6話 上巻 第六回
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恁て黄金丸は鷲郎と義を結びて、兄弟の約をなし、この古刹を棲居となせしが。元より養ふ人なければ、食物も思ふにまかせぬにぞ、心ならずも鷲郎は、慣し業とて野山に猟し、小鳥など捉りきては、漸くその日の糧となし、ここに幾日を送りけり。
或日黄金丸は、用事ありて里に出でし帰途、独り畠径を辿り往くに、只見れば彼方の山岸の、野菊あまた咲き乱れたる下に、黄なる獣眠りをれり。大さ犬の如くなれど、何処やらわが同種の者とも見えず。近づくままになほよく見れば、耳立ち口尖りて、正しくこれ狐なるが、その尾の尖の毛抜けて醜し。この時黄金丸思ふやう、「さきに文角ぬしが物語に、聴水といふ狐は、かつてわが父月丸ぬしのために、尾の尖咬切られてなしと聞きぬ。今彼の狐を見るに、尾の尖断離れたり。恐らくは聴水ならん。阿那、有難や感謝や。此処にて逢ひしは天の恵みなり。将一噬みに……」ト思ひしが。有繋義を知る獣なれば、眠込みを噬まんは快からず。かつは誤りて他の狐ならんには、無益の殺生なりと思ひ。やや近く忍びよりて、一声高く「聴水」ト呼べば、件の狐は打ち驚き、眼も開かずそのままに、一間ばかり跌んで、慌しく逃げんとするを。逃がしはせじと黄金丸は、《おめき》叫んで追駆るに。彼方の狐も一生懸命、畠の作物を蹴散らして、里の方へ走りしが、只ある人家の外面に、結ひ繞らしたる生垣を、閃と跳り越え、家の中に逃げ入りしにぞ。続いて黄金丸も垣を越え、家の中を走り抜けんとせし時。六才ばかりなる稚児の、余念なく遊びゐたるを、過失て蹴倒せば、忽ち唖と泣き叫ぶ。その声を聞き付て、稚児の親なるべし、三十ばかりなる大男、裏口より飛で入しが。今走り出でんとする、黄金丸を見るよりも、さては此奴が噬みしならんト、思ひ僻めつ大に怒て、あり合ふ手頃の棒おつとり、黄金丸の真向より、骨も砕けと打ちおろすに、さしもの黄金丸肩を打たれて、「呀」ト一声叫びもあへず、後に撲地と倒るるを、なほ続けさまに打ちたたかれしが。やがて太き麻縄もて、犇々と縛められぬ。その間に彼の聴水は、危き命助かりて、行衛も知らずなりけるに。黄金丸は、無念に堪へかね、切歯して吠え立つれば。「おのれ人間の子を傷けながら、まだ飽きたらで猛り狂ふか。憎き狂犬よ、今に目に物見せんず」ト、曳立て曳立て裏手なる、槐の幹に繋ぎけり。
倶不戴天の親の仇、たまさか見付けて討たんとせしに、その仇は取り逃がし、あまつさへその身は僅少の罪に縛められて邪見の杖を受る悲しさ。さしもに猛き黄金丸も、人間に牙向ふこともならねば、ぢつと無念を圧ゆれど、悔し涙に地は掘れて、悶踏に木も動揺ぐめり。
却説く鷲郎は、今朝より黄金丸が用事ありとて里へ行きしまま、日暮れても帰り来ぬに、漸く心安からず。幾度か門に出でて、彼方此方を眺れども、それかと思ふ影だに見えねば。万一他が身の上に、怪我はなきやと思ふものから。「他元より尋常の犬ならねば、無差と撲犬師に打たれもせまじ。さるにても心元なや」ト、頻りに案じ煩ひつつ。虚々とおのれも里の方へ呻吟ひ出でて、或る人家の傍を過りしに。ふと聞けば、垣の中にて怪き呻き声す。耳傾けて立聞けば、何処やらん黄金丸の声音に似たるに。今は少しも逡巡はず。結ひ繞らしたる生垣の穴より、入らんとすれば生憎に、枳殻の針腹を指すを、辛うじてくぐりつ。声を知るべに忍びよれば。太き槐の樹に括り付けられて、蠢動きゐるは正しくそれなり。鷲郎はつと走りよりて、黄金丸を抱き起し、耳に口あてて「喃、黄金丸、気を確に持ちねかし。われなり、鷲郎なり」ト、呼ぶ声耳に通じけん、黄金丸は苦しげに頭を擡げ、「こは鷲郎なりしか。嬉しや」ト、いふさへ息も絶々なるに、鷲郎は急ぎ縄を噬み切りて、身体の痍を舐りつつ、「怎麼にや黄金丸、苦しきか。什麼何としてこの状態ぞ」ト、かつ勦はりかつ尋ぬれば。黄金丸は身を震はせ、かく縛められし事の由来を言葉短に語り聞かせ。「とかくは此処を立ち退かん見付けられなば命危し」ト、いふに鷲郎も心得て、深痍になやむ黄金丸をわが背に負ひつ、元入りし穴を抜け出でて、わが棲居へと急ぎけり。