1話 南洲手抄言志録 03 南洲手抄言志録(1)
読み方を変える
一 勿認游惰以爲寛裕。勿認嚴刻以爲直諒。勿認私欲以爲志願。
〔譯〕游惰を認めて以て寛裕と爲すこと勿れ。嚴刻を認めて以て直諒と爲すこと勿れ。私欲を認めて以て志願と爲すこと勿れ。
二 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使人昏迷。一掃此雲霧、則天青日白。
〔譯〕毀譽得喪は、眞に是れ人生の雲霧、人をして昏迷せしむ。此の雲霧を一掃せば、則ち天青く日白し。
〔評〕徳川慶喜公は勤王の臣たり。幕吏の要する所となりて朝敵となる。猶南洲勤王の臣として終りを克くせざるごとし。公は罪を宥し位に敍せらる、南洲は永く反賊の名を蒙る、悲しいかな。(原漢文、下同)
三 唐虞之治、只是情一字。極而言之、萬物一體、不外於情之推。
〔譯〕唐虞の治は只是れ情の一字なり。極めて之を言へば、萬物一體も情の推に外ならず。
〔評〕南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。婢あり別れを惜みて伏水に至る。兵士環つて之を視る。南洲輿中より之を招き、其背を拊つて曰ふ、好在なれと、金を懷中より出して之に與へ、旁ら人なき若し。兵士太だ其の情を匿さざるに服す。幕府砲臺を神奈川に築き、外人の來り觀るを許さず、木戸公役徒に雜り、自ら畚を荷うて之を觀る。茶店の老嫗あり、公の常人に非ざるを知り、善く之を遇す。公志を得るに及んで、厚く之に報ゆ。皆情の推なり。
四 凡作事、須要有事天之心。不要有示人之念。
〔譯〕凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず。
五 憤一字、是進學機關。舜何人也、予何人也、方是憤。
〔譯〕憤の一字、是れ進學の機關なり。舜何人ぞや、予何人ぞや、方に是れ憤。
六 著眼高、則見理不岐。
〔譯〕眼を著くること高ければ、則ち理を見ること岐せず。
〔評〕三條公は西三條、東久世諸公と長門に走る、之を七卿脱走と謂ふ。幕府之を宰府に竄す。既にして七卿が勤王の士を募り國家を亂さんと欲するを憂へ、浪華に幽するの議あり。南洲等力めて之を拒ぎ、事終に熄む。南洲人に語つて曰ふ、七卿中他日關白に任ぜらるゝ者は、必三條公ならんと、果して然りき。
七 性同而質異。質異、教之所由設也。性同、教之所由立也。
〔譯〕性は同じうして而て質は異る。質異るは教の由つて設けらるゝ所なり。性同じきは教の由つて立つ所なり。
八 喪己斯喪人。喪人斯喪物。
〔譯〕己を喪へば斯に人を喪ふ。人を喪へば斯に物を喪ふ。
九 士貴獨立自信矣。依熱附炎之念、不可起。
〔譯〕士は獨立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附くの念、起す可らず。
〔評〕慶應三年九月、山内容堂公は寺村左膳、後藤象次郎を以て使となし、書を幕府に呈す。曰ふ、中古以還、政刑武門に出づ。洋人來航するに及んで、物議紛々、東攻西撃して、内訌嘗て《をさま》る時なく、終に外國の輕侮を招くに至る。此れ政令二途に出で、天下耳目の屬する所を異にするが故なり。今や時勢一變して舊規を墨守す可らず、宜しく政權を王室に還し、以て萬國竝立の基礎を建つべし。其れ則ち當今の急務にして、而て容堂の至願なり。幕下の賢なる、必之を察するあらんと。他日幕府の政權を還せる、其事實に公の呈書に本づけり。當時幕府既に衰へたりと雖、威權未だ地に墜ちず。公抗論して忌まず、獨立の見ありと謂ふべし。
一〇 有本然之眞己、有躯殼之假己。須要自認得。
〔譯〕本然の眞己有り、躯殼の假己有り。須らく自ら認め得んことを要すべし。
〔評〕南洲胃を病む。英醫偉利斯之を診して、勞動を勸む。南洲是より山野に游獵せり。人或は病なくして犬を牽き兎を逐ひ、自ら南洲を學ぶと謂ふ、疎なり。
一一 雲煙聚於不得已。風雨洩於不得已。雷霆震於不得已。斯可以觀至誠之作用。
〔譯〕雲煙は已むことを得ざるに聚る。風雨は已むことを得ざるに洩る。雷霆は已むことを得ざるに震ふ。斯に以て至誠の作用を觀る可し。
一二 動於不得已之勢、則動而不括。履於不可枉之途、則履而不危。
〔譯〕已むことを得ざるの勢に動けば、則ち動いて括せず。枉ぐ可らざるの途を履めば、則ち履んで危からず。
〔評〕官軍江戸を伐つ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩宗家を援けんと欲する者ありて、私かに聲息を江戸に通ず。尾公之を患へ、田中不二麿、丹羽淳太郎等と議して、大義親を滅すの令を下す、實に已むことを得ざるの擧に出づ。一藩の方向以て定れり。
一三 聖人如強健無病人。賢人如攝生愼病人。常人如虚羸多病人。
〔譯〕聖人は強健病無き人の如し。賢人は攝生病を愼む人の如し。常人は虚羸病多き人の如し。
一四 急迫敗事。寧耐成事。
〔譯〕急迫は事を敗る。寧耐は事を成す。
〔評〕大坂城陷る。徳川慶喜公火船に乘りて江戸に歸り、諸侯を召して罪を俟つの状を告ぐ。余時に江戸に在り、特に別廳に召し告げて曰ふ。事此に至る、言ふ可きなし。汝將に京に入らんとすと聞く、請ふ吾が爲めに恭順の意を致せと。余江戸を發して桑名に抵り、柳原前光公軍を督して至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。京師に至るに及んで、松平春嶽公を見て又之を告ぐ。慶喜公江戸城に在り、衆皆之に逼り、死を以て城を守らんことを請ふ。公聽かず、水戸に赴く、近臣二三十名從ふ。衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或は散じて四方に之き、或は上野に據る。若し公をして耐忍の力無く、共に怒つて事を擧げしめば、則ち府下悉く焦土と爲らん。假令都を遷すも、其の盛大を極むること今日の如きは實に難からん。然らば則ち公常人の忍ぶ能はざる所を忍ぶ、其功亦多し。舊藩士日高誠實時に句あり云ふ。
「功烈尤も多かりしは前内府。至尊直に鶴城の中に在り」と。
一五 聖人安死。賢人分死。常人恐死。
〔譯〕聖人は死を安んず。賢人は死を分とす。常人は死を恐る。
一六 賢者臨、見理當然、以爲分、恥畏死、而希安死、故神氣不亂。又有遺訓、足以聳聽。而其不及聖人亦在於此。聖人平生言動無一非訓。而臨、未必爲遺訓。視死生眞如晝夜、無所著念。
〔譯〕賢者は《ぼつ》するに臨み、理の當に然るべきを見て、以て分と爲し、死を畏るゝを恥ぢて、死を安んずるを希ふ、故に神氣亂れず。又遺訓あり、以て聽を聳かすに足る。而かも其の聖人に及ばざるも亦此に在り。聖人は平生の言動一として訓に非ざるは無し。而てするに臨みて、未だ必しも遺訓を爲らず。死生を視ること眞に晝夜の如し、念を著くる所無し。
〔評〕十年の役、私學校の徒、彈藥製造所を掠む。南洲時に兎を大隈山中に逐ふ。之を聞いて猝に色を變へて曰ふ、誤つたと。爾後肥後日向に轉戰して、神色夷然たり。
一七 堯舜文王、其所遺典謨訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命、曾子善言、賢人分上自當如此已。因疑孔子泰山之歌、後人假託爲之。檀弓信、多此類。欲尊聖人、而却爲之累。
〔譯〕堯舜文王は、其の遺す所の典謨訓誥、皆以て萬世の法と爲す可し。何の遺命か之に如かん。成王の顧命、曾子の善言に至つては、賢人の分上自ら當に此の如くなるべきのみ。因つて疑ふ、孔子泰山の歌、後人假託之を爲れるならん。檀弓の信じ《がた》きこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却つて之が累を爲せり。
一八 一部歴史、皆傳形迹、而情實或不傳。讀史者、須要就形迹以討出情實。
〔譯〕一部の歴史、皆形迹を傳へて、情實或は傳らず。史を讀む者は、須らく形迹に就いて以て情實を討ね出だすことを要すべし。
一九 博聞強記、聰明横也。精義入神、聰明竪也。
〔譯〕博聞強記は、聰明の横なり。精義神に入るは、聰明の竪なり。
二〇 生物皆畏死。人其靈也、當從畏死之中、揀出不畏死之理。吾思、我身天物也。死生之權在天、當順受之。我之生也、自然而生、生時未嘗知喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之而天死之、一聽于天而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所以爲性者、恒在於死生之外、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之理、何其易簡而明白也。吾人當以此理自省焉。
〔譯〕生物は皆死を畏る。人は其靈なり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の權は天に在り、當に之を順受すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや應に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聽さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼は則ち天を藏むるの室なり。精氣の物と爲るや、天此の室に寓す。遊魂の變を爲すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は當に此の理を以て自省すべし。
二一 畏死者生後之情也、有躯殼而後有是情。不畏死者生前之性也、離躯殼而始見是性。人須自得不畏死之理於畏死之中、庶乎復性焉。
〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、躯殼有つて後に是の情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼を離れて始て是の性を見る。人は須らく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得すべし、性に復るに庶し。
〔評〕幕府勤王の士を逮ふ。南洲及び伊地知正治、海江田武治等尤も其の指目する所となる。僧月照嘗て近衞公の密命を喞みて水戸に至る、幕吏之を索むること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に奔る。一日南洲、月照の宅を訪ふ。此の夜月色清輝なり。預め酒饌を具へ、舟を薩海に泛ぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲首肯する所あるものゝ如し、遂に相擁して海に投ず。次郎等水聲起るを聞いて、倉皇として之を救ふ。月照既に死して、南洲は蘇ることを得たり。南洲は終身月照と死せざりしを憾みたりと云ふ。
二二 誘掖而導之、教之常也。警戒而喩之、教之時也。躬行以率之、教之本也。不言而化之、教之神也。抑而揚之、激而進之、教之權而變也。教亦多術矣。
〔譯〕誘掖して之を導くは、教の常なり。警戒して之を喩すは、教の時なり。躬に行うて之を率きゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教の神なり。抑へて之を揚げ、激して之を進ましむるは、教の權にして而て變なり。教も亦術多し。
二三 閑想客感、由志之不立。一志既立、百邪退聽。譬之清泉湧出、旁水不得渾入。
〔譯〕閑想客感は、志の立たざるに由る。一志既に立てば、百邪退き聽く。之を清泉湧出せば、旁水渾入することを得ざるに譬ふべし。
〔評〕政府郡縣の治を復せんと欲す、木戸公と南洲と尤も之を主張す。或ひと南洲を見て之を説く、南洲曰く諾すと。其人又之を説く、南洲曰く、吉之助の一諾、死以て之を守ると、他語を交へず。
二四 心爲靈。其條理動於情識、謂之欲。欲有公私、情識之通於條理爲公。條理之滯於情識爲私。自辨其通滯者、即便心之靈。
〔譯〕心を靈と爲す。其の條理の情識に動く、之を欲と謂ふ。欲に公私有り、情識の條理に通ずるを公と爲す。條理の情識に滯るを私と爲す。自ら其の通と滯とを辨ずるは、即ち心の靈なり。
二五 人一生所遭、有險阻、有坦夷、有安流、有驚瀾。是氣數自然、竟不能免、即易理也。人宜居而安、玩而樂焉。若趨避之、非達者之見。
〔譯〕人一生遭ふ所、險阻有り、坦夷有り、安流有り、驚瀾有り。是れ氣數の自然にして、竟に免るゝ能はず、即ち易理なり。人宜しく居つて安んじ、玩んで樂しむべし。若し之を趨避せば、達者の見に非ず。
〔評〕或ひと岩倉公幕を佐くと讒す。公薙髮して岩倉邸に蟄居す。大橋愼藏、香川敬三、玉松操、北島秀朝等、公の志を知り、深く結納す。南洲及び大久保公、木戸公、後藤象次郎、坂本龍馬等公を洛東より迎へて、朝政に任ぜしむ。公既に職に在り、屡刺客の狙撃する所となり、危難累りに至る、而かも毫も趨避せず。
二六 心之官則思。思字只是工夫字。思則愈精明、愈篤實。自其篤實謂之行、自其精明謂之知。知行歸於一思字。
〔譯〕心の官は則ち思ふ。思の字只是れ工夫の字なり。思へば則ち愈精明なり、愈篤實なり。其の篤實より之を行と謂ひ、其の精明より之を知と謂ふ。知と行とは一の思の字に歸す。
二七 處晦者能見顯。據顯者不見晦。
〔譯〕晦に處る者は能く顯を見る。顯に據る者は晦を見ず。
二八 取信於人難也。人不信於口、而信於躬。不信於躬、而信於心。是以難。
〔譯〕信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
〔評〕南洲守庭吏と爲る。島津齊彬公其の眼光烱々として人を射るを見て凡人に非ずと以爲ひ、拔擢して之を用ふ。公嘗て書を作り、南洲に命じて之を水戸の烈公に致さしめ、初めより封緘を加へず。烈公の答書も亦然り。
二九 臨時之信、累功於平日。平日之信、收効於臨時。
〔譯〕臨時の信は、功を平日に累ぬればなり。平日の信は、効を臨時に收むべし。
〔評〕南洲官軍の先鋒となり、品川に抵る、勝安房、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、慶喜罪を俟つの状を具陳し、討伐を弛べんことを請ふ。安房素より南洲を知れり、之を説くこと甚だ力む。乃ち令を諸軍に傳へて、攻撃を止む。
三〇 信孚於上下、天下無甚難處事。
〔譯〕信上下に孚す、天下甚だ處し難き事無し。
三一 意之誠否、須於夢寐中事驗之。
〔譯〕意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を驗すべし。
〔評〕南洲弱冠の時、藤田東湖に謁す、東湖は重瞳子、躯幹魁傑にして、黄麻の外套を被、朱室の長劒を佩して南洲を邀ふ。南洲一見して瞿然たり。乃ち室内に入る、一大白を屬して酒を侑めらる。南洲は素と飮を解せず、強ひて之を盡す、忽ち酩酊して嘔吐席を汚す。東湖は南洲の朴率にして飾るところなきを見て酷だ之を愛す。嘗て曰ふ、他日我が志を繼ぐ者は獨此の少年子のみと。南洲も亦曰ふ、天下眞に畏る可き者なし、唯畏る可き者は東湖一人のみと。二子の言、夢寐相感ずる者か。
三二 不起妄念是敬。妄念不起是誠。
〔譯〕妄念を起さゞるは是れ敬なり。妄念起らざるは是れ誠なり。
三三 因民義以激之、因民欲以趨之、則民忘其生而致其死。是可以一戰。
〔譯〕民の義に因つて以て之を激し、民の欲に因つて以て之を趨らさば、則ち民其の生を忘れて其の死を致さん。是れ以て一戰す可し。
〔評〕兵數は孰れか衆き、器械は孰れか精なる、糧食は孰れか積める、この數者を以て之を較べば、薩長の兵は固より幕府に及ばざるなり。然り而して伏見の一戰、東兵披靡するものは何ぞや。南洲及び木戸公等の《さく》、民の欲に因つて之を趨らしたればなり。是を以て破竹の勢ありたり。
三四 漸必成事、惠必懷人。如歴代姦雄、有竊其祕者、一時亦能遂志。可畏之至。
〔譯〕漸は必ず事を成し、惠は必ず人を懷づく。歴代姦雄の如き、其祕を竊む者有り、一時亦能く志を遂ぐ。畏る可きの至りなり。
三五 匿情似愼密。柔媚似恭順。剛愎似自信。故君子惡似而非者。
〔譯〕匿情は愼密に似る。柔媚は恭順に似る。剛愎は自信に似る。故に君子は似て非なる者を惡む。
三六 事君不忠非孝也、戰陳無勇非孝也。曾子孝子、其言如此。彼謂忠孝不兩全者、世俗之見也。
〔譯〕君に事へて忠ならざるは孝に非ざるなり、戰陳に勇無きは孝に非ざるなりと。曾子は孝子なり、其の言此の如し。彼の忠孝兩全せずと謂ふは、世俗の見なり。
〔評〕十年の難、賊の精鋭熊本城下に聚る。而て援軍未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。賊勢遂に屈し、其兵を東する能はず。昔者加藤嘉明言へるあり。曰ふ、將を斬り旗を搴るは、氣盛なる者之を能くす、而かも眞勇に非ざるなり。孤城を援なきに守り、孱主を衆|《そむ》くに保つ、律義者に非ざれば能はず、故に眞勇は必ず律義者に出づと。尾藤孝肇曰ふ、律義とは蓋し直にして信あるを謂ふと。余謂ふ、孤城を援なきに守るは、谷中將の如くば可なりと。嗚呼中將は忠且つ勇なり、而して孝其の中に在り。
三七 不可誣者人情、不可欺者天理、人皆知之。蓋知而未知。
〔譯〕誣ふ可らざる者は人情なり、欺く可らざる者は天理なり、人皆之を知る。蓋し知つて而して未だ知らず。
〔評〕榎本武揚等五稜郭の兵已に敗る。海律全書二卷を以て我が海軍に贈つて云ふ、是れ嘗て荷蘭に學んで獲たる所なり、身と倶に滅ぶることを惜しむと。武揚の誣ふ可らざるの情天聽に達し、其の死を宥し寵用せらる、天理なり。
三八 知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成體躯。則知行、是二而一、一而二。
〔譯〕知は是れ行の主宰なり、乾道なり。行は是れ知の流行なり、坤道なり。合して以て體躯を成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。
三九 學貴自得。人徒以目讀有字之書、故局於字、不得通透。當以心讀無字之書、乃洞而有自得。
〔譯〕學は自得を貴ぶ。人徒に目を以て有字の書を讀む、故に字に局し、通透することを得ず。當に心を以て無字の書を讀むべし、乃ち洞して自得するところ有らん。
四〇 孟子以讀書爲尚友。故讀經籍、即是聽嚴師父兄之訓也。讀史子、亦即與明君賢相英雄豪傑相周旋也。其可不清明其心以對越之乎。