こがね丸

8話 上巻 第八回

3,073字 約6分 2001年12月22日 公開

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 黄金丸が病に伏してより、やや一月にも余りしほどに、身体(みうち)の痛みも()せしかど、前足いまだ()えずして、歩行もいと苦しければ、心(しき)りに焦燥(いらち)つつ、「このままに打ち過ぎんには、遂に生れもつかぬ跛犬となりて、親の(あだ)さへ討ちがたけん。今の(あいだ)によき薬を得て、足を(いや)さでは(かな)ふまじ」ト、その薬を(たずね)るほどに。或日鷲郎は(あわただ)しく他より帰りて、黄金丸にいへるやう、「やよ黄金丸喜びね。(それがし)今日()医師(くすし)を聞得たり」トいふに。黄金丸は(ひざ)を進め、「こは耳寄りなることかな、その医師とは何処(いずこ)(たれ)ぞ」ト、連忙(いそが)はしく問へば、鷲郎は(こた)へて、「さればよ。某今日里に遊びて、古き友達に邂逅(めぐりあ)ひけるが。その犬語るやう、此処を去ること南の方一里ばかりに、木賊(とくさ)が原といふ処ありて、其処に朱目(あかめ)(おきな)とて、(とうと)き兎住めり。この翁若き時は、彼の柴刈(しばか)りの(じじ)がために、仇敵(かたき)(たぬき)を海に沈めしことありしが。その功によりて月宮殿(げっきゅうでん)より、霊杵(れいきょ)霊臼(れいきゅう)とを賜はり、そをもて(よろず)の薬を()きて、今は(ゆたか)に世を送れるが。この翁が(もと)にゆかば、大概(おおかた)獣類(けもの)疾病(やまい)は、癒えずといふことなしとかや。その犬も(いぬ)る日村童(さとのこ)に石を打たれて、左の後足(あとあし)を破られしが、(くだん)の翁が薬を得て、その(きず)とみに癒しとぞ。さればわれ直ちに往きて、薬を得て来んとは思ひしかど。御身自ら彼が許にゆきて、親しくその痍を見せなば、なほ便宜(たより)よからんと思ひて、われは行かでやみぬ。御身少しは苦しくとも、全く歩行出来ぬにはあらじ、明日(あす)にも心地よくば、試みに往きて見よ」ト、いふに黄金丸は打喜び、「そは(まこと)に嬉しき事かな。さばれかく貴き医師(くすし)のあることを、今日まで知らざりし(おぞ)ましさよ。とかくは明日往きて薬を求めん」ト、海月(くらげ)の骨を得し心地して、その翌日(あけのひ)朝未明(あさまだき)より立ち出で、教へられし路を辿(たど)りて、木賊(とくさ)が原に来て見るに。(はじ)(かえで)なんどの色々に染めなしたる木立(こだち)(うち)に、柴垣結ひめぐらしたる草庵(いおり)あり。丸木の柱に木賊もて(のき)となし。竹椽(ちくえん)清らかに、(かけひ)の水も音澄みて、いかさま由緒(よし)ある獣の棲居(すみか)と覚し。黄金丸は柴門(しばのと)に立寄りて、丁々(ほとほと)(おとな)へば。中より「()ぞ」ト声して、朱目(あかめ)自ら立出づるに。見れば耳長く毛は真白(ましろ)に、(まなこ)(くれない)に光ありて、一目(みるから)尋常(よのつね)の兎とも覚えぬに。黄金丸はまづ(うやうや)しく礼を施し、さて病の由を申聞(もうしきこ)えて、薬を賜はらんといふに、彼の翁心得て、まづその(きず)を打見やり、霎時(しばし)(ねぶ)りて後、何やらん薬をすりつけて。さていへるやう、「わがこの薬は、(かしこ)くも月宮殿(げっきゅうでん)嫦娥(じょうが)(みずか)ら伝授したまひし霊法なれば、縦令(たとい)怎麼(いか)なる難症なりとも、とみに(いゆ)ること(しん)の如し。今御身が痍を見るに、時期(とき)(おく)れたればやや重けれど、今宵(こよい)(うち)には癒やして進ずべし。ともかくも明日(あす)再び来たまへ、(いささ)か御身に尋ねたき事もあれば……」ト、いふに黄金丸打よろこび、やがて別を告げて立帰りしが。(みち)すがら()ある森の木陰を(よぎ)りしに、忽ち生茂(おいしげ)りたる木立の(うち)より、(ひょう)ト音して飛び来る矢あり。心得たりと黄金丸は、身を(ひね)りてその矢をば、発止(はっし)ト牙に()みとめつ、矢の来し(かた)(きっ)ト見れば。二抱(ふたかか)へもある赤松の、幹両股(ふたまた)になりたる処に、一匹の黒猿昇りゐて、左手(ゆんで)に黒木の弓を持ち、右手(めて)に青竹の矢を採りて、なほ二の矢を(つが)へんとせしが。黄金丸が()(つけ)し、(まなこ)の光に恐れけん、その矢も()(はな)たで、(あわただ)しく枝に走り昇り、(こずえ)伝ひに木隠(こがく)れて、忽ち姿は見えずなりぬ。かくて次の日になりけるに、不思議なるかな()えたる足、朱目が言葉に露たがはず、全く癒えて常に異ならねば。黄金丸は雀躍(こおどり)して喜び。急ぎ礼にゆかんとて、(ちと)ばかりの豆滓(きらず)を携へ、朱目が(もと)に行きて、全快の由申聞(もうしきこ)え、言葉を尽して喜悦(よろこび)()べつ。「失主狗(はなれいぬ)にて思ふに任せねど、心ばかりの薬礼なり。(ねがわ)くは納め給へ」ト、彼の豆滓を差し(いだ)せば。朱目も喜びてこれを納め。ややありていへるやう、「昨日(きのう)御身に聞きたきことありといひしが、余の事ならず」ト、いひさして(かたち)をあらため、「(それがし)幾歳(いくとせ)劫量(こうろう)()て、やや神通を得てしかば、(おのずか)ら獣の相を見ることを覚えて、(とお)(ひとつ)(あやまり)なし。今御身が相を見るに、世にも(まれ)なる名犬にして、しかも力量(ちから)万獣(ばんじゅう)(ひい)でたるが、遠からずして、抜群の功名あらん。某この年月(としつき)数多(あまた)の獣に逢ひたれども、御身が如きはかつて知らず。思ふに必ず由緒(よし)ある身ならん、その素性聞かまほし」トありしかば。黄金丸少しもつつまず、おのが素性来歴を語れば。朱目は聞いて膝を打ち。「それにてわれも会得(えとく)したり。総じて獣類(けもの)は胎生なれど、多くは雌雄数匹(すひき)(はら)みて、一親一子はいと稀なり。さるに御身はただ一匹にて生まれしかば、その力五、六匹を兼ねたり。加之(しかのみならず)牛に養はれて、牛の乳に(はぐく)まれしかば、また牛の力量をも受得(うけえ)て、けだし尋常(よのつね)の犬の猛きにあらず。さるに怎麼(いか)なればかく、(おぞ)くも足を(やぶ)られ給ひし」ト、(いぶ)かり問へば黄金丸は、「これには深き仔細(しさい)あり。原来某は、彼の金眸と聴水を、倶不戴天(ぐふたいてん)(あだ)(ねら)ふて、常に油断(ゆだん)なかりしが。(いぬ)る日(くだん)の聴水を、途中にて見付しかば、名乗りかけて討たんとせしに、かへつて(かれ)方便(たばか)られて、遂にかかる不覚を取りぬ」ト、彼のときの事(つぶさ)に語りつつ、「思へば憎き彼の聴水、重ねて見当らばただ一噬みと、朝夕(あけくれ)心を()ばれども、彼も用心して更に里方へ出でざれば、意恨(うらみ)を返す手掛りなく、無念に得堪えず候」ト、いひ(おわ)りて切歯(はがみ)をすれば、朱目も点頭(うなず)きて、「御身が心はわれとく(すい)しぬ、さこそ無念におはすらめ。さりながら黄金ぬし。御身(まこと)(かれ)を討たんとならば。われに()計略(はかりごと)あり、及ばぬまでも試み給はずや、(およ)(きつね)(たぬき)(たぐい)は、その性質(さが)(いたっ)狡猾(わるがしこ)く、猜疑(うたがい)深き獣なれば、(なまじ)いに(たく)みたりとも、容易(たやす)く捕へ得つべうもあらねど。その好む処には、君子も迷ふものと聞く、(かれ)が好むものをもて、釣り(いだ)して(わな)に落さんには、さのみ難きことにあらず」トいふに。黄金丸は打喜び、「その釣り落す罠とやらんは、(かね)てより聞きつれど、某いまだ見し事なし。怎麼(いか)にして作り候や」「そは斯様々々(かようかよう)にして(こしら)へ、それに(えば)をかけ置くなり」「して(かれ)が好む物とは」「そは鼠の天麩羅(てんぷら)とて、(こえ)太りたる雌鼠を、油に揚げて掛けおくなり。さすればその香気(かれ)が鼻を穿(うが)ちて、心魂忽ち空になり、われを忘れて大概(おおかた)は、その罠に落つるものなり。これよく猟師(かりうど)のなす処にして、かの狂言にもあるにあらずや。御身これより帰りたまはば、まづその如く罠を仕掛て、他が(きた)るを待ち給へ。今宵あたりは彼の狐の、その香気に浮かれ出でて、御身が罠に落ちんも知れず」ト、懇切(ねんごろ)に教へしかば。「こは()きことを聞き得たり」ト、数度(あまたたび)喜び聞え、なほ四方山(よもやま)の物語に、時刻を移しけるほどに、日も山端(やまのは)(かたぶ)きて、(ねぐら)に騒ぐ群烏(むらがらす)の、声かしましく聞えしかば。「こは意外長坐しぬ、(ゆる)したまへ」ト会釈しつつ、わが棲居(すみか)をさして帰り行く、途すがら例の森陰まで来たりしに、昨日の如く木の上より、矢を射かくるものありしが。此度(こたび)は黄金丸肩をかすらして、思はず身をも沈めつ、大声あげて「おのれ今日も狼藉(ろうぜき)なすや、引捕(ひっとら)へてくれんず」ト、走り(よっ)て木の上を見れば、果して昨日の猿にて、黄金丸の姿を見るより、またも木葉(このは)(うち)に隠れしが、われに木伝(こづた)ふ術あらねば、追駆(おっか)けて捕ふることもならず。憎き猿めと思ふのみ、そのままにして打棄てたれど。「さるにても何故(なにゆえ)に彼の猿は、一度ならず二度までも、われを射んとはしたりけん。われら猿とは古代(いにしえ)より、仲()しきものの(たとえ)に呼ばれて、互ひに(きば)を鳴らし合ふ身なれど、かくわれのみが彼の猿に、執念(しゅうね)く狙はるる覚えはなし。明日にもあれ再び出でなば、引捕(ひっとら)へて(ただ)さんものを」ト、その日は怒りを忍びて帰りぬ。――畢竟(ひっきょう)この猿は何者ぞ。また狐罠の落着(なりゆき)怎麼(いかん)。そは次の(まき)を読みて知れかし。

   上巻終

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