3話 (三)
読み方を変える
思想と文学との両分野に跨つて起つた著明な新らしい運動の声は、食を求めて北へ北へと走つて行く私の耳にも響かずにはゐなかつた。空想文学に対する倦厭の情と、実際生活から獲た多少の経験とは、やがて私にも其の新らしい運動の精神を享入れる事を得しめた。遠くから眺めてゐると、自分の脱出して来た家に火事が起つて、見る見る燃え上がるのを、暗い山の上から瞰下すやうな心持があつた。今思つてもその心持が忘られない。
詩が内容の上にも形式の上にも長い間の因襲を蝉脱して自由を求め、用語を現代日常の言葉から選ぼうとした新らしい努力に対しても、無論私は反対すべき何の理由も有たなかつた。「無論さうあるべきである。」さう私は心に思つた。然しそれを口に出しては誰にも言ひたくなかつた。言ふにしても、「然し詩には本来或る制約がある。詩が真の自由を得た時は、それが全く散文になつて了つた時でなければならぬ。」といふやうな事を言つた。私は自分の閲歴の上から、どうしても詩の将来を有望なものとは考へたくなかつた。会々其等の新運動にたづさはつてゐる人々の作を、時折手にする雑誌の上で読んでは、其詩の拙い事を心潜かに喜んでゐた。
散文の自由の国土! 何を書かうといふきまつた事は無くとも、漠然とさういふ考へを以て、私は始終東京の空を恋しがつてゐた。
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釧路は寒い処であつた。然り、唯寒い処であつた。時は一月末、雪と氷に埋もれて、川さへ大方姿を隠した北海道を西から東に横断して、着て見ると、華氏零下二十―三十度といふ空気も凍たやうな朝が毎日続いた。氷つた天、氷つた土。一夜の暴風雪に家々の軒の全く塞つた様も見た。広く寒い港内には何処からともなく流氷が集つて来て、何日も何日も、船も動かず波も立たぬ日があつた。私は生れて初めて酒を飲んだ。