15話 (二十一) 十一夜会の記
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陰暦水無月の十一夜、月いと美しき夜なりき。夕方たづね来し花京君の主唱にて、一燈光あざやかなる下、字を結び、興を探りて、互に吟腸を披瀝しぬ。あつまれるは残紅、花京、せつ子、みつ子、啄木の五人。八時頃より初めて、詠出、互撰、評語、終れるは子の刻も過ぎつる頃と覚ゆ。中津川の水嵩減りたる此頃、木の間伝ひの水の声たえ/″\なれど、程近き水車の響、秋めいたる虫の音を織りまぜて、灯影ほのめく庭の紫陽花の風情の云ひがたきなど、珍らしく心地すぐれたる夜なりき。人界に降ること稀なる歌苑の神も、この夜のみは、いといつくしく我が草堂に宿りつらめ、と。後にて人と語り興じぬ。
字を結んで、五人二題づゝ、あはせて十題を得たり。月の影、川風、思、画堂、青潮、水の音、初夏、中津川、ほたる、杜鵑……これはと思ふ心地よき題もなきに、我まづ聊かひるみたれど、稚なきものも交れる今宵なればと、人々心したりと見ゆ。
筆噛みてあからめもせず燈火うちまもるあり。黙然として団扇の房をまさぐるあり。白扇ばたつかせて、今宵の蚊のせはしさよと呟やくあり。胡栗餅頬ばりて、この方が歌よりうまいと云ふあり。兎角するうちに半紙八つ切りの料の紙、小さく折られたるが雲形塗のお盆の上に堆たかくなりぬ。
人々手をわけて浄書すみぬれば、五つ輪の円座、居ずまひ直して、総数四十幾首より各々好める歌ぶり十首許り撰み入るゝなり。朗唱の役は我、煙草に舌荒れて声思ふやうに出ず。節づけ拙けれど、人々の真面目に聴きいる様は、世の大方の人が、信ぜぬ乍らも己が厄運にかゝはる卜をばいと心こめてきくにも似たり。
読み上ぐる毎に、作者名のり出る規定なり。その咏風に大方は誰と知らるゝが多かれど、時に予想外なるがありて、こは君なりしかとうち驚かる。杜鵑の歌に
斧に樹をきる如きひゞきして人を死ねよと鳴くほとゝぎす(花京)
狂ひ女が万古の暗に高空の悲哀よぶとか啼く杜鵑(残紅)
前の歌の才気めざましきはさもある事乍ら、人を死ねよのわざとらしきは、後の歌の、句様は余り有難からねど、よく杜鵑の意に叶ひたるには兄たる能はずやと云はむ。さはれ我が
舟がゝりほとゝぎす待つ夜の江や帆もつくろひぬ篝の影に
の窮したるには、もとより同列にあげつらふべくもあらじ。月の影の歌に
幽り宮月のかげせしひと夜ゆゑ恋ひつゝわびぬこの年頃を(残紅)
苑古き木の間に立てる石馬の脊とわが肩の月の影かな(啄木)
の二首撰に入りたれど、幽宮の幽趣たとしへもなき調、月光ほのかに心に沁みわたるにも似て、この君ならではと思はるゝ優しさ、桂の枝に背うちまゐらせむのたはぶれも、ゆめねたみ心にはあらずと知り玉へかし。(つゞく)
[「岩手日報」明治三十八年六月九、十、十一、十三、十四、十五、十六、十七、二十、二十一、二十二、二十三、二十四、二十五、二十七、二十八、二十九、三十、七月六、七、十八日]