2話 南洲手抄言志録 03 南洲手抄言志録(2)
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〔譯〕孟子讀書を以て尚友と爲す。故に經籍を讀む、即ち是れ嚴師父兄の訓を聽くなり。史子を讀む、亦即ち明君賢相英雄豪傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして以て之に對越せざる可けんや。
四一 爲學緊要、在心一字。把心以治心、謂之聖學。爲政著眼、在情一字。循情以治情、謂之王道。王道聖學非二。
〔譯〕學を爲すの緊要は心の一字に在り。心を把つて以て心を治む、之を聖學と謂ふ。政を爲すの着眼は情の一字に在り。情に循うて以て情を治む、之を王道と謂ふ。王道と聖學と二に非ず。
〔評〕兵を治して對抗し、互に勝敗あり。兵士或は負傷者の状を爲す、醫故に之を診察す。兵士初め負傷者とならんことを惡む。一日、聖上親臨して負傷者を撫し、恩言を賜ふ、此より兵士負傷者とならんことを願ふ。是に由つて之を觀れば、兵を馭するも亦情に外ならざるなり。
四二 發憤忘食、志氣如是。樂以忘憂、心體如是。不知老之將至、知命樂天如是。聖人與人不同、又與人不異。
〔譯〕憤を發して食を忘る、志氣是の如し。樂んで以て憂を忘る、心體是の如し。老の將に至らんとするを知らず、命を知り天を樂しむもの是の如し。聖人は人と同じからず、又人と異ならず。
四三 講説聖賢、而不能躬之、謂之口頭聖賢、吾聞之一然。論辯道學、而不能體之、謂之紙上道學、吾聞之再然。
〔譯〕聖賢を講説して之を躬にする能はず、之を口頭聖賢と謂ふ、吾れ之を聞いて一たび然たり。道學を論辯して之を體する能はず、之を紙上道學と謂ふ、吾れ之を聞いて再び然たり。
四四 學、稽之古訓、問、質之師友、人皆知之。學必學之躬、問必問諸心、其有幾人耶。
〔譯〕學之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。學必ず之を躬に學び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
四五 以天而得者固。以人而得者脆。
〔譯〕天を以て得たるものは固し。人を以て得たるものは脆し。
四六 君子自慊、小人自欺。君子自彊、小人自棄。上達下達、落在一自字。
〔譯〕君子は自ら慊くし、小人は自ら欺く。君子は自ら彊め、小人は自ら棄つ。上達と下達とは、一の自の字に落在す。
四七 人皆知問身之安否、而不知問心之安否。宜自問能不欺闇室否、能不愧衾影否、能得安穩快樂否。時時如是、心便不放。
〔譯〕人は皆身の安否を問ふことを知つて、而かも心の安否を問ふことを知らず。宜しく自ら能く闇室を欺かざるや否や、能く衾影に愧ぢざるや否や、能く安穩快樂を得るや否やと問ふべし。時時是の如くば心便ち放たず。
〔評〕某士南洲に面して仕官を求む。南洲曰ふ、汝俸給幾許を求むるやと。某曰ふ、三十圓ばかりと。南洲乃ち三十圓を與へて曰ふ、汝に一月の俸金を與へん、汝は宜しく汝の心に向うて我が才力如何を問ふべしと。其人復た來らず。
四八 無爲而有爲之謂誠。有爲而無爲之謂敬。
〔譯〕爲す無くして爲す有る之を誠と謂ふ。爲す有つて爲す無し之を敬と謂ふ。
四九 寛懷不忤俗情、和也。立脚不墜俗情、介也。
〔譯〕寛懷俗情に忤はざるは、和なり。立脚俗情に墜ちざるは、介なり。
五〇 惻隱之心偏、民或有溺愛殞身者。羞惡之心偏、民或有自經溝涜者。辭讓之心偏、民或有奔亡風狂者。是非之心偏、民或有兄弟鬩牆父子相訟者。凡情之偏、雖四端遂陷不善。故學以致中和、歸於無過不及、謂之復性之學。
〔譯〕惻隱の心偏すれば、民或は愛に溺れ身を殞す者有り。羞惡の心偏すれば、民或は溝涜に自經する者有り。辭讓の心偏すれば、民或は奔亡風狂する者有り。是非の心偏すれば、民或は兄弟牆に鬩ぎ父子相訟ふ者有り。凡そ情の偏するや、四端と雖遂に不善に陷る。故に學んで以て中和を致し、過不及無きに歸す、之を復性の學と謂ふ。
〔評〕江藤新平、前原一誠等の如きは、皆維新の功臣として、勤王二なく、官は參議に至り、位は人臣の榮を極む。然り而して前後皆亂を爲し誅に伏す、惜しいかな。豈四端の偏ありしものか。
五一 此學吾人一生負擔、當斃而後已。道固無窮、堯舜之上善無盡。孔子自志學、至七十、毎十年、自覺其有所進、孜孜自彊、不知老之將至。假使其踰耄至期、則其神明不測、想當爲何如哉。凡學孔子者、宜以孔子之志爲志。
〔譯〕此の學は吾人一生の負擔、當に斃れて後に已むべし。道固より窮り無し。堯舜の上、善盡くること無し。孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覺り、孜孜として自ら彊めて、老の將に至らんとするを知らず。假し其をして耄を踰え期に至らしめば、則ち其の神明測られざること、想ふに當に何如たるべきぞや。凡そ孔子を學ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と爲すべし。
五二 自彊不息、天道也、君子所以也。如虞舜孳孳爲善、大禹思日孜孜、成湯苟日新、文王不遑暇、周公坐以待旦、孔子發憤忘食、皆是也。彼徒事靜養瞑坐而已、則與此學脈背馳。
〔譯〕自ら彊めて息まざるは天道なり、君子の以ゐる所なり。虞舜の孳孳として善を爲し、大禹の日に孜孜せんことを思ひ、成湯の苟に日に新にせる、文王の遑あき暇あらざる、周公の坐して以て旦を待つ、孔子の憤りを發して食を忘るゝ如きは、皆是なり。彼の徒に靜養瞑坐を事とすのみならば、則ち此の學脈と背馳す。
五三 自彊不息時候、心地光光明明、有何妄念游思、有何嬰累想。
〔譯〕自ら彊めて息まざる時候は、心地光光明明にして、何の妄念游思有らん、何の嬰累想有らん。
〔評〕三條公の筑前に在る、或る人其の旅況の無聊を察して美女を進む、公之を卻く。某氏宴を開いて女樂を設く、公怫然として去れり。
五四 提一燈、行暗夜。勿憂暗夜、只頼一燈。
〔譯〕一燈を提げて、暗夜を行く。暗夜を憂ふる勿れ、只だ一燈を頼め。
〔評〕伏水戰を開き、砲聲大内に聞え、愈激しく愈近づく。岩倉公南洲に問うて曰ふ、勝敗何如と。南洲答へて曰ふ、西郷隆盛在り、憂ふる勿れと。
五五 倫理物理、同一理也。我學倫理之學、宜近取諸身、即是物理。
〔譯〕倫理と物理とは同一理なり。我れ倫理の學を學ぶ、宜しく近く諸を身に取るべし、即ち是れ物理なり。
五六 濁水亦水也。一澄則爲清水。客氣亦氣也。一轉則爲正氣。逐客工夫、只是克己、只是復禮。
〔譯〕濁水も亦水なり、一澄すれば則ち清水となる。客氣も亦氣なり、一轉すれば則ち正氣となる。客を逐ふの工夫は、只是れ己に克つなり、只是れ禮に復るなり。
〔評〕南洲壯時角觝を好み、毎に壯士と角す。人之を苦しむ。其守庭吏と爲るや、庭中に土豚を設けて、掃除を事とせず。既にして慨然として天下を以て自ら任じ、節を屈して書を讀み、遂に復古の大業を成せり。
五七 理本無形。無形則無名矣。形而後有名。既有名、則理謂之氣無不可。故專指本體、則形後亦謂之理。專指運用、則形前亦謂之氣、竝無不可。如浩然之氣、專指運用、其實太極之呼吸、只是一誠。謂之氣原、即是理。
〔譯〕理は本と形無し。形無ければ則ち名無し。形ありて後に名有り。既に名有れば、則ち理之を氣と謂ふも、不可無し。故に專ら本體を指せば、則ち形後も亦之を理と謂ふ。專ら運用を指せば、則ち形前も亦之を氣と謂ふ、竝に不可無し。浩然の氣の如きは、專ら運用を指すも、其の實太極の呼吸にして、只是れ一誠なり。之を氣原と謂ふ、即ち是れ理なり。
五八 物我一體、即是仁。我執公情以行公事、天下無不服。治亂之機、在於公不公。周子曰、公於己者、公於人。伊川又以公理、釋仁字。餘姚亦更博愛爲公愛。可并攷。
〔譯〕物我一體は即ち是れ仁なり。我れ公情を執つて以て公事を行ふ、天下服せざる無し。治亂の機は公と不公とに在り。周子曰ふ、己に公なる者は人に公なりと。伊川又公理を以て仁の字を釋す。餘姚も亦博愛を更めて公愛と爲せり。并せ攷ふ可し。
〔評〕余嘗て木戸公の言を記せり。曰ふ、會津藩士は、性直にして用ふ可し、長人の及ぶ所に非ざるなりと。夫れ會は長の敵なり、而かも其の言此の如し。以て公の事を處すること皆公平なるを知るべし。
五九 尊徳性、是以道問學、即是尊徳性。先立其大者、則其知也眞。能迪其知、則其功也實。畢竟一條路往來耳。
〔譯〕徳性を尊ぶ、是を以て問學に道る、即ち是れ徳性を尊ぶなり。先づ其の大なる者を立つれば、則ち其知や眞なり。能く其の知を迪めば、則ち其功や實なり。畢竟一條路の往來のみ。
六〇 周子主靜、謂心守本體。説自註無欲故靜、程伯氏因此有天理人欲之説。叔子持敬工夫亦在此。朱陸以下雖各有得力處、而畢竟不出此範圍。不意至明儒、朱陸分黨如敵讐。何以然邪。今之學者、宜以平心待之。取其得力處可也。
〔譯〕周子靜を主とす、心本體を守るを謂ふなり。説に、「欲無し故に靜」と自註す、程伯氏此に因つて天理人欲の説有り。叔子敬を持する工夫も亦此に在り。朱陸以下各力を得る處有りと雖、而かも畢竟此の範圍を出でず。意はざりき明儒に至つて、朱陸黨を分つこと敵讐の如くあらんとは。何を以て然るや。今の學ぶ者、宜しく平心を以て之を待つべし。其の力を得る處を取らば可なり。
六一 象山、宇宙内事、皆己分内事、此謂男子擔當之志如此。陳引此註射義、極是。
〔譯〕象山の、宇宙内の事は皆己れ分内の事は、此れ男子擔當の志此の如きを謂ふなり。陳此を引いて射義を註す、極めて是なり。
〔評〕南洲嘗て東湖に從うて學ぶ。當時書する所、今猶民間に存す。曰ふ、「一寸の英心萬夫に敵す」と。蓋し復古の業を以て擔當することを爲す。維新征東の功實に此に讖す。末路再び讖を成せるは、悲しむべきかな。
六二 講論語、是慈父教子意思。講孟子、是伯兄誨季意思。講大學、如網在綱。講中庸、如雲出岫。
〔譯〕論語を講ず、是れ慈父の子を教ふる意思。孟子を講ず、是れ伯兄の季を誨ふる意思。大學を講ず、網の綱に在る如し。中庸を講ず、雲の岫を出づる如し。
六三 易是性字註脚。詩是情字註脚。書是心字註脚。
〔譯〕易は是れ性の字の註脚なり。詩は是れ情の字の註脚なり。書は是れ心の字の註脚なり。
六四 獨得之見似私、人驚其驟至。平凡之議似公、世安其狃聞。凡聽人言、宜虚懷而邀之。勿苟安狃聞可也。
〔譯〕獨得の見は私に似る、人其の驟至に驚く。平凡の議は公に似る、世其の狃聞に安んず。凡そ人の言を聽くは、宜しく虚懷にして之を邀ふべし。狃聞に苟安することなくんば可なり。
六五 心理是豎工夫、愽覽是横工夫。豎工夫、則深入自得。横工夫、則淺易汎濫。
〔譯〕心理は是れ豎の工夫なり、愽覽は是れ横の工夫なり。豎の工夫は、則ち深入自得せよ。横の工夫は、則ち淺易汎濫なれ。
六六 讀經、宜以我之心讀經之心、以經之心釋我之心。不然徒爾講明訓詁而已、便是終身不曾讀。
〔譯〕經を讀むは、宜しく我れの心を以て經の心を讀み、經の心を以て我の心を釋すべし。然らずして徒爾に訓詁を講明するのみならば、便ち是れ終身曾て讀まざるなり。
六七 引滿中度、發無空箭。人事宜如射然。
〔譯〕滿を引き度に中り、發して空箭無し。人事宜しく射の如く然るべし。
六八 前人、謂英氣害事。余則謂、英氣不可無、但露圭角爲不可。
〔譯〕前人は、英氣は事を害すと謂へり。余は則ち謂ふ、英氣は無かる可らず、但だ圭角を露はすを不可と爲すと。
六九 刀槊之技、懷怯心者衄、頼勇氣者敗。必也泯勇怯於一靜、忘勝負於一動。動之以天、廓然太公、靜之以地、物來順應。如是者勝矣。心學亦不外於此。
〔譯〕刀槊の技、怯心を懷く者は衄け、勇氣を頼む者は敗る。必や勇怯を一靜に泯し、勝負を一動に忘れ、之を動かすに天を以てして、廓然太公に、之を靜むるに地を以てして、物來つて順應せん。是の如き者は勝たん。心學も亦此に外ならず。
〔評〕長兵京師に敗る。木戸公は岡部氏に寄つて禍を免るゝことを得たり。後丹波に赴き、姓名を變へ、博徒に混り、酒客に交り、以て時勢を窺へり。南洲は浪華の某樓に寓す。幕吏搜索して樓下に至る。南洲乃ち劇を觀るに託して、舟を《か》りて逃げ去れり。此れ皆勇怯を泯し勝負を忘るゝものなり。
七〇 無我則不獲其身、即是義。無物則不見其人、即是勇。
〔譯〕我れ無ければ則ち其身を獲ず、即ち是れ義なり。物無ければ則ち其人を見ず、即ち是れ勇なり。
七一 自反而縮者、無我也。雖千萬人吾往矣、無物也。
〔譯〕自ら反みて縮きは、我無きなり。千萬人と雖吾れ往かんは、物無きなり。
七二 三軍不和、難以言戰。百官不和、難以言治。書云、同寅協恭和衷哉。唯一和字、一串治亂。
〔譯〕三軍和せずば、以て戰を言ひ難し。百官和せずば、以て治を言ひ難し。書に云ふ、寅を同じうし恭を協せ和衷せよやと。唯だ一の和字、治亂を一串す。
〔評〕復古の業は薩長の合縱に成る。是れより先き、土人坂本龍馬、薩長の和せざるを憂へ、薩邸に抵り、大久保・西郷諸氏に説き、又長邸に抵り、木戸・大村諸氏に説く。薩人黒田・大山諸氏長に至り、長人木戸・品川諸氏薩に往き、而て後和成り、維新の鴻業を致せり。
七三 凡事有眞是非、有假是非。假是非、謂通俗之所可否。年少未學、而先了假是非、後欲得眞是非、亦不易入。所謂先入爲主、不可如何耳。
〔譯〕凡そ事に眞是非有り、假是非有り。假是非とは、通俗の可否する所を謂ふ。年少く未だ學ばずして、先づ假是非を了し、後に《およ》んで眞是非を得んと欲するも、亦入り易からず。謂はゆる先入主と爲り、如何ともす可らざるのみ。
七四 果斷、有自義來者。有自智來者。有自勇來者。有并義與智而來者、上也。徒勇而已者殆矣。
〔譯〕果斷は、義より來るもの有り。智より來るもの有り。勇より來るもの有り。義と智とを併せて來るもの有り、上なり。徒に勇のみなるは殆し。
〔評〕關八州は古より武を用ふるの地と稱す。興世王反逆すと雖、猶將門に説いて之に據らしむ。小田原の役、豐公は徳川公に謂うて曰ふ、東方に地あり、江戸と曰ふ、以て都府を開く可しと。一新の始め、大久保公遷都の議を獻じて曰ふ、官軍已に勝つと雖、東賊猶未だ滅びず、宜しく非常の斷を以て非常の事を行ふべしと。先見の明智と謂ふ可し。
七五 公私在事、又在情。事公而情私者有之。事私而情公者有之。爲政者、宜權衡人情事理輕重處、以用其中於民。
〔譯〕公私は事に在り、又情に在り。事公にして情私なるもの之有り。事私にして情公なるもの之有り。政を爲す者は、宜しく人情事理輕重の處を權衡して、以て其の中を民に用ふべし。
〔評〕南洲城山に據る。官軍柵を植ゑて之を守る。山縣中將書を南洲に寄せて兩軍殺傷の慘を極言す。南洲其の書を見て曰ふ、我れ山縣に負かずと、斷然死に就けり。中將は南洲の元を視て曰ふ、惜しいかな、天下の一勇將を失へりと、流涕すること之を久しうせり。噫公私情盡せり。
七六 愼獨工夫、當如身在稠人廣座中一般。應酬工夫、當如間居獨處時一般。
〔譯〕愼獨の工夫は、當に身稠人廣座の中に在るが如く一般なるべし。應酬の工夫は、當に間居獨處の時の如く一般なるべし。
七七 心要現在。事未來、不可邀。事已往、不可追。纔追纔邀、便是放心。
〔譯〕心は現在せんことを要す。事未だ來らずば、邀ふ可らず。事已に往かば、追ふ可らず。纔かに追ひ纔かに邀へば、便ち是れ放心なり。
七八 物集於其所好、人也。事赴於所不期、天也。
〔譯〕物其の好む所に集るは、人なり。事期せざる所に赴くは、天なり。
七九 人貴厚重、不貴遲重。尚眞率、不尚輕率。
〔譯〕人は、厚重を貴ぶ、遲重を貴ばず。眞率を尚ぶ、輕率を尚ばず。
〔評〕南洲人に接して、妄に語を交へず、人之を憚る。然れども其の人を知るに及んでは、則ち心を傾けて之を援く。其人に非ざれば則ち終身言はず。
八〇 凡生物皆資於養。天生而地養之。人則地之氣精英。吾欲靜坐以養氣、動行以養體、氣體相資、以養此生。所以從地而事天。
〔譯〕凡そ生物は皆養を資る。天生じて地之を養ふ。人は則ち地の氣の精英なり。吾れ靜坐して以て氣を養ひ、動行して以て體を養ひ、氣と體と相資つて以て此の生を養はんと欲す。地に從うて天に事ふる所以なり。
〔評〕維新の業は三藩の兵力に由ると雖、抑之を養ふに素あり、曰く名義なり、曰く名分なり。或は云ふ、維新の功は大日本史及び外史に基づくと、亦理無しとせざるなり。
八一 凡爲學之初、必立欲爲大人之志、然後書可讀也。不然、徒貪聞見而已、則或恐長傲飾非。所謂假寇兵、資盜糧也、可虞。
〔譯〕凡そ學を爲すの初め、必ず大人たらんと欲するの志を立て、然る後書讀む可し。然らずして、徒に聞見を貪るのみならば、則ち或は傲を長じ非を飾らんことを恐る。謂はゆる寇に兵を假し、盜に糧を資するなり、虞る可し。
八二 以眞己克假己、天理也。以身我害心我、人欲也。
〔譯〕眞己を以て假己に克つ、天理なり。身我を以て心我を害す、人欲なり。
八三 無一息間斷、無一刻急忙。即是天地氣象。
〔譯〕一息の間斷無く、一刻の急忙無し。即ち是れ天地の氣象なり。
〔評〕木戸公毎旦考妣の木主を拜す。身煩劇に居ると雖、少しくも怠らず。三十年の間一日の如し。
八四 有心於無心、工夫是也。無心於有心、本體是也。
〔譯〕心無きに心有るは、工夫是なり。心有るに心無きは、本體是なり。
八五 不知而知者、道心也。知而不知者、人心也。
〔譯〕知らずして知る者は、道心なり。知つて知らざる者は、人心なり。
八六 心靜、方能知白日。眼明、始會識青天。此程伯氏之句也。青天白日、常在於我。宜掲之座右、以爲警戒。