂戴な。

 下さいな。――」

 真の心は、そのままに唄である。

 私もつり込まれて、低声(こごえ)で唄った。

「ああ、ありました。」

「おお、あった。あった。」

 ふと見つけたのは、ただ一本、スッと生えた、侏儒(いっすんぼし)渋蛇目傘(しぶじゃのめ)を半びらきにしたような、洒落(しゃれ)ものの茸であった。

「旦那さん、早く、あなた、ここへ、ここへ。」

「や、先刻見た、かっぱだね。かっぱ占地茸……」

「一つですから、一本占地茸とも言いますの。」

 まず、枯松葉を笊に敷いて、根をソッと抜いて据えたのである。

 続いて、霜こしの黄茸を見つけた――その時の歓喜を思え。――真打だ。本望だ。

「山の神さんが下さいました。」

 浪路はふたたび手を合した。

「嬉しく頂戴をいたします。」

 私も山に一礼した。

 さて一つ見つかると、あとは女郎花(おみなえし)の枝ながらに、根をつらねて黄色に敷く、泡のようなの、針のさきほどのも(まじ)った。松の小枝を拾って掘った。(さき)はとがらないでも、砂地だからよく抜ける。

「松露よ、松露よ、――旦那さん。」

「素晴しいぞ。」

 むくりと砂を吹く、飯蛸(いいだこ)(から)びた天窓(あたま)ほどなのを掻くと、砂を(かぶ)って、ふらふらと足のようなものがついて取れる。頭をたたいて、

「飯蛸より、これは、海月(くらげ)に似ている、山の海月だね。」

「ほんになあ。」

 じゃあま、あばあ、阿媽(おっかあ)が、いま、(狐の睾丸(がりま))ぞと(ののし)ったのはそれである。

 が、待て――蕈狩(たけがり)、松露取は(たけなわ)の興に()った。

 浪路は、あちこち枝を(くぐ)った。松を飛んだ、白鷺(しらさぎ)の首か、(はぎ)も見え、山鳥の翼の袖も舞った。小鳥のように声を立てた。

 砂山の波が(かさな)り重って、余りに二人のほかに人がない。――私はなぜかゾッとした。あの、翼、あの、帯が、ふとかかる時、色鳥とあやまられて、鉄砲で撃たれはしまいか。――今朝も潜水夫のごときしたたかな扮装(いでたち)して、宿を出た銃猟家(てっぽううち)を四五人も見たものを。

 遠くに、黒い島の浮いたように、脱ぎすてた外套(がいとう)を、葉越に、枝越に(すか)して見つけて、「浪路さん――姉さん――」と、昔の恋に、声がくもった。――姿を見失ったその人を、呼んで、やがて、莞爾(にっこり)した顔を見た時は、恋人にめぐり逢った、世にも嬉しさを知ったのである。

 阿婆(おばば)、これを知ってるか。

 無理に外套に掛けさせて、私も憩った。

 着崩れた二子織(ふたこ)の胸は、血を包んで、羽二重よりも(なめらか)である。

 湖の色は、あお空と、松山の(みどり)の中に(ほがらか)()み通った。

 もとのように、就中(なかんずく)(はるか)に離れた(みぎわ)について行く船は、二(そう)、前後に帆を掛けて(すべ)ったが、その帆は、紫に見え、(あか)く見えて、そして浪路の襟に映り、肌を染めた。渡鳥がチチと(さえず)った。

「あれ、小松山の神さんが。」

 や、や、いかに阿媽(おっかあ)たち、――この趣を知ってるか。――

「旦那、眉毛を濡らさんかねえ。」

「この狐。」

 と一人が、浪路の帯を突きざまに行き抜けると、

「浜でも何人抜かれたやら。」一人がつづいて(あご)(すく)った。

「また出て、(ばか)しくさるずらえ。」

真昼間(まっぴるま)だけでも遠慮せいてや。」

()の狐の癖にして、睾丸(がりま)をつかませたは可笑(おかし)なや、あはははは。」

「そこが化けたのや。」

「おお、可恐(こわ)やの。」

「やあ、旦那、松露なと、黄茸なと、ほんものを売ってやろかね。」

「たかい(おあし)で買わっせえ。」

 行過ぎたのが、菜畑越に、(もつ)れるように、一斉(いっとき)に顔を重ねて振返った。三面六臂(ろっぴ)夜叉(やしゃ)に似て、中にはおはぐろの口を張ったのがある。手足を振って、真黒(まっくろ)(わめ)いて行く。

 消入りそうなを、背を抱いて引留めないばかりに、ひしと寄った。我が肩するる(おんな)の髪に、(くし)もささない前髪に、上手がさして飾ったように、松葉が一葉、青々としかも婀娜(あだ)(はす)にささって、(前こぞう)とか言う(かんざし)の風情そのままなのを、不思議に見た。(たけ)を狩るうち、松山の松がこぼれて、奇蹟のごとく、おのずから挿さったのである。

「ああ、嬉しい事がある。姉さん、茸が違っても何でも構わない。今日中のいいものが手に入ったよ――顔をお見せ。」

 袖でかくすを、

「いや、前髪をよくお見せ。――ちょっと手を触って、当てて御覧、大したものだ。」

「ええ。」

 ソッと抜くと、(たなそこ)に軽くのる。私の名に、もし松があらば、げにそのままの刺青(いれずみ)である。

「素晴らしい(かんざし)じゃあないか。前髪にささって、その、容子(ようす)のいい事と言ったら。」

 涙が、その松葉に玉を添えて、

「旦那さん――堪忍して……あの道々、あなたがお(ちいさ)い時のお話もうかがいます。――真のあなたのお頼みですのに、どうぞしてと思っても、一つだって見つかりません……嘘と知っていて、そんな茸をあげました。余り欲しゅうございましたので、私にも、私にかってほんとうの茸に見えたんですもの。……お恥かしい身体(からだ)ですが、お(ことば)のまま、あの、お宿までもお供して……もしその茸をめしあがるんなら、きっとお毒味を先へして、血を吐くつもりでおりました。生命(いのち)がけでだましました。……堪忍して下さいまし。」

「何を言うんだ、飛んでもない。――さ、ちょっと、自分の手でその松葉をさして御覧。……それは容子が何とも言えない、よく似合う。よ。頼むから。」

 と、かさに(かか)って、(いきおい)よくは言いながら、胸が迫って声が途切れた。

「後生だから。」

「はい、……あの、こうでございますか。」

「上手だ。自分でも髪を結えるね。ああ、よく似合う。さあ、見て御覧。何だ、袖に映したって、映るものかね。ここは引汐(ひきしお)か、水が動く。――こっちが()い。あの松影の澄んだ処が。」

「ああ、御免なさい。堪忍して……映すと狐になりますから。」

「私が請合う、大丈夫だ。」

「まあ。」

「ね、そのままの細い翡翠(ひすい)じゃあないか。(ろうかん)(たま)だよ。――小松山の神さんか、竜神が、姉さんへのたまものなんだよ。」

 ここにも飛交う(いなご)(みどり)に。――

「いや、松葉が光る、白金(プラチナ)に相違ない。」

「ええ。旦那さんのお(なさけ)は、翡翠です、白金です……でも、私はだんだんに、……あれ、口が裂けて。」

「ええ。」

「目が釣上って……」

「馬鹿な事を。――(きのこ)で嘘を()いたのが狐なら、松葉でだました私は狸だ。――狸だ。……」

 と言って、真白(まっしろ)な手を取った。

 湖つづき蘆中(あしなか)(しずか)な川を、ぬしのない小船が流れた。

大正十三(一九二四)年一月

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