こがね丸

14話 下巻 第十四回

2,468字 約5分 2001年12月22日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

 この時文角は、捕へし襟頭(えりがしら)少し(ゆる)めつ、されども(いささ)か油断せず。「いふ事あらば()くいへかし。この期に及びわれ()を欺き、間隙(すき)(ねら)ふて逃げんとするも、やはかその()に乗るべきぞ」ト、いへば聴水(こうべ)を打ちふり、「その猜疑(うたがい)(ことわり)なれど、(やつがれ)すでに罪を悔い、心を翻へせしからは、などて卑怯(ひきょう)なる挙動(ふるまい)をせんや。さるにても黄金ぬしは、怎麼(いか)にしてかく(つつが)なきぞ」ト。(いぶか)り問へば冷笑(あざわら)ひて、「われ(まこと)(なんじ)(たばか)られて、(いぬ)る日人間(ひと)の家に踏み込み、(いた)打擲(ちょうちゃく)されし上に、裏の(えんじゅ)()(つな)がれて、明けなば皮も(はが)れんずるを、この鷲郎に救ひ(いだ)され、危急(あやう)き命は辛く拾ひつ。その時足を(くじ)かれて、霎時(しばし)は歩行もならざりしが。これさへ朱目(あかめ)(おきな)が薬に、かく以前(もと)の身になりにしぞ」ト、足踏(あしぶみ)して見すれば。聴水は皆まで聞かず、「いやとよ、和殿が彼時(かのとき)人間(ひと)に打たれて、足を(やぶ)られたまひし事は、僕(ひそ)かに探り知れど。僕がいふはその事ならず。――さても和殿に追はれし日より、わが身仇敵(かたき)附狙(つけねら)はれては、何時(いつ)また怎麼なる事ありて、われ遂に討たれんも知れず。とかく和殿を亡き者にせでは、わが胸到底安からじト、左様右様(とさまこうさま)思ひめぐらし。機会(おり)(うかが)ふとも知らず、和殿は昨日彼の(きず)のために、朱目の翁を訪れたまふこと、(ひそ)かに聞きて打ち喜び。直ちにわが腹心の友なる、黒衣と申す猿に頼みて、途中に和殿を射させしに、見事仕止めつと聞きつるが。……さては彼奴(きゃつ)に欺かれしか」ト。いへば黄金丸呵々(からから)と打ち笑ひ、「それにてわれも会得したり。いまだ鷲郎にも語らざりしが。昨日朱目が許より帰途(かえるさ)、森の木陰を通りしに、われを狙ふて矢を放つものあり。畢竟(ひっきょう)村童們(さとのこら)悪戯(いたずら)ならんと、その矢を(くち)()ひ止めつつ、矢の来し(かた)を打見やれば。こは人間と思ひのほか、(おおい)なる猿なりければ。(にっく)き奴めと(にら)まへしに、そのまま這奴(しゃつ)は逃げ()せぬ。されどもわれ彼の猿に、意恨(うらみ)を受くべき(おぼえ)なければ、何故(なにゆえ)かかる事を()すにやト、更に心に落ちざりしに、今爾が言葉によりて、(かれ)が狼藉の所以(ゆえ)も知りぬ。然るに(かれ)今日もまた、同じ処に忍びゐて。われを射んとしたりしかど。此度(こたび)もその矢われには当らず、肩の(あたり)をかすらして、後の木根(きのね)に立ちしのみ」ト。聞くに聴水は歯を咬切(くいしば)り、「口惜しや腹立ちや。聴水ともいはれし古狐が、黒衣ごとき山猿に、阿容々々(おめおめ)欺かれし悔しさよ。かかることもあらんかと、覚束なく思へばこそ、昨夕(ゆうべ)他が()を訪づれて、首尾怎麼(いか)なりしと尋ねしなれ。さるに(かれ)事もなげに、見事仕止めて帰りぬト、語るをわれも信ぜしが。今はた思へば彼時に、(むくろ)人間(ひと)に取られしなどと、いひくろめしも虚誕(いつわり)の、尾を見せじと思へばなるべし。かくて他われを欺きしも、もしこの(のち)和殿に逢ふことあらば、事発覚(あらわ)れんと思ひしより、再び今日も森に忍びて、和殿を射んとはしたりしならん。それにて思ひ合すれば、さきに藪陰にて他に逢ひし時、(いた)く物に()ぢたる様子なりしが、これも黄金ぬしに追はれし故なるべし。さりとは露ほども心付かざりしこそ、返す返すも不覚なれ。……ああ、これも皆聴水が、悪事の(むくい)なりと思へば、他を恨みん由あらねど。這奴(しゃつ)なかりせば今宵もかく、罠目(わなめ)の恥辱はうけまじきに」ト、(くい)八千度百千度(やちたびももちたび)、眼を釣りあげて(もだ)えしが。ややありて胸押し(しず)め、「ああ悔いても及ぶことかは。とてもかくても(すつ)る命の、ただこの上は文角ぬしの、言葉にまかせて金眸が、洞の様子を語り申さん。――そもかの金眸大王が洞は、麓を去ること二里あまり、山を越え谷を(わた)ること、その数幾つといふことを知らねど。もし間道より登る時は、(わずか)十町ばかりにして、その洞口(ほらのくち)に達しつべし。さてまた大王が配下には、鯀化(こんか)(ひぐま)黒面(こくめん)(しし))を初めとして、猛き獣()なきにあらねど。そは皆各所の山に分れて、(おの)が持場を守りたれば、常には洞の(ほとり)にあらずただ(やつがれ)とかの黒衣のみ、旦暮(あけくれ)大王の(かたわら)に侍りて、(かれ)が機嫌を(とる)ものから。このほど大王何処(いずく)よりか、照射(ともし)といへる女鹿(めじか)を連れ給ひ、そが容色に(おぼ)れたまへば、われ()(ちょう)は日々に()がれて、(ひそ)かに恨めしく思ひしなり。かくて僕(いぬ)る日、黄金ぬしに追れしより、かの月丸(つきまる)遺児(わすれがたみ)、僕及び大王を、仇敵(かたき)と狙ふ由なりと、金眸に告げしかば。()れもまた少しく恐れて、(くだん)の鯀化、黒面などを呼びよせ、洞ちかく守護さしつつ、自身(おのれ)佻々(かるがる)しく他出(そとで)したまはざりしが。これさへ昨日黒衣めが、和殿を打ちしと聞き給ひ、喜ぶこと(ななめ)ならず、(たちま)守護(まもり)を解かしめつ。今宵は黄金丸を亡き者にせし(いわい)なりとて、(さかん)に酒宴を張らせたまひ。僕もその席に侍りて、先のほどまで酒()みしが、独り早く退(まか)(いで)つ、その帰途(かえるさ)にかかる状態(ありさま)、思へば死神の誘ひしならん」ト。いふに黄金丸は立上りて、彼方(あなた)の山を(きっ)(にら)めつ、「さては今宵彼の洞にて、金眸はじめ配下の獣()酒宴(さかもり)なして(たわぶ)れゐるとや。時節到来今宵こそ。宿願成就する時なれ。阿那(あな)喜ばしやうれしや」ト、天に喜び地に喜び、さながら物に狂へる如し。聴水はなほ語を()ぎて、「()に今宵こそ屈竟(くっきょう)なれ。さきに僕退出(まかりで)し時は、大王は照射(ともし)が膝を枕として、前後も知らず酔臥(えいふ)したまひ。その(ほとり)には黒衣めが、興に乗じて躍りゐしのみ、余の獣們は腹を満たして、各自(おのおの)棲居(すみか)に帰りしかば、洞には絶えて守護(まもり)なし。これより彼処(かしこ)へ向ひたまはば、かの間道より(のぼり)たまへ。少しは路の嶮岨(けわし)けれど、幸ひ今宵は月冴えたれば、辿(たど)るに迷ふことはあらじ。その間道は……あれ(みそな)はせ、彼処(かしこ)に見ゆる一叢(ひとむら)の、杉の森の小陰(こかげ)より、小川を渡りて東へ行くなり。さてまた洞は岩畳み、鬼蔦(おにづた)あまた()ひつきたれど、(ほと)りに(えのき)の大樹あれば、そを目印(めじるし)に討入りたまへ」ト、残る隈なく教ふるにぞ。鷲郎聞きて感嘆なし、「げにや悪に強きものは、また善にも強しといふ。(なんじ)今前非を悔いて、吾()がために討入りの、計策(はかりごと)を教ふること(まめ)なり。さればわれその厚意(こころざし)()で、おつつけ彼の黒衣とやらんを(うっ)て、爾がために(うらみ)(すす)がん。心安く成仏(じょうぶつ)せよ」「こは有難き御命(おおせ)かな。かくては思ひ置くこともなし、()くわが咽喉(のど)()みたまへ」ト。覚悟()むればなかなかに、(ちっと)も騒がぬ狐が本性。天晴(あっぱれ)なりと(たた)へつつ、黄金丸は牙を()らし、やがて咽喉をぞ噬み切りける。

目次に戻る

目次