寒山拾得

2話 寒山拾得(2)

2,723字 約5分 1997年10月8日 公開

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 閭(りよ)は衣服(いふく)を改(あらた)め輿(よ)に乘(の)つて、台州(たいしう)の官舍(くわんしや)を出(で)た。從者(じゆうしや)が數(すう)十人(にん)ある。

 時(とき)は冬(ふゆ)の初(はじめ)で、霜(しも)が少(すこ)し降(ふ)つてゐる。椒江(せうこう)の支流(しりう)で、始豐溪(しほうけい)と云(い)ふ川(かは)の左岸(さがん)を迂囘(うくわい)しつつ北(きた)へ進(すゝ)んで行(ゆ)く。初(はじ)め陰(くも)つてゐた空(そら)がやうやう晴(は)れて、蒼白(あをじろ)い日(ひ)が岸(きし)の紅葉(もみぢ)を照(てら)してゐる。路(みち)で出合(であ)ふ老幼(らうえう)は、皆(みな)輿(よ)を避(さ)けて跪(ひざまづ)く。輿(よ)の中(なか)では閭(りよ)がひどく好(い)い心持(こゝろもち)になつてゐる。牧民(ぼくみん)の職(しよく)にゐて賢者(けんしや)を禮(れい)すると云(い)ふのが、手柄(てがら)のやうに思(おも)はれて、閭(りよ)に滿足(まんぞく)を與(あた)へるのである。

 台州(たいしう)から天台縣(てんだいけん)までは六十里(り)半(はん)程(ほど)である。日本(にほん)の六里(り)半(はん)程(ほど)である。ゆる/\輿(よ)を舁(か)かせて來(き)たので、縣(けん)から役人(やくにん)の迎(むか)へに出(で)たのに逢(あ)つた時(とき)、もう午(ひる)を過(す)ぎてゐた。知縣(ちけん)の官舍(くわんしや)で休(やす)んで、馳走(ちそう)になりつゝ聞(き)いて見(み)ると、こゝから國清寺(こくせいじ)までは、爪先上(つまさきあが)りの道(みち)が又(また)六十里(り)ある。往(ゆ)き著(つ)くまでには夜(よ)に入(い)りさうである。そこで閭(りよ)は知縣(ちけん)の官舍(くわんしや)に泊(とま)ることにした。

 翌朝(よくてう)知縣(ちけん)に送(おく)られて出(で)た。けふもきのふに變(かは)らぬ天氣(てんき)である。一體(たい)天台(てんだい)一萬(まん)八千丈(ぢやう)とは、いつ誰(たれ)が測量(そくりやう)したにしても、所詮(しよせん)高過(たかす)ぎるやうだが、兎(と)に角(かく)虎(とら)のゐる山(やま)である。道(みち)はなか/\きのふのやうには捗(はかど)らない。途中(とちゆう)で午飯(ひるめし)を食(く)つて、日(ひ)が西(にし)に傾(かたむ)き掛(か)かつた頃(ころ)、國清寺(こくせいじ)の三門(もん)に著(つ)いた。智者大師(ちしやだいし)の滅後(めつご)に、隋(ずゐ)の煬帝(やうだい)が立(た)てたと云(い)ふ寺(てら)である。

 寺(てら)でも主簿(しゆぼ)の御參詣(ごさんけい)だと云(い)ふので、おろそかにはしない。道翹(だうげう)と云(い)ふ僧(そう)が出迎(でむか)へて、閭(りよ)を客間(きやくま)に案内(あんない)した。さて茶菓(ちやくわ)の饗應(きやうおう)が濟(す)むと、閭(りよ)が問(と)うた。「當寺(たうじ)に豐干(ぶかん)と云(い)ふ僧(そう)がをられましたか。」

 道翹(だうげう)が答(こた)へた。「豐干(ぶかん)と仰(おつし)やいますか。それは先頃(さきころ)まで、本堂(ほんだう)の背後(うしろ)の僧院(そうゐん)にをられましたが、行脚(あんぎや)に出(で)られた切(きり)、歸(かへ)られませぬ。」

「當寺(たうじ)ではどう云(い)ふ事(こと)をしてをられましたか。」

「さやうでございます。僧共(そうども)の食(た)べる米(こめ)を舂(つ)いてをられました。」

「はあ。そして何(なに)か外(ほか)の僧達(そうたち)と變(かは)つたことはなかつたのですか。」

「いえ。それがございましたので、初(はじ)め只(たゞ)骨惜(ほねをし)みをしない、親切(しんせつ)な同宿(どうしゆく)だと存(ぞん)じてゐました豐干(ぶかん)さんを、わたくし共(ども)が大切(たいせつ)にいたすやうになりました。すると或(あ)る日(ひ)ふいと出(で)て行(い)つてしまはれました。」

「それはどう云(い)ふ事(こと)があつたのですか。」

「全(まつた)く不思議(ふしぎ)な事(こと)でございました。或(あ)る日(ひ)山(やま)から虎(とら)に騎(の)つて歸(かへ)つて參(まゐ)られたのでございます。そして其(その)儘(まゝ)廊下(らうか)へ這入(はひ)つて、虎(とら)の背(せ)で詩(し)を吟(ぎん)じて歩(ある)かれました。一體(たい)詩(し)を吟(ぎん)ずることの好(すき)な人(ひと)で、裏(うら)の僧院(そうゐん)でも、夜(よる)になると詩(し)を吟(ぎん)ぜられました。」

「はあ。活(い)きた阿羅漢(あらかん)ですな。其(その)僧院(そうゐん)の址(あと)はどうなつてゐますか。」

「只今(たゞいま)も明家(あきや)になつてをりますが、折々(おり/\)夜(よる)になると、虎(とら)が參(まゐ)つて吼(ほ)えてをります。」

「そんなら御苦勞(ごくらう)ながら、そこへ御案内(ごあんない)を願(ねが)ひませう。」かう云(い)つて、閭(りよ)は座(ざ)を起(た)つた。

 道翹(だうげう)は蛛(くも)の網(い)を拂(はら)ひつゝ先(さき)に立(た)つて、閭(りよ)を豐干(ぶかん)のゐた明家(あきや)に連(つ)れて行(い)つた。日(ひ)がもう暮(く)れ掛(か)かつたので、薄暗(うすくら)い屋内(をくない)を見(みまは)すに、がらんとして何(なに)一つ無(な)い。道翹(だうげう)は身(み)を屈(かゞ)めて石疊(いしだゝみ)の上(うへ)の虎(とら)の足跡(あしあと)を指(ゆび)さした。偶(たま/\)山風(やまかぜ)が窓(まど)の外(そと)を吹(ふ)いて通(とほ)つて、堆(うづたか)い庭(には)の落葉(おちば)を捲(ま)き上(あ)げた。其(その)音(おと)が寂寞(せきばく)を破(やぶ)つてざわ/\と鳴(な)ると、閭(りよ)は髮(かみ)の毛(け)の根(ね)を締(し)め附(つ)けられるやうに感(かん)じて、全身(ぜんしん)の肌(はだ)に粟(あは)を生(しやう)じた。

 閭(りよ)は忙(せは)しげに明家(あきや)を出(で)た。そして跡(あと)から附(つ)いて來(く)る道翹(だうげう)に言(い)つた。「拾得(じつとく)と云(い)ふ僧(そう)は、まだ當寺(たうじ)にをられますか。」

 道翹(だうげう)は不審(ふしん)らしく閭(りよ)の顏(かほ)を見(み)た。「好(よ)く御存(ごぞん)じでございます。先刻(せんこく)あちらの厨(くりや)で、寒山(かんざん)と申(まを)すものと火(ひ)に當(あた)つてをりましたから、御用(ごよう)がおありなさるなら、呼(よ)び寄(よ)せませうか。」

「はゝあ。寒山(かんざん)も來(き)てをられますか。それは願(ねが)つても無(な)い事(こと)です。どうぞ御苦勞(ごくらう)序(ついで)に厨(くりや)に御案内(ごあんない)を願(ねが)ひませう。」

「承知(しようち)いたしました」と云(い)つて、道翹(だうげう)は本堂(ほんだう)に附(つ)いて西(にし)へ歩(ある)いて行(ゆ)く。

 閭(りよ)が背後(うしろ)から問(と)うた。「拾得(じつとく)さんはいつ頃(ごろ)から當寺(たうじ)にをられますか。」

「もう餘程(よほど)久(ひさ)しい事(こと)でございます。あれは豐干(ぶかん)さんが松林(まつばやし)の中(なか)から拾(ひろ)つて歸(かへ)られた捨子(すてご)でございます。」

「はあ。そして當寺(たうじ)では何(なに)をしてをられますか。」

「拾(ひろ)はれて參(まゐ)つてから三年(ねん)程(ほど)立(た)ちました時(とき)、食堂(しよくだう)で上座(じやうざ)の像(ざう)に香(かう)を上(あ)げたり、燈明(とうみやう)を上(あ)げたり、其(その)外(ほか)供(そな)へものをさせたりいたしましたさうでございます。そのうち或(あ)る日(ひ)上座(じやうざ)の像(ざう)に食事(しよくじ)を供(そな)へて置(お)いて、自分(じぶん)が向(む)き合(あ)つて一しよに食(た)べてゐるのを見付(みつ)けられましたさうでございます。賓頭盧尊者(びんづるそんじや)の像(ざう)がどれだけ尊(たつと)いものか存(ぞん)ぜずにいたしたことゝ見(み)えます。唯今(たゞいま)では厨(くりや)で僧共(そうども)の食器(しよくき)を洗(あら)はせてをります。」

「はあ」と言(い)つて、閭(りよ)は二足(ふたあし)三足(みあし)歩(ある)いてから問(と)うた。「それから唯今(たゞいま)寒山(かんざん)と仰(おつ)しやつたが、それはどう云(い)ふ方(かた)ですか。」

「寒山(かんざん)でございますか。これは當寺(たうじ)から西(にし)の方(はう)の寒巖(かんがん)と申(まを)す石窟(せきくつ)に住(す)んでをりますものでございます。拾得(じつとく)が食器(しよくき)を滌(あら)ひます時(とき)、殘(のこ)つてゐる飯(めし)や菜(さい)を竹(たけ)の筒(つゝ)に入(い)れて取(と)つて置(お)きますと、寒山(かんざん)はそれを貰(もら)ひに參(まゐ)るのでございます。」

「なる程(ほど)」と云(い)つて、閭(りよ)は附(つ)いて行(ゆ)く。心(こゝろ)の中(うち)では、そんな事(こと)をしてゐる寒山(かんざん)、拾得(じつとく)が文殊(もんじゆ)、普賢(ふげん)なら、虎(とら)に騎(の)つた豐干(ぶかん)はなんだらうなどと、田舍者(いなかもの)が芝居(しばゐ)を見(み)て、どの役(やく)がどの俳優(はいいう)かと思(おも)ひ惑(まど)ふ時(とき)のやうな氣分(きぶん)になつてゐるのである。

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「甚(はなは)だむさくるしい所(ところ)で」と云(い)ひつゝ、道翹(だうげう)は閭(りよ)を厨(くりや)の中(うち)に連(つ)れ込(こ)んだ。

 こゝは湯気(ゆげ)が一ぱい籠(こ)もつてゐて、遽(にはか)に這入(はひ)つて見(み)ると、しかと物(もの)を見定(みさだ)めることも出來(でき)ぬ位(くらゐ)である。その灰色(はひいろ)の中(なか)に大(おほ)きい竈(かまど)が三つあつて、どれにも殘(のこ)つた薪(まき)が眞赤(まつか)に燃(も)えてゐる。暫(しばら)く立(た)ち止(と)まつて見(み)てゐるうちに、石(いし)の壁(かべ)に沿(そ)うて造(つく)り附(つ)けてある卓(つくゑ)の上(うへ)で大勢(おほぜい)の僧(そう)が飯(めし)や菜(さい)や汁(しる)を鍋釜(なべかま)から移(うつ)してゐるのが見(み)えて來(き)た。

 この時(とき)道翹(だうげう)が奧(おく)の方(はう)へ向(む)いて、「おい、拾得(じつとく)」と呼(よ)び掛(か)けた。

 閭(りよ)が其(その)視線(しせん)を辿(たど)つて、入口(いりくち)から一番(ばん)遠(とほ)い竈(かまど)の前(まへ)を見(み)ると、そこに二人(ふたり)の僧(そう)の蹲(うづくま)つて火(ひ)に當(あた)つてゐるのが見(み)えた。

 一人(ひとり)は髮(かみ)の二三寸(ずん)伸(の)びた頭(あたま)を剥(む)き出(だ)して、足(あし)には草履(ざうり)を穿(は)いてゐる。今(いま)一人(ひとり)は木(き)の皮(かは)で編(あ)んだ帽(ばう)を被(かぶ)つて、足(あし)には木履(ぽくり)を穿(は)いてゐる。どちらも痩(や)せて身(み)すぼらしい小男(こをとこ)で、豐干(ぶかん)のやうな大男(おほをとこ)ではない。

 道翹(だうげう)が呼(よ)び掛(か)けた時(とき)、頭(あたま)を剥(む)き出(だ)した方(はう)は振(ふ)り向(む)ひてにやりと笑(わら)つたが、返事(へんじ)はしなかつた。これが拾得(じつとく)だと見(み)える。帽(ばう)を被(かぶ)つた方(はう)は身動(みうご)きもしない。これが寒山(かんざん)なのであらう。

 閭(りよ)はかう見當(けんたう)を附(つ)けて二人(ふたり)の傍(そば)へ進(すゝ)み寄(よ)つた。そして袖(そで)を掻(か)き合(あは)せて恭(うや/\)しく禮(れい)をして、「朝儀大夫(てうぎたいふ)、使持節(しぢせつ)、台州(たいしう)の主簿(しゆぼ)、上柱國(じやうちゆうこく)、賜緋魚袋(しひぎよたい)、閭丘胤(りよきういん)と申(まを)すものでございます」と名告(なの)つた。

 二人(ふたり)は同時(どうじ)に閭(りよ)を一目(ひとめ)見(み)た。それから二人(ふたり)で顏(かほ)を見合(みあは)せて腹(はら)の底(そこ)から籠(こ)み上(あ)げて來(く)るやうな笑聲(わらひごゑ)を出(だ)したかと思(おも)ふと、一しよに立(た)ち上(あ)がつて、厨(くりや)を驅(か)け出(だ)して逃(に)げた。逃(に)げしなに寒山(かんざん)が「豐干(ぶかん)がしやべつたな」と云(い)つたのが聞(きこ)えた。

 驚(おどろ)いて跡(あと)を見送(みおく)つてゐる閭(りよ)が周圍(しうゐ)には、飯(めし)や菜(さい)や汁(しる)を盛(も)つてゐた僧(そう)等(ら)が、ぞろ/\と來(き)てたかつた。道翹(だうげう)は眞蒼(まつさを)な顏(かほ)をして立(た)ち竦(すく)んでゐた。

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