南洲手抄言志録 03 南洲手抄言志録

1話 南洲手抄言志録 03 南洲手抄言志録(1)

6,924字 約14分 2008年8月12日 公開

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一 勿認游惰以爲寛裕。勿認嚴刻以爲直諒。勿認私欲以爲志願。

〔譯〕游惰(いうだ)(みと)めて以て寛裕(かんゆう)と爲すこと(なか)れ。嚴刻(げんこく)を認めて以て直諒(ちよくりやう)と爲すこと勿れ。私欲(しよく)を認めて以て志願(しぐわん)と爲すこと勿れ。

二 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使人昏迷。一掃此雲霧、則天青日白。

〔譯〕毀譽(きよ)得喪(とくさう)は、(しん)に是れ人生の雲霧(うんむ)、人をして昏迷(こんめい)せしむ。此の雲霧を一(さう)せば、則ち(てん)(あを)()(しろ)し。

〔評〕徳川慶喜(よしのぶ)公は勤王(きんわう)の臣たり。幕吏(ばくり)の要する所となりて朝敵(てうてき)となる。猶南洲勤王の臣として終りを()くせざるごとし。公は(つみ)(ゆる)し位に(じよ)せらる、南洲は永く反賊(はんぞく)の名を(かうむ)る、悲しいかな。(原漢文、下同)

三 唐虞之治、只是情一字。極而言之、萬物一體、不外於情之推。

〔譯〕唐虞(たうぐ)()は只是れ情の一字なり。極めて之を言へば、萬物一體も情の(すゐ)に外ならず。

〔評〕南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。()あり別れを惜みて伏水(ふしみ)に至る。兵士(めぐ)つて之を()る。南洲輿中より之を招き、其背を()つて曰ふ、好在(たつしや)なれと、金を懷中(くわいちゆう)より出して之に與へ、(かたは)ら人なき若し。兵士(はなは)だ其の情を(かく)さざるに服す。幕府砲臺(はうだい)を神奈川に(きづ)き、外人の來り觀るを許さず、木戸公役徒(えきと)に雜り、自ら(ふご)(にな)うて之を觀る。茶店の老嫗(らうをう)あり、公の常人に非ざるを知り、善く之を遇す。公志を得るに及んで、厚く之に報ゆ。皆情の(すゐ)なり。

四 凡作事、須要有事天之心。不要有示人之念。

〔譯〕凡そ事を()すには、(すべか)らく天に(つか)ふるの心あるを(えう)すべし。人に示すの(ねん)あるを要せず。

五 憤一字、是進學機關。舜何人也、予何人也、方是憤。

〔譯〕(ふん)の一字、是れ進學(しんがく)機關(きくわん)なり。(しゆん)何人(なんぴと)ぞや、(われ)何人ぞや、(まさ)に是れ(ふん)

六 著眼高、則見理不岐。

〔譯〕(がん)()くること高ければ、則ち()を見ること()せず。

〔評〕三條公は西三條、東久世諸公と長門に走る、之を七(きやう)脱走(だつさう)と謂ふ。幕府之を宰府(ざいふ)(ざん)す。既にして七卿が勤王の士を(つの)り國家を亂さんと欲するを憂へ、浪華(なには)(いう)するの()あり。南洲等(つと)めて之を拒ぎ、事終に()む。南洲人に(かた)つて曰ふ、七卿中他日關白(くわんぱく)に任ぜらるゝ者は、必三條公ならんと、果して然りき。

七 性同而質異。質異、教之所由設也。性同、教之所由立也。

〔譯〕(せい)は同じうして而て(しつ)(ことな)る。質異るは(をしへ)の由つて(まう)けらるゝ所なり。性同じきは教の由つて立つ所なり。

八 喪己斯喪人。喪人斯喪物。

〔譯〕(おのれ)(うしな)へば(こゝ)に人を(うしな)ふ。人を喪へば斯に(もの)を喪ふ。

九 士貴獨立自信矣。依熱附炎之念、不可起。

〔譯〕()獨立(どくりつ)自信(じしん)(たふと)ぶ。(ねつ)()(えん)()くの(ねん)、起す可らず。

〔評〕慶應(けいおう)三年九月、山内容堂(ようだう)公は寺村左膳(さぜん)、後藤(しやう)次郎を以て使となし、書を幕府に(てい)す。曰ふ、中古以(くわん)政刑(せいけい)武門に出づ。洋人來航するに及んで、物議(ぶつぎ)紛々(ふん/\)、東攻西(げき)して、内訌(ないこう)嘗て《をさま》る時なく、終に外國の輕侮(けいぶ)(まね)くに至る。此れ政令(せいれい)()に出で、天下耳目の(ぞく)する所を異にするが故なり。今や時勢一(ぺん)して舊規(きうき)墨守(ぼくしゆ)す可らず、宜しく政(けん)を王室に還し、以て萬國竝立(へいりつ)基礎(きそ)を建つべし。其れ則ち當今の急務(きふむ)にして、而て容堂の至願(しぐわん)なり。(ばく)下の(けん)なる、必之を(さつ)するあらんと。他日幕府の政權を(かへ)せる、其事實に公の呈書(ていしよ)(もと)づけり。當時幕府(ばくふ)既に(おとろ)へたりと雖、威權(ゐけん)未だ地に()ちず。公抗論(かうろん)して()まず、獨立の見ありと謂ふべし。

一〇 有本然之眞己、有躯殼之假己。須要自認得。

〔譯〕本然(ほんぜん)眞己(しんこ)有り、躯殼(くかく)假己(かこ)有り。須らく自ら(みと)め得んことを要すべし。

〔評〕南洲()を病む。英醫偉利斯(いりす)之を(しん)して、勞動(らうどう)(すゝ)む。南洲是より山野に游獵(いうれふ)せり。人或は病なくして犬を()き兎を()ひ、自ら南洲を學ぶと謂ふ、()なり。

一一 雲煙聚於不得已。風雨洩於不得已。雷霆震於不得已。斯可以觀至誠之作用。

〔譯〕雲煙(うんえん)()むことを得ざるに(あつま)る。風雨(ふうう)は已むことを得ざるに()る。雷霆(らいてい)は已むことを得ざるに(ふる)ふ。(こゝ)に以て至誠(しせい)作用(さよう)()る可し。

一二 動於不得已之勢、則動而不括。履於不可枉之途、則履而不危。

〔譯〕已むことを得ざるの(いきほひ)(うご)けば、則ち動いて(くわつ)せず。()ぐ可らざるの(みち)()めば、則ち履んで(あやふ)からず。

〔評〕官軍江戸を()つ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩(びはん)宗家(そうけ)(たす)けんと欲する者ありて、(ひそ)かに聲息(せいそく)を江戸に(つう)ず。()公之を(うれ)へ、田中不二麿(ふじまろ)、丹羽淳太郎等と議して、大義(しん)(ほろぼ)すの令を下す、實に已むことを得ざるの(きよ)に出づ。一藩の方向(はうかう)以て定れり。

一三 聖人如強健無病人。賢人如攝生愼病人。常人如虚羸多病人。

〔譯〕聖人は強健(きやうけん)病無き人の如し。賢人は攝生(せつしやう)病を(つゝし)む人の如し。常人は虚羸(きよるゐ)病多き人の如し。

一四 急迫敗事。寧耐成事。

〔譯〕急迫(きふはく)は事を(やぶ)る。寧耐(ねいたい)は事を()す。

〔評〕大坂城(おちい)る。徳川慶喜(よしのぶ)公火船に乘りて江戸に歸り、諸侯を召して罪を()つの状を告ぐ。余時に江戸に在り、特に別廳(べつちやう)()し告げて曰ふ。事此に至る、言ふ可きなし。汝將に京に入らんとすと()く、請ふ吾が爲めに恭順(きようじゆん)の意を致せと。余江戸を發して桑名に(いた)り、柳原前光(さきみつ)公軍を(とく)して至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。京師に至るに及んで、松平春嶽(しゆんがく)公を見て又之を告ぐ。慶喜公江戸城に在り、衆皆之に(せま)り、死を以て城を守らんことを請ふ。公()かず、水戸に赴く、近臣二三十名從ふ。衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或は(さん)じて四方に()き、或は上野(うへの)()る。若し公をして耐忍(たいにん)の力無く、共に(いか)つて事を擧げしめば、則ち府下悉く焦土(せうど)と爲らん。假令(たとひ)都を遷すも、其の盛大を(きは)むること今日の如きは實に難からん。然らば則ち公常人の(しの)ぶ能はざる所を忍ぶ、其功亦多し。(きう)藩士日高誠實(ひだかせいじつ)時に句あり云ふ。

功烈(こうれつ)尤も多かりしは前内府(ぜんないふ)至尊(しそん)直に鶴城(かくじやう)の中に在り」と。

一五 聖人安死。賢人分死。常人恐死。

〔譯〕聖人は死を(やす)んず。賢人は死を(ぶん)とす。常人は死を(おそ)る。

一六 賢者臨、見理當然、以爲分、恥畏死、而希安死、故神氣不亂。又有遺訓、足以聳聽。而其不及聖人亦在於此。聖人平生言動無一非訓。而臨、未必爲遺訓。視死生眞如晝夜、無所著念。

〔譯〕賢者は《ぼつ》するに(のぞ)み、()(まさ)に然るべきを見て、以て(ぶん)と爲し、死を(おそ)るゝを()ぢて、死を(やす)んずるを(こひねが)ふ、故に神氣(しんき)(みだ)れず。又遺訓(いくん)あり、以て(ちやう)(そびや)かすに足る。而かも其の聖人に及ばざるも亦此に在り。聖人は平生の言動(げんどう)一として訓に非ざるは無し。而てするに(のぞ)みて、未だ必しも遺訓を(つく)らず。死生(しせい)()ること眞に晝夜(ちうや)の如し、(ねん)()くる所無し。

〔評〕十年の(えき)、私學校の()彈藥製造所(だんやくせいざうじよ)(かす)む。南洲時に兎を大隈(おほすみ)山中に()ふ。之を聞いて(にはか)(いろ)()へて曰ふ、(しま)つたと。爾後(じご)肥後日向に轉戰して、神色夷然(いぜん)たり。

一七 堯舜文王、其所遺典謨訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命、曾子善言、賢人分上自當如此已。因疑孔子泰山之歌、後人假託爲之。檀弓信、多此類。欲尊聖人、而却爲之累。

〔譯〕堯舜(げうしゆん)文王は、其の(のこ)す所の典謨(てんぼ)訓誥(くんかう)、皆以て萬世の法と爲す可し。何の遺命(いめい)か之に()かん。(せい)王の顧命(こめい)(そう)子の善言に至つては、賢人の(ぶん)(おのづか)(まさ)に此の如くなるべきのみ。因つて(うたが)ふ、孔子泰山(たいざん)の歌、後人假託(かたく)之を(つく)れるならん。檀弓(だんぐう)の信じ《がた》きこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、(かへ)つて之が(るゐ)を爲せり。

一八 一部歴史、皆傳形迹、而情實或不傳。讀史者、須要就形迹以討出情實。

〔譯〕一()歴史(れきし)、皆形迹(けいせき)(つた)へて、情實(じやうじつ)或は傳らず。史を讀む者は、須らく形迹に()いて以て情實を(たづ)ね出だすことを要すべし。

一九 博聞強記、聰明横也。精義入神、聰明竪也。

〔譯〕博聞強記(はくぶんきやうき)は、聰明(そうめい)(よこ)なり。精義(せいぎ)神に入るは、聰明(そうめい)(たて)なり。

二〇 生物皆畏死。人其靈也、當從畏死之中、揀出不畏死之理。吾思、我身天物也。死生之權在天、當順受之。我之生也、自然而生、生時未嘗知喜矣。則我之死也、應亦自然而死、死時未嘗知悲也。天生之而天死之、一聽于天而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏天之室也。精氣之爲物也、天寓於此室。遊魂之爲變也、天離於此室。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所以爲性者、恒在於死生之外、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原始反終、知死生之理、何其易簡而明白也。吾人當以此理自省焉。

〔譯〕生物は皆死を(おそ)る。人は其(れい)なり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出(けんしゆつ)すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の(けん)は天に在り、當に之を順受(じゆんじゆ)すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て(よろこ)ぶことを知らず。則ち我の死するや(まさ)に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を(ころ)す、一に天に(まか)さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼(くかく)は則ち天を(おさ)むるの室なり。精氣(せいき)の物と爲るや、天此の室に(ぐう)す。遊魂(いうこん)(へん)を爲すや、天此の室を(はな)る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、(つね)に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一()なり、幽明(いうめい)は一理なり。始めを(たづ)ねて(をは)りに(かへ)らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡(いかん)にして明白なるや。吾人は當に此の理を以て自省(じせう)すべし。

二一 畏死者生後之情也、有躯殼而後有是情。不畏死者生前之性也、離躯殼而始見是性。人須自得不畏死之理於畏死之中、庶乎復性焉。

〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、躯殼(くかく)有つて後に()の情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼(くかく)(はな)れて始て是の性を見る。人は(すべか)らく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得(じとく)すべし、性に(かへ)るに(ちか)し。

〔評〕幕府勤王の士を(とら)ふ。南洲及び伊地知正治(いぢちまさはる)海江田武治(かいえだたけはる)等尤も其の指目(しもく)する所となる。僧月照(げつせう)嘗て近衞公の密命(みつめい)(ふく)みて水戸に至る、幕吏之を(もと)むること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に(はし)る。一日南洲、月照の宅を()ふ。此の夜月色清輝(せいき)なり。(あらかじ)酒饌(しゆせん)(そな)へ、舟を薩海に(うか)ぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲首肯(しゆかう)する所あるものゝ如し、遂に相(よう)して海に(とう)ず。次郎等水聲起るを聞いて、倉皇(さうくわう)として之を救ふ。月照既に死して、南洲は(よみがへ)ることを得たり。南洲は終身(しゆうしん)月照と死せざりしを(うら)みたりと云ふ。

二二 誘掖而導之、教之常也。警戒而喩之、教之時也。躬行以率之、教之本也。不言而化之、教之神也。抑而揚之、激而進之、教之權而變也。教亦多術矣。

〔譯〕誘掖(いうえき)して之を(みちび)くは、教の常なり。警戒(けいかい)して之を(さと)すは、教の時なり。()に行うて之を()きゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教の(しん)なり。(おさ)へて之を()げ、(げき)して之を(すゝ)ましむるは、教の(けん)にして而て(へん)なり。教も亦(じゆつ)多し。

二三 閑想客感、由志之不立。一志既立、百邪退聽。譬之清泉湧出、旁水不得渾入。

〔譯〕閑想(かんさう)客感(きやくかん)は、志の立たざるに由る。一志既に立てば、百邪退き()く。之を清泉(せいせん)湧出(ようしゆつ)せば、旁水(ばうすゐ)渾入(こんにふ)することを得ざるに(たと)ふべし。

〔評〕政府郡縣(ぐんけん)()(ふく)せんと欲す、木戸公と南洲と尤も之を主張す。或ひと南洲を見て之を説く、南洲曰く(だく)すと。其人又之を説く、南洲曰く、吉之助の一諾、死以て之を守ると、他語(たご)(まじ)へず。

二四 心爲靈。其條理動於情識、謂之欲。欲有公私、情識之通於條理爲公。條理之滯於情識爲私。自辨其通滯者、即便心之靈。

〔譯〕心を(れい)と爲す。其の條理(でうり)情識(じやうしき)(うご)く、之を(よく)と謂ふ。欲に公私(こうし)有り、情識の條理に通ずるを公と爲す。條理の情識に(とゞこほ)るを私と爲す。自ら其の(つう)(たい)とを(べん)ずるは、即ち心の(れい)なり。

二五 人一生所遭、有險阻、有坦夷、有安流、有驚瀾。是氣數自然、竟不能免、即易理也。人宜居而安、玩而樂焉。若趨避之、非達者之見。

〔譯〕人一生()ふ所、險阻(けんそ)有り、坦夷(たんい)有り、安流(あんりう)有り、驚瀾(きやうらん)有り。是れ氣數(きすう)の自然にして、(つひ)(まぬが)るゝ能はず、即ち易理(えきり)なり。人宜しく居つて安んじ、(もてあそ)んで(たの)しむべし。若し之を趨避(すうひ)せば、(たつ)者の見に非ず。

〔評〕或ひと岩倉公幕を佐くと(ざん)す。公薙髮(ていはつ)して岩倉邸に蟄居(ちつきよ)す。大橋愼藏(しんざう)()(けい)三、玉松(みさを)、北島秀朝(ひでとも)等、公の志を知り、深く結納(けつなふ)す。南洲及び大久保公、木戸公、後藤象次郎、坂本龍馬等公を洛東より迎へて、朝政に任ぜしむ。公既に職に在り、(しば/\)刺客(せきかく)狙撃(そげき)する所となり、危難(きなん)(しき)りに至る、而かも(がう)趨避(すうひ)せず。

二六 心之官則思。思字只是工夫字。思則愈精明、愈篤實。自其篤實謂之行、自其精明謂之知。知行歸於一思字。

〔譯〕心の(かん)は則ち思ふ。思の字只是れ工夫(くふう)の字なり。思へば則ち愈精明(せいめい)なり、愈篤實(とくじつ)なり。其の篤實より之を行と謂ひ、其の精明より之を知と謂ふ。知と行とは一の思の字に()す。

二七 處晦者能見顯。據顯者不見晦。

〔譯〕(くわい)()る者は能く(けん)を見る。顯に()る者は晦を見ず。

二八 取信於人難也。人不信於口、而信於躬。不信於躬、而信於心。是以難。

〔譯〕(しん)を人に取るは難し。人は口を信ぜずして()を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。

〔評〕南洲守庭吏(しゆていり)と爲る。島津齊彬(なりあきら)公其の眼光(がんくわう)烱々(けい/\)として人を()るを見て(ぼん)人に非ずと以爲(おも)ひ、拔擢(ばつてき)して之を用ふ。公(かつ)て書を(つく)り、南洲に命じて之を水戸(みと)(れつ)公に致さしめ、初めより封緘(ふうかん)を加へず。烈公の答書(たふしよ)も亦然り。

二九 臨時之信、累功於平日。平日之信、收効於臨時。

〔譯〕臨時(りんじ)(しん)は、(こう)を平日に(かさ)ぬればなり。平日の信は、(こう)を臨時に(をさ)むべし。

〔評〕南洲官軍の先鋒(せんぱう)となり、品川に(いた)る、勝安房(かつあは)、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、慶喜(つみ)()つの(じやう)具陳(ぐちん)し、討伐(たうばつ)(ゆる)べんことを請ふ。安房素より南洲を知れり、之を説くこと甚だ力む。乃ち令を諸軍に傳へて、攻撃を(とゞ)む。

三〇 信孚於上下、天下無甚難處事。

〔譯〕信上下に()す、天下甚だ(しよ)し難き事無し。

三一 意之誠否、須於夢寐中事驗之。

〔譯〕()誠否(せいひ)は、須らく夢寐(むび)(ちゆう)の事に於て之を(けん)すべし。

〔評〕南洲弱冠(じやくくわん)の時、藤田東湖(ふじたとうこ)(えつ)す、東湖は重瞳子(ちやうどうし)躯幹(くかん)魁傑(くわいけつ)にして、黄麻(わうま)外套(ぐわいとう)()朱室(しゆざや)長劒(ちやうけん)()して南洲を(むか)ふ。南洲一見して瞿然(くぜん)たり。乃ち室内に入る、一大白を(ぞく)して(さけ)(すゝ)めらる。南洲は()(いん)(かい)せず、()ひて之を(つく)す、(たちま)酩酊(めいてい)して嘔吐(おうど)(せき)(けが)す。東湖は南洲の朴率(ぼくそつ)にして(かざ)るところなきを見て(はなは)だ之を(あい)す。嘗て曰ふ、他日我が志を()ぐ者は獨此の少年子のみと。南洲も亦曰ふ、天下(しん)(おそ)る可き者なし、(たゞ)畏る可き者は東湖一人のみと。二子の言、夢寐(むび)(かん)ずる者か。

三二 不起妄念是敬。妄念不起是誠。

〔譯〕妄念(ばうねん)を起さゞるは是れ(けい)なり。妄念起らざるは是れ(まこと)なり。

三三 因民義以激之、因民欲以趨之、則民忘其生而致其死。是可以一戰。

〔譯〕民の()に因つて以て之を(げき)し、民の(よく)に因つて以て之を(はし)らさば、則ち民其の生を(わす)れて其の死を(いた)さん。是れ以て一(せん)す可し。

〔評〕兵數は(いづ)れか(おほ)き、器械(きかい)は孰れか(せい)なる、糧食(りやうしよく)は孰れか()める、この數者を以て之を(くら)べば、薩長(さつちやう)の兵は固より幕府に及ばざるなり。然り而して伏見(ふしみ)の一戰、東兵披靡(ひび)するものは何ぞや。南洲及び木戸公等の《さく》、民の(よく)に因つて之を(はし)らしたればなり。是を以て破竹(はちく)(いきほひ)ありたり。

三四 漸必成事、惠必懷人。如歴代姦雄、有竊其祕者、一時亦能遂志。可畏之至。

〔譯〕(ぜん)は必ず事を()し、(けい)は必ず人を()づく。歴代(れきだい)姦雄(かんゆう)の如き、其()(ぬす)む者有り、一時亦能く志を()ぐ。畏る可きの至りなり。

三五 匿情似愼密。柔媚似恭順。剛愎似自信。故君子惡似而非者。

〔譯〕匿情(とくじやう)愼密(しんみつ)()る。柔媚(じうび)恭順(きようじゆん)に似る。剛愎(がうふく)自信(じしん)に似る。故に君子は()()なる者を(にく)む。

三六 事君不忠非孝也、戰陳無勇非孝也。曾子孝子、其言如此。彼謂忠孝不兩全者、世俗之見也。

〔譯〕君に(つか)へて忠ならざるは孝に非ざるなり、戰陳(せんじん)(ゆう)無きは孝に非ざるなりと。曾子(そうし)は孝子なり、其の言(かく)の如し。彼の忠孝兩全(りやうぜん)せずと謂ふは、世俗(せぞく)の見なり。

〔評〕十年の(なん)、賊の精鋭(せいえい)熊本城下に(あつま)る。而て援軍(えんぐん)未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。賊勢(ぞくせい)遂に屈し、其兵を東する能はず。昔者(むかし)加藤嘉明(よしあき)言へるあり。曰ふ、(しやう)()(はた)()るは、氣盛なる者之を能くす、而かも眞勇(しんゆう)に非ざるなり。孤城(こじやう)(えん)なきに守り、(せん)主を衆|《そむ》くに(たも)つ、律義者(りちぎもの)に非ざれば能はず、故に眞勇は必ず律義者(りちぎもの)に出づと。尾藤孝肇(びとうかうてう)曰ふ、律義(りちぎ)とは(けだ)(ちよく)にして信あるを謂ふと。余謂ふ、孤城を(えん)なきに守るは、谷中將の如くば可なりと。嗚呼中將は忠且つ勇なり、而して孝其の(うち)に在り。

三七 不可誣者人情、不可欺者天理、人皆知之。蓋知而未知。

〔譯〕()ふ可らざる者は人情なり、(あざむ)く可らざる者は天理なり、人皆之を知る。(けだ)し知つて而して未だ知らず。

〔評〕榎本武揚(えのもとぶやう)等五稜郭(りようかく)の兵已に敗る。海律全書(かいりつぜんしよ)二卷を以て我が海軍に(おく)つて云ふ、是れ嘗て荷蘭(おらんだ)に學んで()たる所なり、身と倶に(ほろ)ぶることを惜しむと。武揚の誣ふ可らざるの情天聽(てんちやう)(たつ)し、其の死を宥し寵用(ちようよう)せらる、天理なり。

三八 知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成體躯。則知行、是二而一、一而二。

〔譯〕()は是れ(かう)主宰(しゆさい)なり、乾道(けんだう)なり。行は是れ知の流行(りうかう)なり、坤道(こんだう)なり。合して以て體躯(たいく)を成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。

三九 學貴自得。人徒以目讀有字之書、故局於字、不得通透。當以心讀無字之書、乃洞而有自得。

〔譯〕(がく)自得(じとく)(たふと)ぶ。人(いたづら)に目を以て有字の書を讀む、故に字に(きよく)し、通透(つうとう)することを得ず。(まさ)に心を以て無字の書を讀むべし、乃ち(とう)して自得するところ有らん。

四〇 孟子以讀書爲尚友。故讀經籍、即是聽嚴師父兄之訓也。讀史子、亦即與明君賢相英雄豪傑相周旋也。其可不清明其心以對越之乎。

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