8話 みどり色の手
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名探偵、明智小五郎は、博物館長のゆくえが知れなくなってから、たいへんいそがしくなりました。警察の手だすけをして、この大事件のとりしらべに、かかりきりになっていたのです。
アメリカと日本に、同じような円盤事件がおこったので、アメリカの警察から、数名の係官が、飛行機で、東京へ飛んできましたし、日本の警察官も、アメリカへとびました。そして、おたがいに、事情をしらべ、相談しあって、この星の世界の怪物を、とらえようとしたのです。明智探偵は、その東京での相談の席に、たびたび呼ばれて、意見をきかれました。そんなことで、事務所にいることは、めったにないのです。
ある日、明智探偵は、助手の小林少年を呼んで、こんなことを言いました。
「ぼくは、博物館の事件で、すこしもひまがないが、あの平野君という少年のことが、なんだか気がかりなんだ。あの少年には、バイオリンの天才といわれている、うつくしいおねえさんがあったね。きみは、平野君とおねえさんのことを、よく注意してくれたまえ。まいにち、平野君のうちへ遊びにいくんだね。そして、なにか、かわったことが、おこらないか、気をつけているんだ。きみは、とうぶん、それだけやっていればいい。たのんだよ。」
小林少年は、その日から、せっせと、平野少年のおうちへ、遊びにいくようになりました。平野少年も、小林君がだいすきでしたから、学校から帰ると、小林君のくるのをまちかまえていて、お話をしたり、理科の実験をしたりして遊ぶのでした。近所の北村さんも、ときどき、やってきて、ふたりにおもしろいお話を、聞かせてくれました。北村さんというのは、丹沢山の円盤の中に、ひと月とじこめられていた、あの青年です。ですから、そのお話は、しぜん、宇宙怪人のことになるのです。ふたりの少年は、胸をドキドキさせながら、むちゅうになって、それを聞くのでした。
平野君のおねえさまのゆりかさんは、音楽学校を、まもなく卒業するのですが、いまは学校がお休みで、まいにち、おうちにいるものですから、小林君が遊びにいくと、弟の平野少年といっしょに、自分の部屋へ呼んで、バイオリンをひいて、聞かせてくれるようなこともありました。小林君は、このゆりかさんとも、じきに、お友だちになってしまいました。
平野少年も、きれいな顔の子どもでしたが、おねえさまは、小林君が、いままで、一度もあったことがないような、きれいな人でした。顔を見るのもまぶしいほど、うつくしいのです。そのゆりかさんがバイオリンをひきだすと、小林君は、うっとりと、夢を見ているような気持ちになりました。フワフワと、五色の雲にのって、天へのぼっていくような、なんともいえないたのしい気持ちになるのでした。
一週間ほど、そういうたのしい日が、つづきましたが、ある夕がたのこと、小林君は、じつにおそろしいものを見たのです。このうつくしいえものをねらう、悪魔のすがたが、夕やみの中に、もうろうとして、たちあらわれたのです。
ある夕がた、ゆりかさんのバイオリンを聞き、おいしいお菓子を、よばれたあとで、小林少年は、平野君とわかれて、平野君のおうちの門のそとへ出ました。
夕やみがせまって、昼でもない、夜でもないという、あのネズミ色の、ひとときでした。そのあたりは、ひろい屋敷ばかりがならんでいる町で、両がわには、いけがきや、コンクリート塀が、どこまでもつづいていて、人通りは、まるでありません。シーンとして、海の底のようなしずけさです。
小林君が、ヒョイと門をでますと、平野君のおうちの塀にピッタリ身をつけて、ひとりの男が立っているのに、気づきました。まるでヤモリのように、塀にくっついているのです。
「へんなやつだな。」と思って、じっとみつめていますと、男のほうでも、小林君に気づいて、ハッとしたように、いきなり、むこうへ歩いていきます。逃げていくのです。あやしいやつです。
小林君は、すこし、あいだをおいて、その男のあとをつけました。夕やみのなかですから、おたがいのすがたも、ハッキリとは見わけられないほどで、尾行をしても、さほど、めだちません。
その男は、ダブダブのネズミ色のオーバーをきて、ネズミ色のソフトをかぶっていました。小林君が尾行するのを、知っているのか、知らないのか、男は、あとをも見ずに、トットと、歩いていきます。しばらくいくと、いっぽうの塀が、とだえて、ひろいあき地にでました。そのまんなかに、ふるいカシの木が、空いっぱいに枝をひろげて、そびえています。小林君は、気がつきませんが、これは、いつかの夜、トカゲ怪人が、茶色の洋服をきて、高い枝に腰かけていた、あのカシの木です。
ネズミ色のオーバーの男は、そのカシの木のほうへ歩いていきましたが、ふと気がつくと、もう、すがたが見えません。カシの木の大きな幹のかげに、かくれたのではないかと、小林君は、ソッと、そのほうへ、近づいていきました。
ひろっぱのすみに、街灯がついていて、そのひかりが、コケのはえた太い太いカシの木の幹を、ボンヤリと、てらしています。
小林君は、その幹のまえに立つと、さっきの男は、きっとむこうがわにかくれていると思ったので、ぬきあしで、ソッと幹をまわって、むこうがわを、のぞいてみました。
すると、男は、まるで、かくれんぼうでもするように、その幹のうしろに、からだをくっつけて立っていました。そして、小林君が、のぞくのをまちかまえていたように、ヒョイと、こちらに顔をむけました。
ああ、その顔。
小林君は、頭の毛が、サーッと音をたてて、さかだつような気がしました。
それは銀色の顔だったのです。まっ黒な穴のような目、三日月がたにキューッと笑っている口、そして、その口から、人間の声とは、どこかちがった、へんな声がもれてきました。
「キミ、コバヤシダロ、シッテルヨ、アケチタンテイノデシダロ、ソウダロ。」
小林君は、あまりのおそろしさに、舌が、のどへくっついたようになって、声をだすことができません。
「キタムラガ、アケチノトコヘ、イッテ、ハナシタコトモ、シッテルヨ、ナンデモ、シッテルヨ。ボクハ、チキューノニンゲンヨリ、百バイ、カシコイヨ、ワカルダロ……、ダケド、キミカワイイネ。」
怪物は、そんなことを、言ったかとおもうと、いきなり、右手をだして、小林君のほおを、なでました。
ああ、その手。
カエルの手を、千倍も大きくしたような、水かきのある、みどり色の手でした。つめたくて、ヌルヌルして、なんだか、なまぐさいような、いやーな、においのする手でした。
「フルエテルネ、コワイノカ、コワクナイヨ、ナニモシナイヨ、キミニハ、ナニモシナイヨ……、サヨナラ、サヨナラ。」
怪物は、そのまま、カシの木の幹の、さけめに足をかけて、上のほうへ、のぼっていきました。そして、木の葉のなかへ、すがたを、かくしてしまいました。
しばらく、ずっと上のほうで、ガサガサと、音がしていましたが、やがて、木の上から、サーッと、おそろしい風が吹きつけてきました。オーバーをぬいで、コウモリのはねをひろげて、はばたきしたのでしょう。
そのころになって、小林君は、やっと正気にかえり、木の幹をはなれて、暗い空を見あげました。
空には、宇宙怪人が、大きなはねをひろげて、飛びあがっていました。ブーンという、みょうな音がしました。そして、怪人のすがたは、だんだん小さくなって、みるまに、夕やみの空へ、とけこんでしまいました。
さすがの小林少年も、こんなおそろしい思いをしたのは、はじめてでした。人間ならば、どんな悪ものでも、こわくはありません。しかし、こんどのやつは、人間ではないのです。人間の百倍も、かしこくて、自由自在に、空をとぶ怪物です。小林君は、思わず、ホッと、ためいきをついて、その場に、しゃがみこんでしまいました。
名探偵の明智小五郎でも、こんな怪物には、かなわないかもしれません。まして、少年の小林君には、もう手も足も出ないような気がしました。
小林君が怪人を尾行した二日のちに、またしても、おそろしいことが、おこりました。
また日がくれて、まもなくでした。平野一郎少年は、昼間、庭で北村さんとキャッチボールをしたまま、ミットを、ほうりっぱなしにしておいたことを思いだして、それを、取りにいきました。庭は、もう、まっくらでしたが、手さぐりでミットをひろって、いそいで、えんがわのほうへ帰ろうとしたとき、ふと気がつくと、庭のむこうのほうに、なんだかボンヤリした黒いものがうずくまっていました。
それは、おねえさまのお部屋の、すぐそとなのです。カーテンをしめた、ガラス窓の下に、黒いみょうなものが、うずくまっていました。
「へんだな。あんな大きなイヌは、このへんにいないはずだが。」と思って、ソッと、そのほうへ近づいていきました。
部屋の中からは、うつくしいバイオリンの音が、ながれだしています。おねえさまのゆりかさんが、ひいているのです。うずくまった黒いかげは、じっと頭をかしげて、そのバイオリンの音に、聞きいっているように見えました。
人間です。どこかのやつが、塀をのりこえて、庭へはいってきたのでしょう。どろぼうかもしれません。平野君は、すこしこわくなったので、そのまま、立ちどまって、あやしいやつを、じっと見ていました。
すると、うずくまっていた黒いかげが、ヌーッと立ちあがりました。そして、まるでロボットのような、きみのわるい歩きかたで、じりじりと、こちらへ近よってくるではありませんか。
平野君は、ネコににらまれたネズミのように、身うごきができなくなりました。目をいっぱいに見ひらいて、石にでもなったように、じっと立っているばかりです。
あやしいやつは、一歩一歩、やみの中をすすんできます。近づくにしたがって、そのかたちが、グッグッと大きくなるのです。
キラッと光りました。そいつの顔が、です。
平野君は、ゾーッと、せなかへ、氷をあてられたような気がしました……。宇宙怪人です。宇宙怪人が、庭にしのびこんでいたのです。そして、いま、目のまえに立ちはだかっているのです。
「キミノナ、ヒラノ、イチロ、ダネ、キミノアネ、ヒラノ、ユリカ、ダネ、ユリカ、オンガク、キレイ、ウツクシイ、ステキ、ワタシ、マイバン、ココキテ、キイタ。」
おお、それじゃ、この怪物は、今夜だけでなく、そのまえから、まいばん、おねえさまの部屋のそとへ、しのびこんでいたのでしょうか。
平野君は、にわかに、おねえさまのことが、心配になってきました。このトカゲ男は、いったい、おねえさまに、なにをするつもりなのでしょう。そう考えると、平野君の心のうちに、思いもよらぬ勇気がわいてきました。
「きみは、ぼくのおねえさまを、どうしようというんだッ。」そんなことばが、知らぬうちに、口からとびだしていました。
「ワタシノホシヘ、ツレテイク、ソシテ、ホシノヒトニ、ウツクシイ、チキューノ、オンガク、キカセル。」
怪物はそう言って、銀仮面の三日月がたの口の中で、ヘラヘラと笑いました。
「ソノウチ、キット、ツレテイク、アネニ、ソウイイナサイ、ホシノクニ、ウツクシイヨ、キミモ、イキタイカネ、ヘヘヘ……、サヨナラ、サヨナラ。」
言いたいだけ言ってしまうと、怪物はクルッとむきをかえて、サーッと、庭のおくの、こだちの中へかけこんでしまいました。そして、しばらくすると、ブーンという、あの空を飛ぶ音が、聞こえてきました。