こがね丸

9話 下巻 第九回

2,286字 約5分 2001年12月22日 公開

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 かくて黄金丸は、ひたすら帰途(かえり)を急ぎしが、路程(みちのほど)も近くはあらず、かつは途中にて狼藉せし、猿を追駆(おいか)けなどせしほどに。意外(おもいのほか)に暇どりて、日も全く西に沈み、夕月田面(たのも)に映る(ころ)(ようや)くにして帰り着けば。鷲郎(わしろう)ははや門に()りて、黄金丸が帰着(かえり)を待ちわびけん。(かれ)が姿を見るよりも、連忙(いそがわ)しく走り迎へつ、「《やよ》、黄金丸、今日はなにとてかくは(おそ)かりし。待たるる身より待つわが身の、気遣(きづか)はしさを(すい)してよ。(いぬ)る日の事など思ひ出でて、安き心はなきものを」ト、喞言(かこと)がましく聞ゆれば、黄金丸は呵々(かやかや)と打ち笑ひて、「さな恨みそ。今日は朱目(あかめ)ぬしに引止められて、思はず会話(はなし)に時を移し、かくは帰着(かえり)(おく)れしなり。構へて待たせし心ならねば……」ト、()ぶるに鷲郎も深くは(とが)めず、やがて笑ひにまぎらしつつ、そのまま(うち)に引入れて、共に夕餉(ゆうげ)(くら)ひ果てぬ。

 (しばらく)して黄金丸は、鷲郎に打向ひて、今日朱目が(もと)にて聞きし事ども委敷(くわしく)語り、「かかる良計ある上は、(すみや)かに彼の聴水を、(おび)(いだ)して(とらえ)んず」ト、いへば鷲郎もうち点頭(うなず)き、「狐を釣るに(ねずみ)天麩羅(てんぷら)を用ふる由は、われ猟師(かりうど)(つか)へし故、(とく)よりその法は知りて、(わな)の掛け方も心得つれど、さてその(えば)に供すべき、鼠のあらぬに逡巡(ためら)ひぬ」ト、いひつつ天井を打眺(うちなが)め、少しく声を低めて、「御身がかつて(たす)けたる、彼の阿駒(おこま)こそ屈竟(くっきょう)なれど。(かれ)頃日(このごろ)はわれ()(なず)みて、いと忠実(まめやか)(かしず)けば、そを無残に殺さんこと、情も知らぬ無神狗(やまいぬ)なら知らず、(かり)にも義を知るわが(ともがら)の、()すに忍びぬ処ならずや」「(まこと)に御身がいふ如く、われも(みち)すがら考ふるに、まづ()の阿駒に気は付きたれど。われその必死を救ひながら、今また(かれ)が命を取らば、怎麼(いか)にも恩を()するに似て、わが身も快くは思はず。とてもかくてもこの外に、鼠を(さが)()らんに()かじ」ト、言葉いまだ(おわ)らざるに、(たちま)ち「(あっ)」と叫ぶ声して、鴨居(かもい)より撲地(はた)顛落(まろびおつ)るものあり。二匹は思はず左右に分れ、落ちたるものを(きっ)と見れば、今しも二匹が(うわさ)したる、かの阿駒なりけるが。なにとかしたりけん、口より血(おびただ)しく流れ(いず)るに。鷲郎は急ぎ(いだ)き起しつ、「こや阿駒、怎麼にせしぞ」「見れば(おもて)も血に(まみ)れたるに、……また猫にや追はれけん」「(いたち)にや襲はれたる」「()くいへ仇敵(かたき)は討ちてやらんに」ト、これかれ(ひと)しく(いた)はり問へば。阿駒は苦しき息の下より、「いやとよ。猫にも追はれず、鼬にも襲はれず、(わらわ)自らかく成り(はべ)り」「さは何故の生害(しょうがい)ぞ」「仔細ぞあらん聞かまほし」ト、また連忙(いそがわ)しく(とい)かくれば。阿駒は潸然(はらはら)と涙を落し、「さても情深き殿たち(かな)。かかる殿のためにぞならば、(すつ)る命も(おし)くはあらず。――妾が自害は黄金ぬしが、御用に立たん(ねがい)に侍り」「さては今の物語を」「(なんじ)は残らず……」「鴨居の上にて聞いて侍り。――妾(いぬ)る日烏円(うばたま)めに、無態の恋慕しかけられて、(すで)(かれ)(つめ)に掛り、絶えなんとせし玉の緒を、黄金ぬしの御情(おんなさけ)にて、不思議に(つな)ぎ候ひしが。(かの)時わが(おっと)烏円(うばたま)のために、非業の死をば遂げ給ひ。残るは妾ただ一匹、年頃契り深からず、石見銀山(いわみぎんざん)桝落(ますおと)し、地獄落しも何のその。縦令(たと)ひ石油の火の中も、(たらい)の水の底までも、死なば共にと(ちこ)ふたる、恋し雄に先立たれ、何がこの世の快楽(たのしみ)ぞ。生きて甲斐なきわが身をば、かく存命(ながら)へて今日までも、君に(かしず)きまゐらせしは、妾がために雄の仇なる、かの烏円をその場を去らせず、討ちて給ひし黄金ぬしが、御情に(ほだ)されて、早晩(いつ)かは君の御為(おんため)に、この命を(まい)らせんと、思ふ心のあればのみ。かくて今宵図らずも、殿たち二匹の物語を、鴨居の上にて()れ聞きつ。さても嬉しや今宵こそ、御恩に報ゆる時来れと、心(ひそ)かに喜ぶものから。今殿たちが言葉にては、とても妾を(きば)にかけて、殺しては給はらじと、思ひ定めつさてはかく、われから咽喉(のど)()みはべり。恩のために捨る命の。露ばかりも惜しくは侍らず。まいてや雄は妾より、先立ち登る死出の山、峰に()ひたる若草の、根を(かじ)りてやわれを待つらん。追駆け行くこそなかなかに、心楽しく侍るかし。願ふはわが身をこのままに、天麩羅とやらんにしたまひて、彼の聴水を打つて()べ。日頃大黒天(だいこくてん)に願ひたる、その甲斐ありて今ぞかく、わが身は恩ある黄金ぬしの、御用に立たん嬉れしさよ。……ああ苦しや申すもこれまで、おさらばさらば」ト夕告(ゆうつげ)の、とり乱したる前()き合せ。西に向ふて双掌(もろて)を組み、(まなこ)を閉ぢてそのままに、息絶えけるぞ殊勝なる。

 二匹の犬は(はじめ)より耳(そばた)てて、阿駒(おこま)が語る由を聞きしが。黄金丸はまづ嗟嘆(さたん)して、「さても珍しき鼠かな。国には盗人(ぬすびと)家に鼠と、人間(ひと)に憎まれ(いやし)めらるる、鼠なれどもかくまでに、恩には感じ義には(いさ)めり。これを彼の猫の三年(こう)ても、三日にして主を忘るてふ、烏円如きに比べては、雪と炭との差別(けじめ)あり。むかし唐土(もろこし)蔡嘉夫(さいかふ)といふ人間(ひと)、水を避けて南壟(なんろう)に住す。或夜(おおい)なる鼠浮び来て、嘉夫が(とこ)(ほとり)に伏しけるを、()(あわれ)みて飯を与へしが。かくて水退きて後、(くだん)の鼠青絹玉顆(せいけんぎょくか)(ささ)げて、奴に恩を謝せしとかや。今この阿駒もその類か。復讐(ふくしゅう)報恩(むくい)に復讐の、用に立ちしも不思議の約束、思へば(のが)れぬ因果なりけん。さばれ(いき)とし生ける者、何かは命を惜まざる。(あした)に生れ(ゆうべ)に死すてふ、蜉蝣(ふゆ)といふ虫だにも、追へば(のが)れんとするにあらずや。ましてこの鼠の、恩のためとはいひながら、自ら死して天麩羅(てんぷら)の、辛き思ひをなさんとは、(まこと)に得がたき阿駒が忠節、()むるになほ言葉なし。……とまれ(かれ)願望(のぞみ)に任せ、無残なれども油に揚げ。彼の聴水(ちょうすい)(つり)よせて、首尾よく彼奴(きゃつ)を討取らば、(いささ)菩提(ぼだい)(たね)ともなりなん、善は急げ」ト勇み立ちて、黄金丸まづ阿駒の死骸(なきがら)を調理すれば、鷲郎はまた庭に()り立ち、青竹を拾ひ来りて、罠の用意にぞ掛りける。

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