4話 四
読み方を変える
四月二十八日午前九時
今日は空前の早起致し候ため、実は雨でも降るかと心配仕り候処、春光嬉々として空に一点の雲翳なき意外の好天気と相成、明け放したる窓の晴心地に、壁上のベクリンが画幀も常よりはいと鮮やかに見られ候。只今三時間許り、かねて小生の持論たる象徴芸術の立場より現代の思想、文芸に対する挑戦の論策を編まむ下心にて、批評旁々、著者嘲風先生より送られたる「復活の曙光」繙読致候。然しこれは、到底この短き便りに述べ尽し難き事に候へば、今日は品を代へて一寸、盛中校友会雑誌のために聊か卑見申進むべく候。或は之れ、なつかしき杜陵の母校の旧恩に酬ゆる一端かとも被存候。
此雑誌も既に第六号を刊行するに至り候事、嬉しき事に候へど、年齢に伴なふ思想の発達著るしからざるに徴すれば、精神的意義に乏しき武断一偏の校風が今猶勢力を有する結果なるべくと、婆心また多少の嗟嘆なき不能候。嘗て在校時代には小生もこれが編輯の任に当りたる事有之候事とて、読過の際は充分の注意を払ひたる積りに御座候。
論文欄は毎号紙数の大多部を占むると共に、又常に比較的他欄より幼稚なる傾向有之候が、本号も亦其例外に立ち難く見受けられ候。然れども巻頭の中館松生君が私徳論の如きは、其文飛動を欠き精緻を欠くと雖ども、温健の風、着実の見、優に彼の気取屋党に一頭地を抜く者と被存候。斯くの如き思想の若し一般青年間に流布するあらば、健全なる校風の勃興や疑ふ可からず候。同君の論旨が質朴謙遜に述べられてある丈、小生も亦其保守的傾向ある所謂私徳に対して仰々しく倫理的評価など下すまじく候。
此文を読みて小生は、論者の実兄にして吾等には先輩なる鈴木卓苗氏を思出だし候ひき。荒川君の史論は、何等事相発展の裡面に哲理的批判を下す文明的史眼の萌芽なきを以て、主観的なる吾等には興味少なく候へ共、其考証精密なる学者風の態度は、客気にはやる等輩中の一異色に候。小生は、単に過去の事蹟の記録統計たるに留まらば、歴史てふ興味ある問題も人生に対して亳も存在の意義を有せざる者なる事に就きて、深沈なる同君の考慮を煩はしたく存候。吾人の標準とか題したる某君の国家主義論は、推断陋劣、着眼浅薄、由来皮相の国家主義を、弥益皮相に述べ来りたる所、稚気紛として近づく可からず候。筆を進めて其謬見の謬見たる所以を精窮するは評家の義務かも知れず候へど、自明の理を管々しく申上ぐるも児戯に等しかるべく候に付、差控へ申候。相沢活夫君の論は、此号の論客中尤も文に老練なる者と可申、君の感慨には小生亦私かに同情に堪へざる者に有之候。既にこの気概あり、他日の行動嘱目の至りに御座候。(以下次号)
[「岩手日報」明治三十七年四月二十八、二十九、三十、五月一日]